2011年から横浜市で使われている育鵬社の中学校教科書『新しいみんなの公民』を、私たちは検討してきた。いよいよ、私たちの憲法について教える第2章である。その第1節は、つぎのように驚くべき構成になっている。
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戦前の憲法、大日本帝国憲法を肯定的にのべ、現在の日本国憲法は連合国占領軍(米軍)の押し付けであるという。連合軍は日本に非武装化を強く求め、「戦力」をもたないこと、他国と自分から戦争しないこと(憲法9条)を押しつけたとする。
日本政府は、1950年の朝鮮戦争を期に、米国に協力する形で、警察予備隊、自衛隊と戦力を復活させ、憲法9条を、自国の防衛は許されるという解釈で乗り切ってきたとする。
また、1951年の日本の独立にあたって、日米安全保障条約を結び、米軍基地が国内に残るかわりに、日本の平和が米軍の抑止力に守られるようになったとする。
国際情勢の変化で、自衛隊を外国に派遣する必要が生じ、政府は、2003年に武力攻撃事態対処法など有事関連三法を成立させたという。東アジアでの緊張に呼応し、2015年には平和安全法制関連二法を成立させ、日本の安全保障体制を強化したとする。
日本国憲法を改正するために、2007年、具体的な手続きを定めた国民投票法を制定し、2010年5月18日に施行されたとする。
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これは、日本政府が、強い日本、世界の大国である日本を復活させるために、いかに着々と前進してきたかをのべているのであって、私が期待した憲法教育ではない。
日本国憲法の内容を分かりやすく説明し、その知識によって、弱い者たち、虐げられて者たちが自分の権利を守っていくのに役立つのが、公民の教科書であるべきだと私は思っている。
育鵬社の教科書の第2章第1節の記述を具体的に検討しよう。
第1節は、46ページ目のつぎの主張で始まる。
〈私たちが集団生活を営む上では、みんなが従う一定のルールがなければ混乱が生じ、最終的にすべての人々が不利益や損害をこうむってしまいます。
社会の秩序を維持、みんなの自由や安全を守るためには、ときとしておのおのの自由を制限することも必要です。〉
「自由」や「平等」の説明から始まるのでなく、「社会秩序の維持」のために法によって「自由を制限する」というところから、「法治国家」を説明する。「自由を制限する」の主語はなんだろう。
確かに、「人は右側、車は左側」というように、単に「混乱」を防ぐための法律もあるだろう。しかし、法というものは、人間と人間が、集団と集団が、利害の違いから、対立し、その妥協点を明文化したものだ。妥協点は、力のつり合いが変化すれば、当然、変化する。
法による「自由を制限する」の必要性は自明でないし、最初に教えるべきことではない。
47ページ目に、つぎのように書く。
〈現代の多くの国の憲法には、歴史・伝統・文化など自国の独自の価値が盛り込まれています。各国は独自の「価値」を憲法に記述することにより、国民に自覚と誇りを持たせています。〉
憲法とは、人類普遍的な理想をのべるものではないか。「歴史・伝統・文化など自国の独自の価値を盛り込む」とは、国民と国民の対立を生むことになるのではないか。
なぜ、こんな変なことをのべるのかは、つぎの48ページ目を読むとわかる。
〈明治維新をむかえた日本では、五箇条の御誓文が示され、天皇自らこれを実践することを明らかにしました。〉
〈政府は伊藤博文らを中心に欧米の憲法を調査研究するとともに、日本の歴史や伝統、国柄の研究を行い、約8年の歳月をかけて、1889年、大日本帝国憲法として公布しました。〉
五箇条の御誓文とは、明治天皇が、「官武一途庶民に至るまで、人心が離れないようにする」と宣言しただけで、官僚、軍人から庶民までを上手に丁寧に支配する(君主政)と天皇が誓っているのである。
