(「上」の続き)
……しかしですよ。「いかなる国への脅威ともならないことを強調しておきたい」なんて白々しい嘘吐くんじゃねえこの糞デブが。
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●中国の衛星破壊実験で破片が多数発生、危険性を憂慮(読売新聞 2007/01/20/22:29)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070120i416.htm
【ワシントン=増満浩志】中国による衛星破壊実験を巡り、米団体「憂慮する科学者連盟」は19日、「衛星に当たると破壊力のある1ミリ以上の破片が200万個発生した」との試算を発表、実験でばらまかれたとみられる破片に対する懸念を示した。
実験で衛星が破壊された約850キロ付近の高度には、衛星の数が限られる静止軌道(高度約36000キロ)と違い、世界各国の人工衛星が多数回っている。(後略)
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……脅威は軍事的なものばかりではないのです。中国によるこのゴミまき散らしはその国民同様、ゴミのポイ捨て、禁煙ゾーンでの喫煙と吸い殻の投げ捨て、行列無視、花壇で子供に大小便させる……といった行為で、これまたその国民同様、それが悪いこととか他人に迷惑をかけているという観念が欠落しているようですね。
それから今回の記者会見では「人民網日本語版」が故意かどうかは知りませんが、取り上げていない部分があります。
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記者「台湾当局は今日、大陸が行った宇宙実験について懸念を表明し、大陸が宇宙での覇権を狙っていると指摘したが、これについての見解をうかがいたい。また中国は最近殲-10戦闘機を公開した。台湾当局はきょう、中国の軍備状況について論評しているが、これについてどう思うか?」
デブ「私は宇宙実験に関する質問と台湾問題を結び付けたくはない。それから中国が戦闘機開発を強化しているとの質問。一つの中国という原則を持った人、台湾独立に反対する人、中国分裂に反対する人は、この問題について心配する必要はないものと私は考えている」
●「新華網」(2007/01/23/20:26)
http://news.xinhuanet.com/world/2007-01/23/content_5643769_3.htm
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中共政権を「大陸」と呼んでいることから、質問者は香港か台湾の記者かと思われます。その言葉に反応してしまったのかどうかは知りませんが、「そういう質問は台湾事務弁公室へ聞いてくれ」と鷹揚に流すことなく、ちょっと感情的なリアクションになってしまいました。
いずれにせよ、対応の遅さと歯切れの悪さは「胡錦涛に知らされていない独断専行の実験だったのでは?」という印象を国際社会に与えてしまいました。しかもやらかしたことは中国の軍事的台頭を懸念する声が強まる性質のものであり、実際に日米はじめ多くの国が懸念表明を行っています。
いままで散々アピールしてきた「平和崛起」(平和的台頭=平和的な大国化)が一気に霞んでしまうようなインパクトを伴う事件でした。その意味では原潜の日本領海侵犯以上の減点であり、中共政権を束ねている胡錦涛には、その掌握力に疑問が呈されたことも含め、実に痛い出来事となりました。
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それからこれ。
記者「日本メディアは23日、胡錦濤国家主席の年内訪日の可能性は低いと報道したが、事実か。温家宝総理が日本の国会で演説するとの報道もあるが、事実か。温総理の訪日日程は」
デブ「われわれは、両国のハイレベル交流に関する外部のさまざまな憶測に注意しているが、中には根拠に乏しいものもある。中国は日本とのハイレベル訪問の再開を喜ばしく思っているし、双方共にこれに前向きだ。交流と相互訪問の具体的な内容については、両国関係の発展の必要、日程調整、共通の願いに基づき、外交ルートを通じて決定されるのを待たねばならない。温総理は今年春に日本を公式訪問する。中日善隣友好関係の継続的な改善と発展、現在の中日関係の改善と発展の流れの維持、各分野の互恵協力の深化が重点となるだろう。日本各界の人々と幅広く接触するはずだ。具体的な計画については、外交ルートを通じた調整がなお必要だ」
