猫じじいのブログ

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原発炉心損傷事故の確率なんて求まらない、これからも起きるのだ

2021-03-18 22:53:56 | 原発を考える


ここしばらく朝日新聞は原発の安全管理が行き届いていたかの検証記事を続けて連載している。私はこの努力を評価する。

『炉心溶融事故件研究者』の3回目の記事に、「国際原子力機関(IAEA)は、炉心損傷事故の確率を既設炉で1万年に1回、新設炉で10万年に1回、新設炉で10年に1回を下回るべきだと目標を掲げている」とある。

他の産業とくらべ、少数の原発しか建設されていない中、炉心損傷(メルトダウン)の事故確率なんて計算できるのか、と私は思う。この数値は、単に、チェルノブイリ原発事故やスリーマイル島原発事故を受けて、既設炉で1万年に1回と言っているだけである。しかも、これらの事故は人為的ミスで起きた。

私がいた会社で液晶ディスプレイを生産していたことがある。液晶ディスプレイの画面は100万くらいのセル(画素)からできている。その1つのセルが欠陥であれば、ディスプレイは不良品である。1日に1000台出荷すると、1日に10億のセルの検査があることになる。したがって、何個、欠陥が出るかの確率を求めても意味がある。設計や生産工程の改良でどこまで不良品を減らせるか、出荷前の検査の精度と効率をどうあげるか、などの研究が具体的に行える。

ところが、原発の場合、そうはいかない。第1に炉心損傷事故が起きたら、膨大な被害をもたらす。第2にそんなに原発事故が起きない。世界の原発で、500基弱の原子炉ある。1万年に1回というと、20年に1回、どこかで事故が起きていることになる。しかし、それでも頻度が少ないから、事故を確率的に抑えるとは、どだい無理である。

国際原子力機関は原発推進の機関である。したがって、意味のない確率で安全に原発を運用できると、世界をだまかすために、数値目標を掲げただけである。そして、その推進機関でさえ、事故が起こったので、起こりうると言ったのである。重大事故がこれからも起きるという認識こそがだいじなのだ。

したがって、原発を動かさないのが一番正しい。私は再稼働に反対である。動かさないで日本の経済に何の問題も生じなかった。

それに、炉心損傷事故が起きたとき、それを的確に迅速に対処し重大事故に至らないようにする体制を確立しないで、日本政府が原発を動かすというのは、正気の沙汰でない。原発規制委員会は法規制を守っているかの書類審査を行っているだけで、法規制が技術的問題や運用の安全を保障できるはずはない。

原発で炉心損傷事故が起きたときの対処方法について、国が原発メーカー、電力会社を含めて現場で研究を行っているのか。そして、事故が起きたとき、指揮を誰がとれるのか。首相も原発メーカーの社長も電力会社の社長が指揮をとれるはずがない。彼らに知識がないからである。平時から炉心損傷事故対処のチームをつくり、そのチームの長に、首相や社長より強い権限を与えるべきである。チームの長には、NHKのドキュメンタリー番組で指摘していたように、チームメンバーに死んで来いといわなければならない局面がある。

そうできないなら、原発を再稼働してはいけない。重大事故は起きるのである。津波とか火山とか地震だけでなく、人為的ミスでも起きるのである。あるいは、原発規制委員会が指摘しているように、テロでも起きるのである。

3月14日の朝日新聞の記事『「原発事故、起こるべくして起きた」東電元エースの告白』に電力会社のお粗末な実情が報告されている。

〈東電の司令塔である企画部で順調に出世街道を歩んでいた男性は事故の3カ月後、上司から事故の調査報告書のとりまとめを命じられた。しかし、男性が報告書の原案で原因に触れようとすると、会長の勝俣恒久ら経営陣からは厳しい言葉が飛んできた。
 「事実に立脚していないことは書く必要はない」
 「なんでお前が勝手に決めるんだ」
 男性は「事故は天災で防ぎようがなかったというシナリオを求めている」と感じたという。〉

これは、特に電力会社だけで起きていることではなく、日本の他の製造業でも頻繁に起き得ることである。会社のお粗末さを外に漏らすなということである。ただ、それによっておきる被害の規模は、原発事故に比べてはるかに小さい。

日本の裁判所が勝俣を有罪にして刑務所に送らなかったのは、とても残念である。きのう、伊方原発の再稼働差し止めも広島高裁でひっくり返った。司法も政府や民間企業の経営陣と同じく頭がいかれているのではないか。


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