私は幼稚園生のころ故・坂井三郎氏の著作にハマって以来の零戦ファン。詳しくはありませんけど好きなのです。当時は半ば本気で「将来は零戦搭乗員になりたい」と思っていました。
その本はもうボロボロになるまで読みふけり、何度も読み返しました。幼稚園児が撃墜王の本?と言われそうですが、当時は小学生向けのシリーズ本が出ていたのです。前にも紹介したことがありますが、文庫化されていることを最近知って購入しました。
いまでも靖国神社を訪れると必ず遊就館に立ち寄って、喫茶室の指定席(自称)から展示してある復元された零戦を飽かずに眺めつつ、あれこれ思いを巡らすのが至福のひとときです。
立ち寄るのが夕方になるとちょっと慌ただしくなります。喫茶室は遊就館閉館30分前に店仕舞するからで、たまに閉店時間を過ぎたところに飛び込むと、
「すみません。コーヒーだけちょっと、いいですか?」
とお願いして冷やし海軍コーヒーを飲む時間をもらいます。そこはそれ、挨拶海坊主ですから店員さんたちが顔を覚えてくれていて、私の無理を聞き入れてくれるのです(いつもありがとうございますm(__)m)。
靖国神社へ行ったら喫茶室から零戦を眺めないと、落ち着かないというか、忘れ物をしたような氣になってしまいます。
いまは日が短くなっていますから、16時くらいに「指定席」に座ると、夕焼けがそのまま差し込んできたような陽光を浴びて開け放たれた格納庫に翼を休めている、といった風情の零戦を右斜め後ろから眺めることができます。これは期間限定の愉悦。
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「当時は半ば本気で『将来は零戦搭乗員になりたい』と思っていました」
というのは、幼稚園児ながらも「時代が違う」ということをおぼろげながらも認識していたのでしょう。大人から将来の夢は?などと聞かれると、
「新幹線の運転手!」
と「いかにも」な答でお茶を濁していました。……いや、当時もそうでしたが、私は小学生のころを通じて「鉄ちゃん」でもありました。時刻表を見るのが大好きで、あの細かな数字を飽きることなく追っかけていて仮性近視となり、親から時刻表を取り上げられた時期もあります。
方眼紙を買ってきてダイヤグラムを作成したり、切符を集めたりもしました。30年ほど昔のことですから、いまでは貴重な切符もあるかも知れません。個人的には寝台特急券などもいいのですけど、東北の田舎駅の入場券、もちろん硬券で裏に赤鉛筆で3本くらいチェックが入っているもの(わかる人にはわかる)などは、相場とは無関係に今でも宝物です。
その一方で零戦から日本海軍に関する本を読みあさったり、お小遣いをためて少しずつ御家人艦隊の陣容強化に励んでいました。ええウォーターラインシリーズです。100円で売っていた艦載機セットを「飛龍」「大鳳」「葛城」などに並べて独り悦に入っておりました。むろん周囲には甲型・乙型駆逐艦数隻と重巡「利根」、軽巡「長良」などを配して貧弱ながらも機動部隊の輪型陣。
戦闘機搭乗員という目標は、中学生のとき近視になり、高校生から眼鏡の世話になるようになってしまったのでもうダメです。新谷かおる風にいうと、「粉々に砕けてしまった夢のカケラ」を私はコミックではなく、たぶんこのブログに散りばめていることになります(笑)。
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そんな訳で私はいまでも零戦ファンですし、あの時代の日本海軍に関する本を読むのが好きです。ただ詳しくはなく好きなだけなので、晦渋なものには手を出しません。文庫本とかムック本といった程度です。
先日、こういう本を買いました。
![]() | ソロモンの激闘―ガダルカナル島争奪を巡る日米機動部隊総力戦の全貌 (歴史群像 太平洋戦史シリーズ Vol. 59)学習研究社このアイテムの詳細を見る |
素人向けの早わかり本で私の乏しい知識でもかなり重複しているのですが、歴史とは面白いもので、時を経るほど新事実などが発掘されて時代の顔かたちを鮮やかに改めていきます。その「新しさ」と、文庫本と違い画像や図表が豊富に掲載されているのも魅力で、私はこのシリーズをかなり揃えています。