●中国、日本とのハイレベル交流の再開を歓迎(人民網日本語版 2007/01/24/09:54)
http://j.peopledaily.com.cn/2007/01/24/jp20070124_67193.html
原文はこちら。
●「新華網」(2007/01/23/20:26)
http://news.xinhuanet.com/world/2007-01/23/content_5643769.htm
「年内訪日の可能性は低い」と訪中した日本の小坂憲次・文部科学相に語ったのが、江沢民の息がかかっているとみられる曽慶紅・国家副主席と唐家セン・国務委員だけに憶測を呼んでいます。
なにせその前に訪中した公明党の太田昭宏・代表が1月8日に胡錦涛と会見した際「6月訪日」を提案し、胡錦涛がそれを快諾しているのです(『蘋果日報』2007/01/24)。曽慶紅と唐家センはそれにおっかぶせるようにして正反対のコメントを出し、胡錦涛の一諾を「食言」化してしまったので「やっぱり政争?」という見方が当然出てきます。
香港の中国情報紙『争鳴』1月号が「曽慶紅が陳良宇失脚で働いた見返りに国家主席の座を明け渡すよう胡錦涛に求めている」という消息筋情報を紹介したようですが、あいにく私はその原文にまだ接していないので何ともいいようがありません。
最近ご質問を頂いている「胡錦涛暗殺未遂?」事件についても同様です。香港紙が報じたとされていますが、「紙」すなわち雑誌でなく新聞であるなら、私が見落としていない限り、そういう記事を目にしたことはありません。
胡錦涛訪日については政争に結び付ける見方があってもいいでしょうが、温家宝が4月に来日すること、それから安倍首相の対中姿勢が中共政権からみれば最近、とみに挙動不審だという要素も考える必要があるのではないかと私は思います。
EUの対中武器禁輸措置の解除反対を訪欧時に遊説し、自民党の党大会で靖国参拝継続が運動方針に明記され、安倍首相自身は参拝について「明言しない」と語ったことなどから、中共側は「安倍路線」に対するある種の見きわめ、あるいは胡錦涛訪日を外交カードとして使うために流動的な姿勢に転じたと考えることもできるのです。
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なるほど衛星破壊実験で胡錦涛はアンチグループとの取組で土をつけてしまいました。ただそれ自体は胡錦涛にとって致命的な打撃にはならないこと、そして全体を見渡せば、胡錦涛の提唱する「科学的発展観」に基づいた経済政策や汚職摘発、風紀粛正、政治教育がいまなお行われていることから、今回のタイトルに織り込んだ「されど胡錦涛優位は変わらず」といったところではないかと私は考えています。
胡錦涛はトウ小平が存命中に江沢民の後継者として直々に指名した時点から、江沢民に対しアドバンテージを持っていたといえます。江沢民がトウ小平の遺言に反して自ら後継者を指名することは困難でしたし、実際にそれが果たせぬまま江沢民は2004年9月までに軍権も含めて最高指導者としての職を全て胡錦涛に渋々譲る形になりました。
ただ党すなわち中共政権の最高意思決定機関である党中央政治局常務委員が江沢民の引き立てた上海閥によって過半数を占められていたこと、また軍権を譲って引退したといってもそれで軍部への影響力を全て失った訳ではありませんから、院政を敷く甲斐性こそないものの江沢民やその子分たちは色々な形で胡錦涛をイジメることはできますし、実際に2005年春の反日騒動を含め、イジメめいたことが色々と行われました。
しかし、胡錦涛はそれをしのぎ、ポストから追われるような大失敗をやらかすこともなくこの2年余りを乗り切ることに成功しました。その過程では軍主流派と同盟ともいえる共闘関係を構築し、上海閥の次世代トップである陳良宇・前上海市党委員会書記を失脚させることで、次世代における上海閥の御家断絶を実現するに至りました。
幾度にもわたる取組でときどき土をつけられながらも、胡錦涛は星取表において辛うじて優勢を保ってきたといえます。3勝2敗ペースが4勝2敗ペースとなり、さらに3勝1敗ペースへと勝率を高めてきたのがこの2年余です。
繰り返しになりますが、経済政策をはじめとした諸政策が胡錦涛路線で維持されている限り、胡錦涛は優位を確保しているとみていいかと思います。「暗殺」説というのは、もしそれが事実なのであれば、これほど胡錦涛の政権基盤が固まりつつあることを示す出来事はありません。
