日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 きのう(7月22日)靖国神社へ行ってきました。考えてみると、仕事や病院の通り道のついでに立ち寄ることはあっても、靖国神社に参拝することを目的に出かけたのは久しぶりです。ひょっとすると元日の初詣以来かも知れません。

 動機は先日のエントリーのコメント欄に書いた通りです。



 私も明日(というか今日・日曜日)に参拝に行くことにしました。サッカー日本代表の頑張りと、それを応援することで日本人の気持ちがひとつになること、日本を想う心が自然に生じることの素晴らしさを感じたからです。必勝祈願ではありません。現在の日本社会を裏打ちする平和と繁栄を私たちに遺してくれた、戦争で散華された方々(銃後の民間人の方々も含めて)、また「みたま」ではありませんが、復興に全力を尽くした戦前派・戦中派の人々に感謝と敬意を表したいと思います。都心でそれをするのにふさわしい場所といえば、やはり靖国神社ということになりますから。千鳥ヶ渕でもいいのかも知れませんが、四季も楽しみたいし、零戦も見たいし(笑)。

 そういえば2004年夏、日本が中国で開催されたアジアカップの決勝トーナメントをミラクルに勝ち上がるたびに、私はその翌日朝に同じ想いで靖国神社に足を運んでいました。「ありがとうございました。本当にありがとうございました」と念じるだけです。あのときの蝉時雨はいまも耳に残っています。




 私はいま生活のリズムが昼型で定着しつつあるのですが、うっかり不埒なニュースに接してしまったために土曜の夜は腹が立ってつい徹宵してしまいました。いきおい午前中の参拝となり、「月光」さんとは入れ違いになった格好です。午前の参拝の場合、私は「海軍コーヒー&零戦」という楽しみのため、まだ参拝客も少ないと思われる「遊就館」の開く9時を狙って出かけます。

 ところが日曜日のせいなのか、昨日は観光バスの団体客などが早くも数グループいたりして、意外に賑わっていました。夜半の雨の跡が地面に残る湿った曇天でしたが、西の空の雲が明るいのでもう降るまいと思いつつ参道を歩きました。

 セミが鳴いています。ただ蝉時雨とか、すだくようなセミの声に包まれて静寂を感じる、といったほどの勢いではありません。あれれ……と思ったのですが、考えてみれば2004年のアジアカップは8月に入ってから決勝トーナメントが行われましたから、その「時差」のせいでセミの声もまだ本番前なのかも知れません。

 そんな中で、境内でゴミを拾っている団体がいました。神社関係者でないことは服装でわかります。「みたままつり」が1週間前に行われたばかりということもあって、小さなゴミや地面に貼られたガムテープなどをはがすのに苦闘している様子でした。帰り際、大鳥居のあたりでその中のひとりの方に、

「失礼ですが、ご町内の方ですか?」

 と尋ねたところ
「いいえ」ということで、ボランティアのようです。子供たちも少なからず参加していて好もしい風景でした。カラリと晴れていれば一層清々しい光景だったでしょうに、その点だけが残念でした。

「お疲れさまです」

 と一言声をかけて、私は神社を後にしました。

 ――――

 前に書いたことがあるかも知れませんけど、参拝するときにちょっと後ろめたい気持ちになるのは拝礼。お辞儀のことです。

 私は早生まれで丙午の学年に組み込まれたので、サッカーのキング・カズや中山選手と同学年です。野球の清原選手や桑田投手とは同年齢ながら私が一年先輩ということになるかと思います。

 小学生のとき、「気を付け」「休め」「前へならえ」「回れ右」などは体育の授業で教えられましたが、なぜかお辞儀の仕方については教わりませんでした。お辞儀こそ日本の良き伝統文化だと思うのですが、時いまや遅しであります。

