猫じじいのブログ

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「障害」か「不調」か、岩波明の『発達障害』 2018/6/23(土)

2022-05-12 15:16:30 | こころの病(やまい)

岩波明の『発達障害』(文春新書)は、自分が専門とするADHD治療の重要さを訴える本である。この本には「障害」という言葉が多数出てくる。また、米国精神医学会の診断マニュアルDSM-5にもとづいているとしながら、自説を強く展開している。昭和大学医学部の教授であるから、その権利はあるが、自説は自説と言う率直な態度を求めたい。

「障害」という言葉は、岩波国語辞典を引くと、「正常な進行や活動の妨げとなる」とある。「正常な進行や活動の妨げる」は英語ではdisableと言う。それゆえ、英語では「障害」にdisabilityを使う。

ところが、診断マニュアルDSMS-5では、ただ一つの例外を除いて、disorderを使う。例外は、「知的能力障害群」のIntellectual Disabilities である。disabilityは補償を国に請求するときの言葉である。「知的能力障害」の子どもをもつ親の団体が、オバマ政権時に、Intellectual Disabilityを使うよう訴え、法律でこの呼称を強制するようになったからである。

米国精神医学会で一般にdisabilityを使わないのは、正常と異常との境界がもともとあいまいであり、社会の色々なステークホルダー、例えば、保険業界、製薬業界、医療業界、患者団体の戦いの中で決まる便宜的なものであるからだ。

日本の社会でも、法律用語で「発達障害」があるのは、似たような背景があるからだ。

日本精神神経学会ではDSM-5を訳するとき、出来るだけ「症」を使うようにした。ASDは「自閉スペクトラム症」であり、ADHDは「注意欠如・多動症」である。Nuerodevelopmental Disordersは「神経発達症群」である。DSM-5には「発達障害」という診断名はない。

それではdisorderとは何か。orderは「秩序がある」ということだから、「不調」または「失調」ということになる。日本語で「精神疾患」と言われているものの英語はmental disorderである。mentalは訳しにくい言葉であるので、「メンタル不調」とするのが良いだろう。わたし自身は、mentalを無理に訳するより、「精神疾患」を即物的に「脳機能の不調」としたほうがすっきりくる。

disabilityかdisorderかは、ささいな言葉の問題のように見えるかもしれないが、立場の違いなのである。NPOで活動する、わたしは、「発達障害」の問題を補償問題と扱うよりも、人権問題として扱うべきと考える。というのは、いま、学校で扱いにくい子どもを「発達障害」児として社会から排除する傾向があるからである。このままいくと、政府に反抗的な子どもや若者に薬を飲ませ、障害者として社会から排除する時代が来るのでは、と私は恐れている。

どの本にも「発達障害」児に薬を飲ませろとは書いてないが、NPOで相手をしている子どものなかに、薬を飲ませられている子どもたちが多い。親とスタッフとの信頼関係が築かれるまでは、親は薬の服用について語りたがらないから、NPOの指導員もなかなか初めは気づかない。

アレン・フランセスは『〈正常〉を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告』(講談社)の中で、精神科医療での診断名は流行で、現在の流行はアスペルガー症、自閉症だが、今後の流行はADHDになるだろうと予測している。というのは、ADHDの市場は大きく魅力的で、ADHDについて研究したり講演したり本を書いたりすることに製薬会社がお金を出すからである。

岩波明は、「自閉スペクトラム症」の「スペクトラム」を「『連続体』という意味である。つまり、ごく軽症の人から重症の人まで、さまざまなレベルの状態の人が広範に分布しているという意味である」と書いているが、これは間違いである。「脳機能の不調(mental disorder)」には、診断名が何であれ、軽症から重症まで連続に分布しているので、そのことを、わざわざ「スペクトラム」とは言わない。光はただ波長が違うだけの電磁波なのに多彩に見える。本質的には同一なのに多彩に見えるとき、スペクトラムと言う。すなわち、昔のアスペルガー症も自閉症も同根だというのが、DSM-5タスクチームの主張なのである。

だから、「スペクトラム」の語の使用は政治的な配慮からくるものであって、科学的な根拠があってではない。

ADHD は DSM-5 のAttention Deficit / Hyperactivity Disorderの略である。日本精神神経学会が訳したとき、「注意欠如・多動症」とした。この「/」や「・」は意味をもつ。「注意欠如」と「多動」を同時に示す子どもたちもいるが、「注意欠如」だけを示す子どもたちも、「多動」だけを示す子どもたちもいるからだ。岩波明の本では「・」が省かれている。これは単純ミスでないようだ。57ページにDSM-5のADHD診断基準がのっているが、基準の前につけられているラベルのA1、A2、B、C、D、Eの説明が本にない。診断名ADHDが下されるために、アルファベットのラベルは、その基準がすべて満たされる必要があることを示す。数字がついているときは、そのいずれの基準が満たされるのでも良いということである。A1は「注意欠如」に対応し、A2は「多動」に対応するのである。

「神経発達症群」の説明で、その中から「コミュニケーション症」の説明が岩波の本から欠落している。DSM-5では「自閉スペクラム症」と「コミュニケーション症」とを分離した。これによって、言葉の発達が遅い、対人関係に問題がある、だけでは、「自閉スペクラム症」とはならないことを、DSM-5タスクチームは明確にした。

岩波明は本で「過剰な診断と過少な診断」とを避けるべきだとしているが、その具体的な手段に関して、のべているわけではない。これでは、単に、昭和大学の自分の診療科に来い、と言っているだけになる。冷静に考えれば、正常と異常の境目が恣意的なものだから、「過剰」「過少」はどの立場から問題をとらえているかで、結論は異なってくる。DSMタスクチームは、境界を患者の困り具合として、判断を避けている。

『発達障害』は、読めば、読むほど、気がかりな点がでてくる本である。



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