猫じじいのブログ

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トルストイの『イワンのばか』の奇妙な設定

2021-09-15 23:11:41 | 童話

トルストイの童話に『イワンのばか』がある。物語は、裕福な農夫に3人の息子と娘がいて、一番上の兄は軍人のセミョーン、つぎは商人のタラース、一番下がバカのイワンで、娘はおし(啞)であったという物語である。

ヨーロッパの昔話には、3人の息子がいて、兄の二人は失敗して、一番下の息子だけが成功する物語が多いが、トルストイの設定には、よくある物語と違う点がある。

まず、親が裕福な農夫であることだ。財産があるのである。その設定は、上の兄ふたりが、親の財産をとってしまって、イワンとおしの妹に財産が残されない、という展開にいかされている。しかし、奇妙なことに、イワンには身を粉にして働く農地が残されている、そんな設定だ。

兄たちが軍人、商人という設定も、昔話とは異なる。トルストイが生きた時代のロシアでは、軍人が一番威張っていて、商人は楽をしてお金儲けができ、農夫だけが身を粉にして働いている、だから、農夫はばかであるという設定である。これって、私たちの感覚からすると、無理な設定で、政治的プロパガンダのようにも、思えるかもしれない。

「裕福な農夫」の息子たち、イワンに農地が残される設定には、「社会主義」「共産主義」との接点がない。トルストイの設定には、田舎の生活からみた都会の生活への批判のほうが大きいと思う。

セミョーンの妻もタラースの妻も際限なくお金を使うので、彼らがいくら稼いでも足りないという設定になっている。たぶん、トルストイは町の生活をそのように見ていたのであろう。

トルストイには、町の貧困な多数の人たちが見えていない。土地から追い出された人々が職を求めて町に住みついたことが、貴族のトルストイは わかっていない。

イワンが兄たちの言いなりになって怒らないのに 悪魔が腹をたてるというのが、トルストイのいつもの物語設定である。欲のために不和がおきるというのが、悪魔の望むことになっている。この点で、トルストイは とても教訓的な人である。

悪魔はイワンに欲を起こさせようとして、わらから兵隊を作る魔法や、葉っぱから金貨を作る魔法を授けるが、イワンは軍人のセミョーンにその兵隊を、商人のタラースにその金貨を渡してしまい、ただただ働くイワンの心を変えることができない。

童話だから、ばかのイワンは、王様の娘の病気を治し、とつぜん王様になる。ここは、昔話のパターンである。

しかし、ばかのイワンの治める国は ばかな農夫ばかりから成り立っているというトルストイの設定である。こういう昔話は読んだことがない。

外国から軍隊が攻めてくるよう、悪魔が仕向けても、イワンの国民は抵抗しない。略奪や殺戮を悲しそうにみているだけである。攻め入った兵士は戦闘意欲を失い、散ってしまう。

日本が中国に進軍したとき、抵抗しない中国人に嫌気がさして日本兵が戦闘をやめたとは、聞いたことがない。ふつう、兵士は軍事訓練を受けて、無差別に人を殺すよう洗脳されている。逆に、日本が外国の軍事侵略を受けたとき、無抵抗でありえるだろうか。逃げるしかないようにも思える。

失敗した悪魔は、つぎに、金貨を大量に持ち込むが、イワンの国民は金貨をものの売買に使うことを思いつかない。家に金貨を飾ってもありすぎるから欲しいとも思わない。

それで、悪魔は食べ物を金貨で買えなくなり、ひもじさのため、イワンの国民に塔の上から「手で稼ぐのでなく頭で稼ぐのだ」という大演説をする。ひもじさのため よろめき、頭から落ちて死ぬ。イワンと国民は、「頭で稼ぐ」のは大変ことだと、言いあうのが、『イワンのばか』のオチである。

トルストイの『イワンのばか』に蛇足があって、兄たちが職に失敗して、イワンに養われることになるが、働かないから、みんなの食べ残しを食べるという設定である。おしの妹は、働かない人たちに厳しくあたるのだ。

トルストイの滅茶苦茶な設定の童話だが、革命前夜のロシアでは、リアリティがあったのだろう。設定が滅茶苦茶すぎて、これでパロディ映画を作ったら、現代でも、結構ヒットするかもしれない。



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