ただし、これは楊枝削りではありません。もし書店に立ち寄った際にこの本を見つけたら、手にとってみて下さい。グラビア部分の16~17ページです。
ミッドウェー海戦後間もない1942年8月初頭、連合軍がソロモン諸島・ガダルカナル島に大挙上陸して一大反攻の橋頭堡を築きにかかりました。これに対し、ラバウル基地に展開していた日本海軍の零戦隊や陸攻隊(陸攻=陸上攻撃機。雷撃もできる双発爆撃機)がすかさず反撃に転じます。片道1000km以上という遠距離進攻で米軍の艦艇や輸送船を攻撃し、零戦隊は米機動部隊の戦闘機隊と空戦を繰り広げたのです。
坂井氏の代名詞ともいえる名著『大空のサムライ』における白眉の部分といっていい重傷を負いながら奇跡的に生還を果たした戦闘はその初日によるものです(右サイドの「大毒草 - 御家人の手内職 - 」をご参照あれ)。
さてこの『ソロモンの激闘』、立ち読みでいいですから、16ページの写真を御覧になって下さい。ハーフページサイズの画像が上下に計2枚。坂井氏が負傷した翌日である8月8日の戦闘です。以前紹介した「音速雷撃隊」のYouTubeにも登場する一式陸攻が、米軍の艦艇や輸送船に向けて雷撃を試みている写真です。
私は本屋で最初に手にしてペラペラと頁を繰ってみた際、その16頁の下の写真に心を鷲掴みにされてしまいました。
防弾装備をほとんど持たず、それゆえ敵戦闘機や対空砲火の一撃で簡単に炎上してしまうことから「ワンショット・ライター」と呼ばれた一式陸攻が、海面に機影が映るほどの超低空で、対空砲火の弾幕の中を目標に向かって突き進んでいく写真です。
米軍の凄まじい火網の中を、「ワンショット・ライター」がただ一発の魚雷を放つべく、その魚雷を確実に命中させるという一念のもとに、乗員7名が文字通り生命を賭けて、敢然と肉迫していくのです。
勇壮というより、あまりに健気で哀切ではありませんか。写真がボーッとぼやけてきたので私は慌てて本を閉じると、それを手にレジへと向かいました。
キャプションによると、この攻撃に参加した一式陸攻17機のうち、対空砲火で14機が撃墜されているそうです(うち1機は敵輸送船に突入)。
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ここからは楊枝削りです。
●戦争末期を舞台にした、一式陸攻はじめ軍用機を柱に話が展開する余韻の残る短編集。
●こちらは陸攻隊の奮闘や悲劇についての参考書籍。いずれも文庫本なので気軽に読めます。
●それからコミックで陸攻ではなく艦攻なんですけど、これもオススメです。
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●おおっ?何だこれは!
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図書館や本屋で子供向けの戦記物や兵器解説本を読んだり小学校の休み時間に軍人将棋やったり
ウォーターラインシリーズはもちろん航空機、戦車のプラモ作ったりで、子供の頃は模型店に入り浸っていましたねぇ
その上「鉄ちゃん」で写真が趣味の親父の古いオリンパス製カメラ借りて撮り鉄みたいなことをやっていましたよ。
それで親戚が大甕に居たものですから夏休みに遊びに行ったときは、大手私鉄の寄せ集め車両の日立電鉄に乗るのが楽しみで…
その電鉄も今は無くなってしまって寂しいかぎりですねぇ
寧ろ問題は、連合国の機体に比べてフライアブルな機体がほとんど無いから、たとえ金持ちでも零戦操縦できるわけじゃない、ってことですね。
それで、海外で新規に製造しようという話が何度も出てくるわけですが、零戦くらいなら日本の航空機産業が技術者教育兼ねて新規製造しても良いのではないかなぁ、と思います。
作ったものを国内で維持しようとするから後の始末に困るんであって、作った端から海外の金持ちに売り飛ばせば、利益も出て結構なことではないかと。
自動車メーカー辺りはそういう取り組みを既にやってますし。
わかりますか!嬉しいですねえ。軍人将棋,私もやりました。やはり世代なんでしょうね。模型店なんて駅前商店街に2つか3つあったものですけど、プラモデルなんて今はある世代以上の大人の懐古趣味になっちゃったんでしょうか。ウォーターラインシリーズは健在で遊就館の売店でも売っているのですけど、値段がものすごく高くなっているので驚きました。
