日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 標題通り、今回は邪推満開でいきます。いや世間は土曜日なようですし、たまには酒でも喰らって政争の話でもしたいじゃないですか。悪酔いして長くなるかも知れませんけど(笑)。

 政争は現在進行形です。例によって「胡錦涛派vsアンチ胡錦涛諸派連合」という組み合わせだと思うのですが、今回は「中央vs地方」という色合いが濃く出ているように感じられます。ただし、「諸侯」たる地方政府に向き合う「中央」は一枚岩ではなく、胡錦涛の威令は中央に限っても隅々にまで及んでいるようにはみえません。どうも危なっかしい。

 そこで胡錦涛は目をつぶって禁じ手を使ったようにみえます。軍部と手を握ることです。より正確にいえば、軍主流派が本来その本分ではない政治面、特に外交政策などに容喙することを許容したのではないかと。

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 「諸侯」の勝手な振る舞いを抑えるために、胡錦涛は「団派」と呼ばれる共青団系人脈、つまり自分の出身団体に連なるホープを省・自治区・直轄市のトップクラスに送り込むということを以前からやっています。しかしこれは即効性のある方法ではありません。

 普通の会社でもそうですが、外部から招聘された新任の上司に、地生えの部下がすぐ馴染むということはないでしょう。ある種の演出したり懐柔したり実力を示したり、あるいは有力な後ろ盾(上司の上司など)の存在を明示・暗示したりして、新任管理職は次第に統率力を高めていきます。むろん、そうしたケースの全てが支配力を確立できる訳ではなく、逆に部下たちからソッポを向かれたり、丸め込まれて操り人形にされるという失敗例も少なくありません。

 地方に送り込まれるホープたちも大変です。後ろ盾の胡錦涛は「党総書記+党中央軍事委員会主席+国家主席」という形式上の最高実力者ながら、その権力基盤は磐石ではなく、実に心許ない。その証拠に2004年9月の胡錦涛政権発足以来、対日路線の修正反日騒動呉儀ドタキャン事件といった党上層部におけるグラグラがありました。

 そのいずれもが日本関連なのは、江沢民の負の遺産によるものでしょう。米国との正面衝突を回避しているという側面もありますが、政治家や研究者にとっては「反日」が一種の踏み絵となり、30代以下の若い世代には「反日」風味満点・中華万々歳の「愛国主義教育」が「常識」として刷り込まれています。洗脳といってもいいでしょう。

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 ただ洗脳といっても人によって濃淡はありますし、自分あるいは家族の生活がある訳ですから、「洗脳」されていてもそれをストレートに現実社会での行動に反映したり、日本人に石を投げたりする訳ではないでしょう(だからネットが反日言論で賑わう訳でw)。また中共政権への批判などが封じられているなか、いくら悪し様に罵ってもいい唯一開かれた窓口が「反日」ですから、純粋な「反日」だけではなく、自分の属する社会に対する鬱憤晴らしの手段に使う、という側面もあります。

 いや、むしろ江沢民による「反日」は元々1989年の天安門事件で地に堕ちた中共政権の求心力回復の一策として、「鬱憤晴らし」や「社会問題から目を逸らさせる」ために持ち出されたものでしたね(笑)。そうした背景がある一方で、日本政府の対中外交が近年、本来あるべき姿へと大きく舵を切ったことも忘れてはなりません。

 それに対し、今までふんぞり返っていた中共が勝手に動揺し、脊髄反射し、ストレスを蓄積させた。それが上述したような党上層部のグラグラへとつながりました。

 ここで強調しておきたいのですが、よくテレビや新聞で「小泉首相の靖国神社参拝などによって悪化した日中関係は」などという言われ方をしていますが、これは全くの誤りです。
靖国神社や歴史教科書という日本の内政問題に中共政権が容喙するからこそ摩擦が起きている訳で、非は内政干渉という「日中間で取り交わされた3つの政治文書」に反する行為を繰り返す中共政権の側にあります。