ここの「日本の歴史や伝統、国柄」は、戦前の言葉では「国体」のことである。49ページ目にそれが書かれている。
〈この憲法では、日本の伝統文化と西洋の政治制度をいかに結びつけるかに力がそそがれ、日本は万世一系の天皇が統治する立憲君主制であることを明らかにしました。〉
それに対し、49ページ目に、現在の日本国憲法は押しつけであると書く。
〈連合国は、大日本帝国憲法の下での政治体制が戦争のおもな原因だと考え、日本の民主主義的傾向を復活強化して、連合国にふたたび脅威をあたえないようにするために、徹底した占領政策を行いました。〉
〈連合国軍最高司令官マッカーサーは、憲法の改正を日本政府に求め、政府は大日本帝国憲法をもとに改正案を作成しました。しかし、連合国軍総司令部(GHQ)はこれを拒否し、自ら1週間で憲法草案を作成したのち、日本政府に受け入れるようにきびしく迫りました。〉
〈日本政府は英語で書かれたこの憲法草案を翻訳・修正し、改正案として1946年6月に帝国議会に提出しました。改正案は、一部の修正を経たのち、11月3日に日本帝国憲法として公布され、翌年5月3日から施行されました。〉
「歴史・伝統・文化など自国の独自の価値が盛り込む」とは、「日本の歴史や伝統、国柄」すなわち「国体」を憲法に書くことで、そうでない日本国憲法をマッカーサーの押し付けと言っているのである。
50ページ目に、つぎのように、「国民主権」を説明する。
〈主権とはその国のあり方を最終的に決定する権力のことであり、その中には憲法を制定したり、改正するなどの大きな権限も含まれています。この主権が国民にあることを国民主権といいます。〉
ところが、51ページ目に、不可解な一文がある。
〈天皇は直接政治にかかわらず、中立・公平・無私な立場にあることで日本国を代表し、古くから続く日本の伝統的な姿を体現したり、国民の統合を強めたりする存在にとなっており、現代の立憲君主制のモデルとなっています。〉
象徴天皇制を「現代の立憲君主制」というが、「立憲君主制」では君主に主権がある。じっさい、著者の大好きな大日本帝国憲法では、天皇が陸軍、海軍を統帥し、内閣は軍隊を統括できない。また、憲法の改正は、天皇が発議しないかぎり、国会で憲法改正を議論できない。そして、じっさい、1941年12月に昭和天皇は、米国との開戦を決め、1945年8月に降伏を決めた。
新しい日本国憲法は、天皇から、これらの権限を奪った。しかし、日本国憲法に象徴天皇制があるのは、民主国家の憲法として大きな傷で、天皇制を廃止しなければならない。さもないと、この教科書の著者のように、「現代の立憲君主制」という者が出てくる。
「人権とは何か」のところの、53ページ目に、ふたたび、大日本帝国憲法をヨイショする。
〈日本でも、大日本帝国憲法を制定する際、古くから大御宝と称された民を大切にする伝統と、新しく西洋からもたらされた権利思想を調和させ、憲法に取り入れる努力がなされました。〉
〈日本国憲法では、西洋の人権思想に基づきながら基本的人権を「犯すことのできない永久の権利として信託されたもの」(97条)とし、多くの権利と自由を国民に保障しています。〉
また、54ページ目の「基本的人権の尊重」でつぎのように書く。
〈政治の最大の目的は、国民の生命と財産を守り、その生活を豊かに充実させることにあります。したがってその基礎をなす基本的人権の保障と充実は、なにより重要な政治目的のひとつとして位置づけられています。〉
この「国民の生命と財産を守り、その生活を豊かに充実させる」は、保守政権が自衛隊の海外派遣や米国との軍事同盟を強化するときに使う、きまり文句である。そうでないでしょう。「政治の最大の目的は、誰かが誰かを搾取することをやめさせ、自由と豊かさを平等に分かち合うようにする」ことでしょう。
