猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

教育を理由に子どもに暴力をふるうヴィクトリア朝イギリス人

2022-02-10 22:14:45 | 教育を考える

映画『どん底作家の人生に幸あれ!』を見て、ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』(新潮文庫)の第1巻と第2巻とを図書館から借りてきたが、読み進まない。あと、第3巻と第4巻があるのだが。

別に中野好夫の訳が悪いのではなく、小説に書かれている約200年前のヴィクトリア朝のイギリス人があまりに粗暴であるからだ。胸糞が悪くなる。

主人公デイヴィッドが生まれる前に父が死に、彼がものごころがつく頃に、母が再婚する。母が再婚する前にデイヴィッドを「坊っちゃん」と呼んでいた継父(ままちち)は、再婚すると、算数やラテン語の勉強を強要し、できないといってデイヴィッドを鞭うつ。鞭うつために勉強を強要しているように思える。

デイヴィッドは鞭うたないでと必死に継父にしがみついてその手を噛んでしまう。継父に殴られたあと、こんな子はおいておけないと矯正塾のようなとこに入れられる。そこの校長は、子どもたちを鞭うつのが趣味で、なんかかんかの理由をつけて、鞭うつ。子どもたちは恐怖でおびえまくっている。しかも、なんの咎がない ふっくらとした小さい子 トラドルズをいじめるために とりわけ 鞭打つ。

デイヴィッドの母親が継父にいじめられて死ぬと、もう矯正も不要だと、ロンドンの酒ビンのリサイクル工場(こうば)に放り込まれる。

明らかに子どもの虐待である。ところが、ディケンズのこの小説が、ヴィクトリア朝のイギリス人に、感動をもって読まれたのである。ということは、当時の普通のイギリス人は多かれ少なかれ虐待を受けた経験があるのではないか、と思われる。子どもの虐待はあってはならないことだと受け取られるよりも、俺もそういうときがあった、可哀そうだなと、涙を流しながら読んだのではないだろうか。

もちろん、今の日本でも、内縁の継父による子どもの虐待がメディアで報道される。しかし、あってはならないことだと報道される。子どもを鞭うつなんて聞かない。警察に捕まらないように、傷跡が目立たないように、通常虐待する。子どもを虐待してはいけないということが、社会の常識になっている。

学校でも教師による体罰は禁止されていると私は思いたい。

私の記憶によると、小学校で教師が子どもに暴力を振るうことは一度もなかった。現在はどうなんだろう。私の長男がいた公立小学校で、暴力を振るう先生がひとりいたという噂があったが、本当だったのだろうか。

私の中学時代に、暴力をふるうと脅す先生がひとりだけいた。社会科の先生で、愛の鞭だとかいって、指示棒をしならせながら、席のあいだを歩くのである。ただ、その愛の鞭を本当に使ったのは見たことがなかったが、それでも、十分に恐怖をもたらした。

子どもに恐怖を与えるだけでも、私は虐待だと思う。あってはならない。

書いているうちに思い出したが、引きこもりを矯正するといって、子どもを施設に閉じ込め、暴力を振るう業者が日本にある。これも、法律で取り締まることができないか。子どもが殺されることで、表にでることがあるが、暴力で人を従わせることは、理由がなんであれ、犯罪である。



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