Googleマップでパレスチナのガザ地区の航空写真を見ると、難民キャンプとモスクだけでなく、住宅も大学も学校も病院も教会もサッカー場もショッピングモールもスーパーもレストランもある。北部には耕作地や果樹園がある。
ガザ地区の面積は365 km平方で、福岡市の343 km平方より大きく、横浜市の437 km平方より小さい。ガザ地区の人口は238万人で、福岡市の161万人より多く、横浜市の378万人より少ない。人口密度で比べると、ガザ地区は6,508人/ km平方、福岡市は4,695人/ km平方、横浜市は8,630人/ km平方である。
数字をあげたのは、イスラエルがガザ地区を封鎖していなければ、十分に文化的な生活をおくれる広さであることを強調したいからだ。
現実のガザ地区は、陸側が高さ6メートルの分離壁で囲まれ、海側がイスラエル海軍によって封鎖されている。したがって、自由に食料や燃料や水を他の場所から得ることができないし、工業製品の輸出もできない。
ガザ地区もヨルダン川西岸のパレスチナ自治区も、名前だけが自治区で、イスラエル政府と軍は、パレスチナ人を「天井のない檻」に閉じこめて、イスラエル側の判断で空爆をしたり、地上軍を送ったり、艦砲射撃を行ったりして、パレスチナ人の生命と財産を奪っている。
イスラエル政府は封鎖を解いて、パレスチナ自治区のガザ地区が自由に海外と貿易できるようにしないといけない。自治区を武力攻撃してはならない。
パレスチナとイスラエルとはなぜ争うのか。あるいは、イスラエルは、なぜ、そんなにパレスチナ人をいじめるのか。
放送大学名誉教授の高橋和夫は宗教的対立でなく「土地争い」だと言う。1週間前の朝日新聞の『オピニオン&フォーラム』で慶応大学教授の錦田愛子は「土地とアイデンティティ―を巡る争い」と言う。
この「アイデンティティー」とは、パレスチナ人にとって「ナクバ(大災厄)による離散という体験」と錦田は言う。ナクバとは武力によるイスラエル建国のことである。
それでは、イスラエル人のアイデンティティーとは何か。新バビロニアやローマ帝国によってパレスチナの地を追われ、世界に離散したということと、ヨーロッパで少数派の異教徒として迫害を受けたことで受けたことであると、新聞のインタビュー記事から錦田は言っているように読み取れる。
パレスチナのナクバは、75年前のことである。ユダヤ人の離散は2500年以上も前に始まったことだ。それに、立教大学教授長谷川修一の言うように、ヘブライ語聖書は歴史書ではなく、離散したユダヤ民族を束ねるための偽書である。
問題はそれだけでない。ユダヤ人政治哲学者のハンナ・アーレントが『全体主義の起源』の第1部「反ユダヤ主義」で指摘しているように、ヨーロッパで少数派の異教徒として迫害をうけたのではない。宗教的問題ではない。
アーレントは19世紀に始まった反ユダヤ人主義と、それまでのユダヤ人に対する社会的憎悪を区別すべきとする。
ユダヤ人は異質な閉鎖的なコミュニティを作っており、それぞれの地で、権力者に、その地の下層民(大衆)より、優遇されていた。そのことから、社会的憎悪は生じるが、暴動でのユダヤ人商店の略奪程度のことで、反ユダヤ主義のホロコーストのような国家によるユダヤ人抹殺にいたらなかった。
アーレントは反ユダヤ主義はイデオロギーであると言う。私の言葉で言えば、思い込み(信念)である。ユダヤ人を追放あるいは抹殺しなければ、自分たちが生きていけないという思い込みである。ユダヤ人は国際的つながりがあり、お金もあったので、国家権力からみると利用価値があったが、19世紀からしだいに、国家権力がユダヤ人の国際性や貸付を必要としなくなるにつれて、反ユダヤ主義のイデオロギーが政治の場で力を増したとする。
ナチは、第3帝国を建設する(世界を征服する)ための障害となると思い、ドイツに同化したユダヤ人、キリスト教に改宗したユダヤ人まで殺害したのだ。アーレントによれば、ナチが権力を握る以前に、ドイツのユダヤ系銀行は没落していたのにもかかわらずに、ユダヤ人せん滅を主張した。
この「反ユダヤ主義」がイデオロギーであるというアーレントの考察は、現在のイスラエルの「パレスチナ人はテロリスト」「ハマスせん滅」にも言えるのではないか。
武力によるイスラエル建国で、シオニストはパレスチナ人の土地と命を奪った。大日本帝国も、戦前、朝鮮人や中国人を殺して土地を奪った。しかし、日本政府は謝罪して土地を返している。
すでに多数のユダヤ人が東欧からやってきてパレスチナの地に住んでいる。今さら、イスラエル政府が土地を返すといっても、これらのユダヤ人の行くところがない。ならば、少なくとも、イスラエル政府と軍がやってきたことを謝罪し、パレスチナ難民に賠償すべきではないか。そして、イスラエル国は、自治区をパレスチナ国家として承認して、パレスチナ人の恣意的な拘束、殺害をやめ、自由な貿易を認めるべきではないか。
そして、ゆくゆくはイスラエル国とパレスチナ国は一体となり、アイデンティティ―なるつまらぬものは、ともに捨てるべきである。
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