私が「鉄ちゃん」だったころは時刻表と切符集め、それからNゲージで、幸か不幸か写真の方へは行きませんでした。地図見ながら時刻表でダイヤを追っていると、別のページに飛んだりしますよね。ああいうのにドキドキしたりしました。
>親戚が大甕に居たものですから
大甕ですか!何と!祖母の家というか母の実家があったんで夏冬の休みには泊まりに行って、従兄弟たちと遊ぶのが楽しみでした。私は日立市出身ですけど小学生になってほどなく首都圏へ引っ越してしまったので、幼児体験以外は「ふるさと」といえば大甕なのです。水木か久慈浜あたりの海でニアミスしていたかも知れませんね(笑)。
あのころはまだ常磐線の鈍行にもEF81?が引っ張る木造客車編成のものがあって、時刻表の列車番号で確認してから、その鈍行を選んで大甕に行ったものです。日立電鉄もなくなっちゃいましたね。久慈浜から常陸太田に抜ける味なコースだったんですけど。
>零戦だったら初心者でも簡単ですよ
操舵応答が素直で扱いやすかった、てな感じなんでしょうか。外観は零戦のまんま(二一型希望)で中身はちゃんと現代化されている再生零戦なんて見てみたいですねえ。「大和」の46cm砲は技術が伝承されていないため現在ではもう作れないそうですけど、発動機を含めて中まで復元しないのであれば(忠実に復元するとかえって危険)何とかなりそうなものです。確かに海外の金持ちなら好きそうですし。
>当時の戦闘機パイロット
伝聞ですから何ともいえませんが、その人はプロとしては下手糞だったんじゃないでしょうか(笑)。「むしろ20ミリ機銃の充実で防御が堅く、容易には落とせなかった」とはどういうシチュでのことなのか是非知りたいものです。実際、対空砲火は別としても米戦闘機にはF4Fのころからボロボロ墜とされているんですから。
「一概に燃えやすいとはいえないけど」という話は私もどこかで読んだ記憶があります。一撃喰らって燃えやすいのか壊れやすいのかは別として、撃墜しやすい、弾丸が命中すればすぐ墜ちる、ということはいえたのではないかと。「ワンショット・ライター」というより「瞬殺可能」というニュアンスなのかも知れません。
ともあれ、耐弾性に起因する被害は出ていたのですから、搭乗員にとっては不安だったと思います。実際に一式陸攻も現場からの意見を汲んで燃料タンクにゴム張ってみたりと試行錯誤してますし、後から出てきた銀河なんかは計画段階から防弾装備を織り込んでいますし。
でもまあ米国と比較すれば防弾装備の有無以前に防弾技術や機体強度からして月とスッポンだった訳ですし、防弾という点では一式陸攻に限らず零戦も艦爆も艦攻も同じ問題を抱えていましたから、対米開戦当時の練達の搭乗員がそういう要因で必要以上に失われていったというのは誠に残念です。
今回の写真の話は、いうなれば槍ぶすまの敵陣に鎧もつけず匕首ひとつで突っ込んでいくようなものでしょう。他国機なら「その意気や善しされど蛮勇」などと気楽に扱えるのですけど、他でもない日本機だけに健気さや哀切極まるいたましさのようなものを感じてしまいました。ガ島戦や各地の玉砕戦の話などを読んでも散華した兵士たちに私は同じような思いを抱くのです。
今年は確認していないですが、昨年の12月7日には、ベン・アフレック主演の映画「Pearl Harbor」をテレビでやっていました。8月15日は、VJ Day(VJはVictory over Japanの略)といって盛大に祝います。ところが、ヒロシマ、ナガサキは一切やらないんですよ。アメリカ人にヒロシマ、ナガサキの話をすると、みんな嫌がるんですね。
それと、アメリカ人はベトナムの話を最近ほとんどしないように見えます。他国に多大な被害を与えたことに加えて、自分達の社会、文化をも大きく変えてしまったわけですから、もうちょっと振り返ってもいいのかなと思うのですが、余程トラウマがあるのか(?)結構忘れています。あるいは、忘れ去ろうとしています。
