いま日本のテレビでは、軍事専門家や研究者は、ロシアがこんなに露骨にウクライナに軍事侵攻をする思っていなかったと言う。
私が推察するに、介入してくるなら核を使用する覚悟をもって、小国を軍事侵攻する限り、核戦争を恐れている世界は軍事をもって反撃しないと、ロシアのプーチン大統領が確信しているからだと思う。
現在の事態は、そのように動いている。だれもウクライナを守るために兵を送らない。核は戦争の抑止力になっていない。核を使うと覚悟を決めている者のやり放題となる。いまから90年以上前のヒトラーがオーストラリアやチェコやポーランドに進行したときと同じことが起きている。
ロシア内で反プーチン運動が起きて政権が倒れれば、ロシアによるウクライナの軍事的支配を止めることができるだろう。しかし、EUやアメリカの経済制裁だけでは、プーチンの狂気を止めることはできないだろう。
もしかしたら、プーチンの狂気を止めるために、核戦争が起きるかもしれない。
きょう、日テレで宮根誠司が、ウクライナはロシアの兄弟国だとやたらと言っていたが、そんなことで軍事侵攻を正当化されたら、たまったものではない。軍事侵攻とは力づくで人を従わそうということである。ウクライナの人びとがロシアの政治体制を嫌っているから、別の国としてあるのだ。
私はウクライナの歌が好きである。ケイシー・シシック (Квітка Цісик)の歌が好きである。
ウクライナは17世紀から18世紀にかけてコサックが民主的な自治を行う国であった。王がいなかったのである。それが、ウクライナの中央を流れるドニエプル川をはさんで、東側がロシアに侵略され、西側がポーランドに侵略された。単純にロシアとウクライナは兄弟国とはいえない。両国がスラブ語を話すからと言っても、ヨーロッパの東側は広範囲にスラブ語を話す。それは、ゲルマン語をドイツでもオーストラリアでもスウェーデンでもノルウェーでもオランダ―でもデンマークでも話すのと同じである。それぞれの抱えている歴史が違い、自分たちの文化・社会制度を維持したいと思うから、国がわかれる。国が大きいだけが良いのではない。