暗殺というのは政治的手段としては愚策です。もはや並の方法では大局を転換できず、胡錦涛の生命そのものを潰すことで打開を図ろうというものですから。……つまり暗殺者側にとって、暗殺の対象である胡錦涛がそれほど手強いということなのです。ヒトラーにして然り、私の御先祖様が参加した桜田門外の変もまた然り、です。
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ちなみに、毛沢東が死去し、1978年の第11期3中全会(中国共産党第11期中央委員会第3次全体会議)で改革・開放路線が定まって以来、中国政治は権力闘争や主導権争いの連続であり、1980年代の改革派vs保守派、1990年代の江沢民派vsアンチ江沢民勢力、そして現在の胡錦涛サイドvs反胡錦涛諸派連合といった綱引きが常に行われています。ただ、いずれの争いにおいても一方が完勝するという結果にはなっていません。潰し残しが必ず出てしまいます。
その結果として、どちらの側が優勢になろうとも、5年に1度開かれ、大型人事や世代交代が行われる中共の一大イベントである党大会(今秋開催予定)では、必ず一種のバランス人事が行われ、劣勢の側でもそれなりの人数が相応のポストを割り当てられます。この約30年、人事が優勢側一色で染め上げられたことは一度もありません。
トウ小平がカリスマ視されるようになったのも、口うるさい政敵が次々に物故して束縛から解かれ、また天安門事件で自ら血しぶきを浴びた凄みも加わった江沢民時代以降の話で、1980年代のトウ小平は「毛沢東のような皇帝ではない。最も有力なバランサーにすぎない」という見方がなされていました。実際に1980年代のトウ小平は保守派の攻撃によって子飼いの若手に詰め腹を切らせたことが何度かあります。
やや劇的な事例を過去に求めるなら、1987年の第13回党大会でしょう。「胡耀邦総書記・趙紫陽首相」という改革派コンビで新年を迎えてほどなく、学生デモなどの責任を問われて胡耀邦が失脚、その跡を趙紫陽が継いで総書記になるという異常事態に見舞われたものの、改革・開放政策を基本路線とすることは維持され、党大会では趙紫陽が政治改革をも含めたさらなる改革推進を打ち出すという「改革派勝利」の結果となりました。ただし、そこで行われた人事では保守派にも一定の配慮がなされました。その代表格が李鵬であり、翌年の首相就任内定が出ています。
あるいはよりドラマチックなのかも知れないのは1992年です。1989年の天安門事件で趙紫陽らが失脚し、トウ小平は上海市のトップだった江沢民を総書記へと大抜擢します。経済的な混乱もあって3年間は政治・経済とも引き締め政策が続けられたのですが、ちょうど15年前のいまごろ、トウ小平が突如として経済特区であり改革・開放の象徴的都市だった深セン市に現れ、各地を視察しつつ改革再加速の大号令を発したのです。それによって政治路線も経済政策も一大転換を遂げ、政治勢力としての保守派は事実上潰滅してしまいました。
しかしそれでも、同年秋に行われた第14回党大会での人事はトウ小平の思惑に照らせば100%意中の通りとはいえませんでした。その証拠に、この政策大転換によって無能の呼び声が高かった李鵬首相は任期の切れる翌年春に身を退き、朱鎔基が首相に就任する。……という観測が一般的だったのですが、その1993年春の全人代(全国人民代表大会=立法機関)では意外にも李鵬の続投となりました。首相候補として挙げられたのが李鵬だけなので信任投票の形になりますが、このときの反対・棄権票の多さはたぶん現在に至るまで破られていない記録でしょう。
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……こういう前例に照らせば、今秋の党大会における人事でも胡錦涛の全く思い通りとはならず、対抗勢力の有力者も引き立てるバランス人事になる可能性が大きいかと思います。胡錦涛が優位にあるかどうかは、中央の掲げている各方面の政策で胡錦涛カラーが打ち出されているかどうかをみればわかります。現時点に照らしていえばタイトルのように、
「寄り切り、寄り切ってアンチ組の勝ち。――されど胡錦涛優位は変わらず」
という状況だと私はみています。金星ですから座布団が飛び交っているでしょうけど(笑)。
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