睡眠不足です。
完全夜型生活なのにロクに寝ないで昼間に動くからそうなるのですが、今日は仕事の打ち合わせや前回のようなリアル糞青(自称愛国者の反日信者)の相手とかではなく、配偶者と「出口のない海」という映画を観てきました。
御存知の方も多いでしょうが、人間魚雷と称された特攻兵器「回天」を軸に学徒出陣組を描いた物語です。
――――
最近は本業・副業・当ブログに加え、わが愛機たるパワブクのOS転換(ようやくOSXメインに。ただしOS10.2.8なのでskypeが使えません……orz)という余計なこともやっているので、ヤフーで予告編を観るまで迂闊にもそういう映画が封切られるとは知りませんでした。
そんな具合ですから、原作があるようですけどもちろん私は読んでいません。予告編動画が良さげだったので観に行く気になりました。
予告編。……以前それで期待を膨らませて臨んだら内容が糞で大失望させられたのは正月の「男たちの大和」。その苦い経験がありますから多少の警戒感と心の準備をしつつ映画館に足を運びました。
ところが、今回は意外に良かったです。……いや正直に申し上げます。私にとってはツボだったらしく、不覚にも何度か涙腺を刺激されてウルウルしてしまいました。どうも私はベタな映画に弱くていけません(笑)。
配偶者も泣きっぱなしだったようです。ただ配偶者は「男たちの大和」でもそうでしたし、逆にどんなにつまらないコメディでも大笑いできるので(実にうらやましい)、当てにはなりません。
制作費では「男たちの大和」に遥かに及ばないでしょうけど、主要キャラの描き込みとテンポの良さは「出口のない海」に軍配が上がる、というのが私の感想です。
――――
学徒出陣組が主役ですから、当然のように雨の神宮外苑で行われた壮行会(1943年10月)の記録映像が登場します。そこで私はふと思い出しました。昨年の8月15日、すがすがしく静ひつな空気とよく晴れた空のもと、靖国神社に参拝したときのことです。
正確には、参拝を済ませて入った喫茶店で、店をやっていた菅井きん似のお婆さんが、この壮行会に見送る側で立ち会っていたと話してくれたことです。流れる記録映像を見ながら、あのお婆さんもこの中にいたんだなと思いました。
映画には主人公と淡い相思相愛の仲である女学生が登場し、やはりこの壮行会に見送る側で参加していました。靖国神社に参拝してきたというだけで何の縁もない見ず知らずの私に、
「昔の話ですけどねえ……」
と切り出して話してくれたお婆さんにも、あるいはそういう物語があったのかも知れません。
――――
ネタバレは避けますが、注文が2点。
まずは回天で青春を燃焼させた学生たちが自らの夢を断ち切り、故郷や大切な人たちを守るために生命を投げ出さんとしたその決意や行動が、現在の日本に、そして現在の日本に生きる私たち日本人にちゃんとつながっているんだ、というアピールがもう少しほしかったです。
その点で忘れられないのは、海軍報道斑員だった作家の故・山岡荘八氏が、特攻隊の基地になっていた鹿児島県・鹿屋基地で行った有名なインタビューです(今回の映画とは無関係ですが)。師範学校を卒業して出征するまでは教員をしていた特攻隊員の西田高光・中尉(戦死後少佐に特進)に対し山岡氏が、
「この戦を果して勝抜けると思っているのかどうか?もし負けても悔いはないのか?今回の心境になるまでどのような心理の波があったか?」
と尋ねたところ、教え子たちからの手紙に返事を書いていた西田中尉はその手を休めて、
「学鷲は一応インテリです。 そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし、負けたとしても、そのあとはどうなるのです………おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに………」
と返答するのです。
http://www.yasukuni.or.jp/siryou/1404.html
その2日後、西田中尉が爆装した零戦で出撃していくのを見送りながら、山岡氏は涙が止まらなかったそうです。
――――
注文その2。回天を搭載する潜水艦の艦長や乗員と回天搭乗員たちとの間の心の交流や、回天出撃を見送る艦長のやるせない想いを描き込んでほしかったです。
これについては体験談が結構あるのですが、映画の艦長は淡々とし過ぎていてちょっと拍子抜けしました。
実話では、回天が潜水艦から切り離されて発進する直前、
「最後に何か言い残すことはないか?言伝を引き受けるから」
と尋ねる艦長に、
「ここまで運んで頂いてお世話になり、本当にありがとうございました。皆さんの武運長久をお祈りします」
と答える回天搭乗員がいじらしく、そんな他人のことより家族や恋人へのメッセージだろ、言い残すことは本当に何もないのか、と艦長が胸の詰まる思いをしたことがあったそうです。
――――
ともあれ、回天という特攻兵器があった、という点については詳細に描写されていて、そのことは十分に伝わる映画です。
もし鑑賞されるのであれば、パンフレットもお勧めです。出演者・関係者・元回天搭乗員インタビューといったお約束の内容のほか、映画のあらすじが手際良くまとまっていたのが良かったです。
| Trackback ( 0 )
|
|
ウルシー環礁へ出撃した際の話を思い出しました
。
学徒に飛行機の乗り方教えて、効率良く、確実に体当たりする方法を教えた(祖父・談話)そうです。
戦後数年は、なぜお前だけ生き残った! と罵倒されまくり、死ぬまで靖国に行くことができませんでした。教え子たちの名前が載っている名簿を大切に持っていて、神棚に供えていました。
ガキだったころ「特攻ってバカみたいだよね?」と祖父に尋ねたことがあります。そのとき、祖父は淡々と教えてくれました。いま、自分(私)がここに生存でき、日本という国が存在できている理由を。
「教えた奴だけが生き残った。生きるべき若いやつらを殺した」
祖父は酒に酔うとそう言ってました。
正直、まだ私の中で、特攻というものが咀嚼しきれてません。
【成都(四川省)=宮沢徹
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20060919AT2M1801E18092006.html
四川省成都で反日デモ 日系店前で約40人
【北京19日共同
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2006091901000341
四川省成都で反日デモ 日系店前で約40人
【北京19日共同】
10倍も人数が違うのはどうしたことか。
四川から送ってきてる日経のほうが確度が高そうだが、街を練り歩いたときに参加したという
一般人を含むか否かの違いにすぎないのかな
そこまでしてそんなものを報道する必要があるのか。
いっさい黙殺すべし。語るに足りぬ。
当方、関西在住でなかなか靖国近辺の風景を身近に感じられず、御家人さんや皆様の靖国話をうらやましく妬ましく眺めております(笑)
以前、幕末明治の志士たちの物語にはまり込んでいた時期、京都伏見の寺田屋を訪れたことがありました。それは普通の町並みの中に突如として登場し、そこだけ時間が止まったかのような佇まいに何とも言えぬ衝撃を受けました。京都護国神社に祀られている志士たちの石碑を眺めたり、蛤御門の銃痕をそっと撫でてみたりと確かにそこに志士たちが存在した証を見るに、彼らとの繋がりといったものを感じることができました。蛤御門など何千回とその前を素通りしていたのですが、そこに銃痕がありそれにまつわる話を知り眺めると何時もと風景が違うから不思議です。
寺田屋で受けた衝撃は、坂本竜馬なる人物や志士たちが確かにそこに存在していたと直感した衝撃だったのかも知れません。
「現在の日本にちゃんとつながっているんだ」との一文を拝見し上記のようなことを脈絡なく思い出し、思わずコメントした次第です。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。