 あの「俺は,君のためにこそ死ににいく」という映画の出演者たちは、エキストラも含めて陸上自衛隊で動作に関する訓練を徹底的に受けたそうです。「気を付け」のときの足の開き方を確認する45度角くらいの特殊な定規も登場して、矯正に活躍していました(メイキングDVDに出てきます)。

 映画「トラ・トラ・トラ」で真珠湾奇襲に出撃する空母「赤城」の搭乗員たちが、出発前の慌ただしい時間をぬって、次々に艦内に設けられた「赤城神社」に参拝していきます。正しいお辞儀の仕方がわからない私はあのシーンを参考にキビキビした?自分流のお辞儀をするのですが、昔の人に笑われそうでいつも恥ずかしい思いをします。

 ただ、挨拶だけはハキハキとするよう親から躾けられました。もちろん特別な口上ではなく、「こんにちは」「さようなら」「ありがとうございます」「いただきます」「ごちそうさまでした」「失礼します」「失礼しました」といった程度のものですけど。

 私の小学校では野球帽をかぶって登校する男子児童が多く、校門に入って先生に出会ったら帽子を脱いでからペコリとして「おはようございます」と挨拶するのが私にとっては普通だったのですが、校長先生が職員会議で「あの子はちゃんとしている」と名指しでほめていたと担任の先生から聞かされたことがあります。

 30年前の話です。いまから思うに、もうあの頃から日本人のお行儀は乱れ始めていた、ということになるのでしょうか。

 ――――

 いまでも忘れられないことがあります。

 私は茨城県日立市に生まれ、小学校に上がってほどなく親の転勤で首都圏へと引っ越しました。社宅を分譲住宅にしたショボい平屋の1戸建てです。特筆すべきは、トイレがまだ汲取式だったということです。毎月1回、バキュームカーが一軒一軒回って排泄物を汲み取ってくれます。

 作業中のバキュームカーというのは熱風のような排気とともに便所独特の臭気が漂い、小学生たちは「くせーくせー」と言いながら、鼻をつまんでその脇を駆け抜けたものです。私も駆け抜けた組の方ですが、「くせーくせー」とか鼻をつまんだりはしませんでした。

「バキュームカーで働いている人を見かけたら、ありがとうございますと言いなさい」

 と親に教えられていたからです。ただ友達たちの前で「ありがとうございます」と言うのはさすがに気恥ずかしくて、いつも黙って横を走り抜けていました。

 ところがある日、放課後にみんなで集まって遊んでいるところにバキュームカーがやって来ました。作業員のおじさんは、

「ほら、どけどけ」

 と言いながら吸引パイプを汲取口へと突っ込んで作業を進めていきます。友達は例によって「くせーくせー」と言いながら、急いでその場を離れました。

 間の悪いことに、私だけが機を逸して出遅れた格好になってしまい、そのままそこにボーッと立っていました。もじもじしていた、というべきかも知れません。

 汲取作業を終えたおじさんが、今度はその隣の家での作業にかかるべく吸引パイプをたぐり寄せながら、

「ほら。お前も邪魔だから早く行け」

 と語気荒く私に言いました。そのとき私はようやく思い切って、

「おじさん。いつもありがとうございます」

 と勇気を出して初めて言うことができました。するとそれを聞いたおじさんの手が一瞬止まり、「邪魔だ邪魔だ」という荒っぽい目の色が一転して優しげなものに変わりました。私は確かにそれを見ました。

「お前の家は、どこの地区だ?」

 と、おじさんの語気も一変して、休憩時間に一服つけているような声色になりました。当時私の住んでいた町会は東西南北の4つに区分けされていたのです。

「うちは北地区だから、もう昨日やってもらった」

「そうか」

 何か、お前の家だけは特別きれいに汲み取ってやろう、というような口調でした。あとは会釈するなり友達を追って私もその場を走り去ったのですが、作業員のおじさんの変化から、何か自分はいいことをしたらしい、言ってよかったな……と駈けながら思いました。

