2日前、私の妻は、地下鉄サリン事件のニュースが新聞にのっていないと怒っていた。25年前の1995年3月20日に、オウム真理教団は、東京都の運転中の地下鉄車両に有毒ガスのサリンをまいたのである。千代田線、丸ノ内線、日比谷線の5つの電車でサリンをまいたのである。
地下鉄サリン事件のあの日、わたし自身は、地下鉄電車が霞が関駅を止まらず通過し、おやと思ったのを覚えている。ちょうど、医療システム構築の仕事をしていて、築地のがんセンターに着いて事件を知った。
同じ日、乳がん手術後の私の妻も、定期検診のため、地下鉄にのって虎ノ門病院に行った。サリンに倒れた市民たちが次々と病院に運び込まれるのを妻は目撃した。
その日、私も妻も、わずかな時間差で、サリンがまかれた車両に乗らないですんだ。
新型コロナウイルスの騒ぎで、地下鉄サリン事件のことが新聞から消えてしまった。オウム真理教団幹部と実行犯の13人に死刑判決を下し、2年前に死刑を執行した。だからといって、サリン事件のようなことが2度とおこらないとはいえない。
韓国の新型コロナウイルスの感染拡大は、新天地イエス教会の集団礼拝スタイルが関係しているという。その教祖の謝罪会見で、信者の子をもつ親が押しかけて「子供たちを返せ」と叫んでいる様子がテレビで映し出された。
オウム真理教団でも、親たちは、子どもが「洗脳」によって教団に囲い込まれ、親子の関係が引き裂かれたと訴えた。オウム真理教団から親たちが子どもを取り戻すことを助けていた坂本堤弁護士は、地下鉄サリン事件の6年前に、教団によって、妻と子供ともに殺害されていたのである。
なぜ、人は、このような宗教団体に誘い込まれてしまったのか。単に「洗脳」と言って済ますわけにいかないのではないか。
新天地イエス教会の元信者は、自分が社会で孤立しているとき、やさしい声をかけられたからだという。そして、教団に参加することで、自分をはるかに超えた強い力に包まれたと感じ、やすらぎを得た。自分でものごとを判断する必要がなくなったという。
エーリック・フロムは、「自由からの逃走」に、強い者にひたすら頼り、自我を放棄するタイプがあり、最も多いタイプという。その強い者は宗教なら救世主や教祖であり、政治では大統領や首相である。
いま、首相に命令されなければ、何をなすべきか、何をなしてはいけないか、わからない人は、オウム真理教の信者や新天地イエス教会の信者とかわらないと思う。