56ページ目に、著者は、日本国憲法の第9条は、連合軍(米軍)の押し付けだと書く。そして、57ページ目に、つぎのように、日本政府は第9条の解釈で対応してきたという。
〈政府は、ここでいう戦争とは「他国に侵攻する攻撃」を指し、「自国を守る最低限度の戦闘」までも禁じているものではなく、自衛のための必要最小限度の実力を待つことは憲法上許されると解釈し、自衛隊を憲法第9条に違反しないものと考えています。〉
自衛隊は「戦力」でなく「実力」だと言うのは詭弁である。
さらに、58ページ目に、日米安全保障条約について不可解な一文を挿入する。
〈1960年に改定され、日本が外国からの攻撃を受けたとき、アメリカと共同して共通の危険に対処することが規定されました。戦後の日本の平和は、自衛隊の存在とともにアメリカ軍の抑止力(攻撃を思いとどまらせる力)に負うところも大きいといえます。この条約は、日本だけでなく東アジア地域の平和と安全の維持にも、大きな役割を果たしています。〉
これも、日本政府の解釈であって、日米安全保障条約は、あくまで、米軍基地を日本に置くことの相互了解である。
1989年の「ベルリンの壁崩壊」以降、東西両陣営の対決による第3次世界大戦の危機は遠のいたのに、それ以降、以前にまして、日本では国際社会が変化した、軍事力が必要だ、日本は海外に自衛隊を派遣する必要がある、と日本政府はいうようになった。
これは、米国の国力低下が大きな要因である。1980年代に、日本と米国のあいだに経済摩擦が起き、日本政府は、その解消を経済ではなく、米国に軍事協力をする形でつぐなおうとした。これは、日本の経済界とこの教科書の著者のような右翼勢力との野合である。
それにもかかわらず、著者は、国際情勢が急変し、日本の安全保障が脅かされたと言い出し、米国との問題であることを隠ぺいする。そして、日本政府の対応を支持する。
〈そこで有事への対応を想定した法律(有事法制)の整備が進められ、2003年に武力攻撃事態対処法など有事関連三法が成立しました。〉(58ページ目)
〈このような周辺の安全保障環境の急変に対し、政府は2014年に憲法解釈を実情に即して改め、集団的自衛権の行使を限定的に容認することを閣議決定しました。そして、2015年には平和安全法制関連二法が成立し、日本の安全保障体制が強化されました。また、自衛隊による在外邦人保護要件が緩和され、国際平和への積極的貢献の範囲も広がりました。〉(59ページ目)
在外邦人保護とは、海外にいる日本人の生命と財産を実力で守るということだが、戦前、日本が関東軍が中国に駐留する理由にこれを使った。軍事力を在外邦人保護の名目で使うなら、それは、他国の主権を軍事力でおかすことになる。憲法9条がなくても、やっては いけないことである。
そして、憲法改正について、つぎのように、著者は教科書に書く。
〈憲法は国の根本的なあり方を示すだけでなく、現実に国の進路を左右する大きな力をもっています。そのため、実際の政治を行うにあたり、目まぐるしく変化する国内や国外の情勢に対応していくためにどのように憲法を解釈・改正すべきか、という問題がしばしば起こります。〉(60ページ目)
〈憲法を絶対不変のものと考えてしまうと、時代とともに変化する現実問題への有効な対応を妨げることにもなりかねません。〉(61ページ目)
〈2007年、憲法改正のための国民投票など具体的な手続きを定めた国民投票法が制定され、2010年5月18日に施行されました。今後は、各院に設置された憲法審査会で、国会に提出された憲法改正原案の審査が行われ、国会の議決を経た上で、国民投票による改正の是非が諮られることになります。〉(61ページ目)
育鵬社の中学教科書『新しいみんなの公民』は偏向しているのではないか。横浜市の公立中学で使うのは不適切ではないか。
平和を守るのは武力
国の役に立たぬ者に権利なし
日本国憲法改正大日本帝国憲法万歳
ネトウヨ向け娯楽本ならともかく教科書には不適格ですね。