 「ありがとうございます」の一言でそれを聞いたおじさんが和み、実はそれを口にした私もまた和んだということに気付いたのは、むろん後年のことです。

 ――――

 挨拶とは、そういう不思議な作用を持つもののようです。その作用に感応するのが日本人だけかどうかは知りませんが、これもまた日本の良き伝統として、改めて習慣づけていくべきではないかと私は思います。

 まあ世の中がどう変わろうと、照れ臭くても私は挨拶だけは続けていくつもりです。……あ、私と、それから私の配偶者に限っては。

 どういう縁か、私は香港人を配偶者として東京に住み着いてしまいました。日本人からみると、香港人の挨拶はちょっとぞんざいです。その色を抜くべく、当初私は配偶者の「改造」に心を砕きました。

 バスやタクシーから下りるときには運転手さんに「ありがとうございました」と言うこと、喫茶店では「こんにちは」と入って「ごちそうさまでした」で出て行くこと。……幸い配偶者は香港人らしくない香港人で、また私の躾に対して従順であることで、この習慣は身についたようです。広東語を教えているので、

「『ごちそうさま』って言わない生徒さんもいるよ」

 と言うこともありますが、

「それはその人が『無家教』(モウガーガウ)だからだ。絶対真似しちゃいけない」

 と私は拳で机を叩くような、断固たる口調で言い切ります。「無家教」という広東語は、「躾がなっていない」「無教養」「不作法」といったニュアンスをより強調した、むしろ罵倒語に近い、ちょっと手ひどい言葉です。

 いまでは同じマンションの住人とエントランスやエレベータで顔を合わせたとき、「暑いですねー」といったことも言えるようになっているようです。調教完了。

 ――――

 そんな訳で、私は出かけるたびに挨拶する機会にぶつかります。拙宅を出て道路を渡れば地下鉄の駅に続くバスターミナル。まずこの建物の入口に警備員の方が1人当直についています。

 地下鉄に乗るにせよ2階の喫茶店で茶をしばくにせよ、まずここで「こんにちは」と言いながら会釈をすると、相手は「妙な海坊主がまた来やがった」と思っているかも知れませんが,ともあれニッコリ笑って会釈を返してくれるか、「気を付け」の姿勢になって敬礼してくれます。工事現場で交通整理に当たっている警備員さんに対しても同様です。

 靖国神社でもそうです。作法にはないかも知れませんが、参拝の前後に、その場を守っていてくれる警備員さんに私はお辞儀をします。「遊就館」の喫茶室で私は別に常連客ではありませんが、毎回必ず「こんにちは」に始まって「ごちそうさまでした」で終わります。

 ……ということで、変なオッサンに挨拶めいた言葉をかけられたら、せめて無視だけはせず、何かリアクションをお願いします。嫌そうな迷惑そうな表情をしてくれれば次からは声をかけませんから。


うれしいひとこと

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 【※注】別なことを書くつもりがなんでこんな話になってしまったのか……少なくとも行儀の悪さと不作法にかけては定評のある私が書くことではありませんでした。すみません。いまかなり恥ずかしいです。恥ずかしさが沸点に達したらこのエントリーを削除するかも知れません。m(__)m




コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
挨拶 (tama206)
2007-07-23 23:54:07
いつも楽しく拝見させていただいております。
今日のエントリーを見て高校の時の寮長の話を思い出しました。「挨拶」と言う漢字ですが、共に「せまる」、「ちかずく」の意味が有ると教えて頂いた事が有りました。だから「挨拶」とは、とても大切な言葉なんだとも。
禅には、「一挨一拶」という語句があるそうです。意味としては、禅の商量といって、日々の挨拶から相手を知るという、修行における大切な意味があるのだそうです。

御家人様、お体に気をつけて。
また楽しいエントリーをお願い致します。
 
 
 