アメリカは、ヒロシマ・ナガサキ、ベトナムだけではなく、冷戦下では、代理戦争として、アフリカ、アジア、中南米でもかなり醜いことをやっていたのですが、そのこともキレイに忘れているように見えます。ワケの分からん「慰安婦決議」なぞをするヒマがあれば、自分達がやったことを反省するのが先ではないかと、尋ねてみたくなります。
「戦争」の記憶の仕方は、個々の国によって違うでしょう。私には、戦争を静かに追憶するという日本のやり方が、最もしっくり来るように感じられます。
もともと雷撃機として設計されているので運動性は高いし(逆に言えば、低空を弾幕かいくぐって突っ込むことこそ一式陸攻の本分)、速度もそこそこ速いし、九六式に比べれば防御機銃の数も威力も強力。
だけど、所詮攻撃機が戦闘機の敵であるわけがないというだけのことですね。
もともと米軍の方が数的に優勢な上に、日本海軍は戦前の戦闘機無用論影響で戦闘機パイロットの層が薄く、戦闘機パイロットを消耗してからはろくな護衛が付かなくなりましたから、護衛なしで攻撃機が飛べば墜とされてしまうのは必然です。
>戦争を静かに追憶するという日本のやり方が、最もしっくり来るように感じられます。
日本の場合は、「静かに祈る,思いをはせる、そしていまを生きる自分につながっていることを改めて思う、感謝する」という形であってほしいと私は思います。
それはそれとして、日清戦争・日露戦争にも思いを致し、再評価すべきことはきちんと検証しておいてほしいです。特に日露戦争時代の日本政府の有機的な活動ぶりや世界感覚には学ぶべきことが多いのではないかと思います。国際社会は当時に比べればずっと複雑になっているかも知れませんけど、世界の中に日本を置いてみる、置いてみて眺めて考える、という感覚は、いまの日本政府には不十分であるように思います。
あとは日本人ひとりひとりが、世界に挑むという気概を持たなければ、日本は国家としての伸びしろを失ってしまうのではないかと。……あれ?どうも日本に戻ってストレスのない生活が復活したのはいいものの、中国・香港・台湾と渡り歩いていたころの緊張感、「おれは日本人だ」ということさらな意識や矜持のようなものが希薄になってしまっているようです。要反省。
>いや、一式陸攻がよく墜ちたというのと、墜とし易い機体というのは別の話です。
その通りです。ですから「当時の戦闘機パイロット」の腕前には疑問符がつく訳で。……まあ余太話はともかく、「よく墜ちた」という点を脇に置くとしても、「墜とし易い機体かどうか」つまり帰還率という点において一式陸攻が優れていたかといえば甚だ疑問です。
>もともと雷撃機として設計されているので運動性は高いし、速度もそこそこ速いし、
開戦当初の話ですね。先代の九六陸攻と比較することに私は意義を感じません。運動性、速度、防弾装備、防御火力という点では、B17と比べるのは可哀想だとしても、B26と並べてみたら一式陸攻が遥かに優っているのは航続距離くらいのものでしょう。特に防弾装備の点が帰還率にかかってきます。爆撃機が同世代の戦闘機と喧嘩して勝てないのは当たり前のことです。それでも絡まれてしまったときに、どれだけタフか、という点です。
むろん戦闘機との喧嘩ではなく相手が対空砲火であっても、タフさが問われるという点では同じことです。この面で、米軍の類似機種に比べると一式陸攻の防御火力は決して高いものではありません。防弾能力に至ってはお話になりません。だから帰還率が低くなる。ベテラン搭乗員が失われる。……零戦や艦爆艦攻でも同じことです。結局は国力の問題ということになってしまいます。
単に工業力とか技術開発力とかだけではなく、ソフトの面、例えばパイロット大量養成という点において、当時の米国は総人口はもとより、自動車や航空機の普及率も日本とはまるで違っていました。国土も広い。1年を通じて降雨量の少ない土地に練習航空隊を置くことができるだけで、年間飛行時間がかなり違ってきます。これが錬度に反映される。戦闘機無用論なんてのは瑣末な問題。当時米国と正面からぶつかって消耗戦で勝てる国なんかなかったでしょうから。
しかも国力の差だけでなく、戦争を仕掛けておいて総力戦態勢へのシフトでも日本は米国に遅れをとりました。……何やら大きな話になってしまいましたが、こうしたことは偉い人が考えることで、最前線の兵士たちとは本来無関係の問題です。でも現実には、兵士たちがそうしたハンディを背負って戦わなければならない。一式陸攻はその具体例のひとつ。遊就館で零戦を眺めていても感じることです。煎じ詰めてみると、私が感じた健気さや哀切極まるいたましさというのは、そのあたりに根があるのかも知れません。
