猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

目を合わさないのは「ヨコ社会」になったからか、倍賞千恵子

2019-04-27 23:40:08 | こころ


きょう、倍賞千恵子が、TBSテレビの『サワコの朝』で、「ヨコ社会になって、目を合わせて話さなくなった」と語り、私はびっくりしてしまった。

倍賞千恵子は、山田監督の「寅さん」シリーズで、寅さんの妹役を務めた、ことし78歳になる女優である。監督のもとでの映画作りは「人間としての学校」だった、自分は相手の目を見るよう教えられて良かった、と言う。

この中で飛び出た言葉が「ヨコ社会になって」である。

「目を合わす」ことは、いいことだと思うし、昔から 私はそうしている。
しかし、「ヨコ社会」は、「タテ社会」の反対で、人間の対等性を重んじる社会をふつういう。これと「目を合わさない」ことと何の関係もない。

類似の間違った思い込みに、「自閉スペクトル症」の子どもたちは「目を合わさない」というものがある。実際に、自閉スペクトル症やその傾向の子どもたちを集めて「目を合わす」訓練をさせる変な施設もある。

目を合わさないというのは、単に相手が怖いからである。外猫でも、安心すると、目を合わすようになる。私はNPOで色々な子どもたちを相手にするが、どの子も目を合わしてくるようになる。

ひとびとが目を合わさなくなったというのは、「ヨコ社会」になったからではなく、ひとびとが移動し、知らないひとが隣人になるようになったからだ、と思う。対等な人間関係が尊重されるようになった、とは少しも思わない。決して「ヨコ社会」になっていない。そればかりか、「タテ社会」があちこちにみられる。

私が、アメリカ社会で感心するのは、目が合うと、見知らぬ私に、にっこりして見せることである。移民社会で、移動社会で、敵意がないことを示すために、目があったら微笑むという習性を身につけたのであろう。

10年以上前、電車の中で、見知らぬ男と目が合ってしまった。私がにっこりすると、「おっさん、男が好きなのか」と言われてしまった。

日本はまだ知らないひとと顔を合わせたとき、どうするか、社会的慣習ができていないようだ。

日本のスーパーのレジで店員に「ありがとう」を言うと、身構えられる。店員は入れ替わるので、いつまでも、私は「見知らぬ人」である。近所のパン屋では、ようやく、「ありがとう」が店員に受け入れられ、雑談もできるようになった。

「見知らぬひと」と目があったらにっこり微笑む、「見知らぬ人」のサービスに「ありがとう」を言う、これは、移動の激しい「ヨコ社会」の生きる基本だ、と思う。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