 要するに他人の家に土足で踏み込むような無理無体をしていた中共政権が、それが通用しなくなったために動揺し、脊髄反射し、ストレスを蓄積させた挙げ句に内政面での仲間割れが顕在化した訳です。そのいずれも「倒閣運動」の色彩を秘めた主導権争い。

 もっとも、直接的なきっかけは「反日」を軸とする政策論争でしょうが、その看板を掲げつつ、実は「反日」に名を借りた「中央vs地方」のような利害対立が根になっている、という部分もあります。……その辺が複雑なので「アンチ胡錦涛諸派連合」と当ブログでは括っています。旗印は「反日」でも動機は十人十色、という訳です。

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 冒頭に「今回の政争は」というような書き方をしましたが、厳密にいえば、昨春の反日騒動以来の政争にはいずれも決着がついていません。反日騒動が第1ラウンドなら呉儀ドタキャン事件が第2ラウンド、というように、複数の政治勢力による対立という大きな流れの中で反目が突出したり顕在化したりした時期が政争扱いされているといったところでしょう。そしてそのいずれにも白黒がつかないままです。

 権力闘争といえばトウ小平が1992年、南方視察によって「改革・開放」に異論を唱える保守派を壊滅させ、「改革・開放」を大前提とすることで決着した一連の出来事を私は思い出します。ここ1年来の数ラウンドに及ぶ政争において、そういう明々白々とした決着が毎回つかずに痛み分けてしまうのは、対立する双方がともに小粒で「トウ小平」のような決定的なカードを持っていないからでしょう。

 どちらも相手をKOできないために、機会があればまた政争が起きる訳です。民意が政治に反映されず、一党独裁制で、それなのにカリスマ不在で小粒だらけの集団指導制、という効率の悪さ(笑)を反映しているようでもあります。

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 前にも書きましたが、中国における政争、権力闘争は往々にして双方が支配下に置くメディアを使っての代理戦争、という形をとります。例えば1992年の権力闘争においては
「『解放日報』(改革派)vs『人民日報』(保守派)」であり、昨春の反日騒動では「『中国青年報』(胡錦涛派)vs『新華社』(アンチ胡錦涛諸派連合)」でした。これは消息筋を全く持たず、報道のみを拾って中国観察の真似事(チナヲチ)をしている私には大変有り難いことです。

 今回の政争の起点をどこにおけばいいのかは迷うところです。とりあえず政争関連で反日騒動、呉儀ドタキャン事件に続く大きな出来事といえば、2005年9月3日の「反ファシズム何たら60周年記念式典」での胡錦涛演説でしょう。この重要講話で胡錦涛は対日戦争について、

「正面を国民党が担当し、後方を共産党が担当した」

 とはっきり言及しています。

 http://news.xinhuanet.com/newscenter/2005-09/03/content_3438800.htm

 そんなことは中国の歴史教科書のどこにも書かれていないでしょうし、その僅々2週間前の党中央機関紙『人民日報』が掲げた戦勝記念重要論文でも
「中国共産党が抗日戦争における唯一の中核であり、勝利を勝ち取る上での柱であった」というような趣旨になっていました。

 http://politics.people.com.cn/GB/1026/3614204.html

 この2週間の間に
中共によって恣意的に歴史が塗り替えられたのです。中共政権にあって歴史とは統治者に便利使いされる道具にすぎないものであることを、かくもはっきりと示したのは近年稀にみることでしょう(笑)。

 同時にこの2週間の間に、胡錦涛が「歴史を塗り替える」ことで最も反発するであろう軍部を説得することに成功したのだと思います。その手前である7月あたりに人民解放軍や武装警察(軍と公安部に両属する準軍事組織)の幹部に対する階級昇進・ポスト昇格を派手に行って御機嫌とりに努めていますし、軍高官に対しては「国民党の顔を立てれば台湾独立派には打撃になるし、台湾統一への動きも強まる」といった囁きをしきりに繰り返していたのでしょう。