1.ワンライターと呼ばれていた
2.なずけたのは日本人搭乗員であり、自嘲的なもの
3.いつの間にか、戦後、米軍が馬鹿にして「ワンシ ョットライター」と呼んだという説が一人歩きし た
というのが真相のようです。
後日、先生に「私の間違いです」と謝りました。「そうか」で許してもらいましたが、授業中に居眠りすると「お前は一式陸攻のことでも考えていればいいんだ」とチョークが飛んできました。
当時は、戦争現役の先生が結構いらしゃって、「日本軍は強かったんだよ」とボソとおっしゃたり、「留学して「オキナワ」という空母を見たときは血が逆流したなあ」など、ボソッとおっしゃられてました。結構、軍歴は語らねど、戦記の中の「海軍設営隊員の幹部」として名前があったりしました。
もっと話を聞いて置けばよかった・・・
英米の爆撃機もドイツ空爆でボロクソやられてますが、乗員がほとんど死んでも(大圏構造なんて、鳥かごと同じで防弾なんかほとんどありません)操縦士と機関士が生きててエンジンが回ってる限り基地には帰れますが、陸攻はまずエンジン燃えるから帰ってこれないわけです。
日本のエンジン(に限らないけど)が燃えやすかったのはいろいろ理由があるけど、パッキンに不自由したのが大きいです。レストアする際にも、設計は巧妙だけどパッキンやオイル周りの蓋の素材が酷い、という話が出てました。
私的に講演でスウェーデンの福祉をすごい、見習うべきだとかほざくNGOに是非読んで貰いたい本です。お前等の絶賛する国家は国家予算の四分の一なにに当ててるのかと。
「真相は謎」というのが現時点での「真相」ではないかと思います。搭乗員自身が「一式ライター」と呼んでいた、という回想記もありますし、それに似た趣旨のニックネームで搭乗員が一式陸攻を呼んでいると知って開発者が激怒した、というエピソードもあるようです。「ワンショットライター」は「一式ライター」から戦後転じたものかも知れません。エントリーで紹介した『炎の翼』も一式陸攻搭乗員の体験記ですが、この書名は一式陸攻の弱点を象徴させた言葉とのこと。
米軍の方はちょっとわかりませんでした。もっぱらコードネームで呼ばれていたようです。
>海軍設営隊員の幹部
ということは、ガ島関連ですか?
エンジンの防火能力というより、エンジンのすぐそばに当時の日本の技術力では防弾措置を施すことが困難なインテグラル・タンクが主翼内にたっぷり収められていたから、というべきでしょう。燃料タンクからエンジンへと延焼するといった感じでしょうか。面積から言ってもエンジンより燃料タンクの方が被弾する確立は高いでしょうし。三菱によってインテグラル・タンクという新機軸が計画段階で織り込まれた時点で「燃えやすい」ことが懸念されましたが、海軍が長大な航続力をあくまでも優先させたために目をつぶったそうです。
ソロモン諸島で夜間雷撃などをやった一式陸攻の搭乗員たちは、接敵するとまず帰路分以外の燃料を捨ててから攻撃に移ったとのこと。これも燃料タンクの問題を認識していたからに他なりません。エンジンはエンジンで防弾に関する問題を抱えていたのでしょうけど、一式陸攻についていえば、まず燃料タンクが主因だと思います。
フィンランドといえば対ソ戦争で陸戦において健闘したことは何かで読んだことがあります。バッファローの話は初耳でした。今度読んでみます。ただ第二次大戦では戦線ごとに主力機種に差がありましたからその経歴を以て零戦はじめ各国の代表的な戦闘機と比較することは難しいのではないかと……。
スウェーデンといえばサーブですね。台湾在住当時の勤務先の社長がサーブの車に乗っていて、よく同乗したのですが加速するときが心地よくてさすがに戦闘機!という感じがしました。サーブということで自己暗示にかかっていたのかも知れませんけど(笑)。スイスも機関砲メーカーのエリコンとかありましたね。
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