挨拶は基本であります (憲兵クン)
2007-07-24 00:52:13
私は、コンビニの無愛想な店員にも「ありがとう」を欠かさないようにしています。というか、いかなる買い物であっても、売ったほうも買った方も「ありがとう」と云えない商いはならぬと、死んだ祖母が(略
うちのチビに、「なんでお父さん、お金払うときにお礼言うの?」と聞かれて、3時間ばかりクドクド解説したときには少し厭になりましたが・・・
どんなに仕事のできない奴も、挨拶さえできればなんとかなる。どんなに仕事ができる奴も、挨拶もできないようじゃ、認めてもらえない。
胸を張るべき国民性だと思いますが。。w
 
 
 
とてもいいお話でした (Hiro-san@ヒロさん日記)
2007-07-24 01:04:26
いつもありがとうございます。御家人さんの人柄がにじみ出る、とても素敵なお話でした。
どうか元気な夏をお過ごしくださいませ。
置き土産になりますが「日常の十心」のリンクをどうぞ。
http://uriguris.thd-web.jp/e4325.html
 
 
 
Unknown (四つ目結)
2007-07-24 01:27:14
 初めまして、今晩は。いつもROMばかりだったのですが、今エントリーを拝見してとても感じ入る所があってコメント致しました。

 挨拶の大切さ、わが身に引き当ててみると恥ずかしい思いです。と言うのもつい2、3年前まで何気ない場面で「こんにちは」「ありがとうございます」と言葉を発するのが照れくさかったり面倒に思ったり、多分挨拶しても無視されるだろうからと、自ら挨拶をしなくなっていたからです。

 しかし、「以前と比べて日本は世知辛くなった」などと言う言葉を耳にし自分も同意する一方で、自分もそういった事に加担しているのではと気付き、照れるところをそれこそ恥ずべき事だと言い聞かせ、いつか無意識に出来るようにと挨拶を心がけるようになりました。とはいえ、あくまで心がけるレベルになっただけなのですが。

 犬を連れて散歩をしている時など、同様に犬を連れている方・ジョギングやウォーキングをしている方とすれ違い様に挨拶を交し合うと、今までしていなかったせいか妙に清々しさを感じますし、同じ人と二度三度と挨拶するうちに段々と会話するようになっていってそれが実に楽しく感じます。またご年配の方に倣って、バスから降りる際に運転手さんに「有難うございました」と挨拶すると無精顔に見えた運転手さんが同じように返してくれて、ちょっとした嬉しさを感じたりもします。

 なんだか拙い文章になってしまったのですがともあれ、「心が通う」ことのかけがえのなさや、心が通っていると感じる事の大切さを改めて再確認させてもらったエントリーだと思っています。恥ずかしいなどと仰らず是非残して欲しいと思うと同時に、これからもブログを拝見させていただきます。失礼しました。
 
 
 
礼に始まり礼に終わる (涼風)
2007-07-24 01:45:30
この話、凄い良いお話ですね。
今度人前で話すときに拝借しようかな(笑)。

本日より新潟の被災地に行って参ります。
もちろん挨拶に心がけて。
少しでも被災者の心が和めばよいのですが。
 
 
 
Unknown (浅黄)
2007-07-24 08:26:59
すごくいい話だと思いました。
挨拶ひとつで心が触れ合うというのはとてもいいことですよね。

逆に、街でシナ人を見かけたら鼻をつまんで「クセークセー」と言ってやるのも一興ですね。
あいつらにはそれくらいしてやらないとw
 
 
 
Unknown (blue)
2007-07-26 08:03:26
ものすごく耳が痛いお話でこちらこそ恐縮してしまいます。
私も普段なかなか挨拶を口にできない性質なので、、、
でも極力目礼や会釈はするようにしています。

支那人相手でも、そういう態度は変えない方がいいんじゃないかなと思います。地元で「日本鬼子」とさんざん聞かされてきた支那人が、日本に来てみれば全然違うじゃん!と心を入れ替えて帰って欲しいので。地味な洗脳解除作業です。
 
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