 その結果、「歴史を塗り替えた」9月3日の重要講話前後から、人民解放軍の機関紙である『解放軍報』による胡錦涛礼讃が始まります。『解放軍報』が動いたことで、胡錦涛と軍主流派が手を組んだことがうかがえます。ことさらに「主流派」と書くのは『解放軍報』を掌握している筋、という意味で、例えば熊光楷大将、劉亜洲中将、朱成虎少将といった軍内部でも対外強硬派で鳴らす電波型将官たちはここには含まれません。

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 重要なのは、胡錦涛は軍主流派と合作しただけで、軍部を掌握した訳ではないということです。それでも協力を得られないよりはマシでしょう。呉儀ドタキャン事件の前後でかなり低下したとみられる胡錦涛の指導力は、これによってかなり回復したものと思われます。ただし、回復したといっても中央を仕切れるだけの統制力には至っていませんし、地方に対する睨みも十分ではない。その証拠に江沢民の全盛期に盛んに使われた「核心」という言葉、

「江沢民総書記を核心とする党中央」

 というような言い回しですが、胡錦涛はまだこの「核心」をつけてもらうことができず、

「胡錦涛同志を総書記とする党中央」

 と一段低い扱いになっています。それからこの時期、2005年の晩夏から初冬にかけて問題となったヤミ炭鉱や炭鉱をめぐる官民癒着の是正についても地方当局の抵抗があり、改善作業が順調に進んだとはいえませんでした。この炭鉱問題は「諸侯」に対する中央の統制力が不十分であることを示すとともに、胡錦涛が各地に送り込んだホープたちが未だに部下(地元のボス)をしっかりと掌握できていないことを物語っているかと思います。

 指導力はある程度回復したものの、胡錦涛が最高実力者として十分なレベルに達していないことは、10月上旬に開かれた党の重要会議「五中全会」(第16期中央委員会第5次全体会議)で何の人事異動も行われなかったことでも明らかです。

 中国共産党の党大会は5年に1度開催され(前回の第16回党大会は2002年、次の第17回党大会は2007年)、そこで今後5年間の基本路線や主要人事・大型人事が定められます。

 ただし次の党大会までの5年間に複数回開催される「×中全会」でも人事異動はあり、例えば一昨年の「四中全会」では江沢民が党中央軍事委員会主席職から引退し、その後を胡錦涛が襲うことで名実共にした胡錦涛政権がスタートしています。

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 さてこの「五中全会」ですが、過去の例に照らせば必ずといっていいほど人事が行われてきました。5年間に開かれる「×中全会」の数はそう多くありません。ホップ・ステップ・ジャンプの三段跳びでいえば、狙っていた人事を仕上げる「ジャンプ」が党大会。

 そこから逆算すると「五中全会」は「ホップ」または「ステップ」としては外せない機会で、例えば地方のトップに置いて経験を積ませていた腹心や後継者をここで党中央、具体的には政治局委員や政治局候補委員、あるいは中央書記処書記といったポストに呼び込んで中央における党務に習熟させ、「六中全会」でさらに一歩昇格させておいて、党大会で事実上の最高意思決定機関である党中央政治局常務委員会に滑り込ませる、といった青写真が描かれます。

 カリスマ不在の集団指導制ですからかつての江沢民や胡錦涛の大抜擢といったサプライズ人事が行われる可能性は低くなっています。それだけに三段跳びで順調に昇格させることが大事であり、「五中全会」で人事が行われなければ、党大会までにどこかで無理をしなければならなくなります。

 ……ところが上述したように、胡錦涛はその人事に一切手をつけることができなかったのです。実名でいえばポスト胡錦涛と目される李克強・遼寧省党委書記の中央入りが実現せず、一方で上海閥の現地大番頭で、上海市を中央に容易に屈しない「大諸侯」たらしめている陳良宇・上海市党委書記を異動させることもできませんでした。もちろんコミュニケなどの公式文書で胡錦涛が「核心」扱いされることもなし。「胡錦涛同志を総書記とする党中央」のままです。

 主導権争いでは形式上の最高実力者として一応優勢めいた状態を維持できたとはいえ、人事を全く動かせなかった胡錦涛、目論見が崩れたというところでしょう。……そして、この「五中全会」の直後に激震が走ることになります。


「中」に続く)



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