日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)




 安徽省蚌埠市の定年退職者によるデモ、24日で3日目になりました。
 前日、前々日については当欄の、
「安徽省でデモ発生!」(10月25日)
「安徽省の老人デモ詳報(上)」(10月26日)
 を御参照下さい。

 一応繰り替えしておきますが、このデモは毎月支給される退職金を物価スライド制にしてくれないと、とても暮らしていけない、ということが発端になっています。参加者たちは最初から3日連続で行動することを決めていて、ただ当局が要求に応じた場合は即解散、ということになっていました。つまり24日が最終日という訳です。

 いきなり余談ですが、中国という国は発表される統計だけを見ていても実態が把握できない、という点が際立っています。統計を頭に入れて現地に行ってみたら、何だか状況が全然違うんですけど……ということが珍しくありません。統計の示す状況と現地での実感のギャップが甚だしい、とでも言いましょうか。
 例えばこのデモにしても、「ここ1年余りの物価上昇で退職金だけでは暮らしていけなくなった」というのがそもそもの動機になっています。9月末時点での物価上昇率は前年同期比で5%ちょっとだった筈ですが、どうも実態はそれを遥かに上回る物価高が起きているのかも知れません。地域差もあるでしょうからはっきりしたことは言えませんが、私のように日本にいて現地の実感を得ることができない場合、今回のデモのようなニュースは非常に参考になります。

 さてデモ3日目の状況ですが、今回も「大紀元」に発表された現地在住とおぼしき反政府系コラムニストのレポートに基づいて話を進めていきます。

 http://www.epochtimes.com/gb/4/10/24/n698810.htm

 この報告者は2日続けてデモを取材していて、3日目が最終日だと知っていたので、この日は朝から動き回ることをせず、デモがそろそろ終わりに近付くと思われる15時ごろに現場へ行ってみたそうです。
 そして、前日までとは一変した光景を見ることになります。

 初日には大通りにまとまって座り込み約1kmを占拠していたデモ隊は、2日目には一種の分隊行動となり、ある区間3kmほどの範囲にわたり、交差点という交差点を全て占拠しました。むろん市内の交通は2日間にわたってマヒに近い状態でした。
 で、3日目も基本的に前日と同じ戦術をとったのですが、報告者が足を運んだ同市の交通の中枢ともいうべき交通局付近の交差点には5000人ほどのデモ隊と野次馬が現場を取り巻いていました。ただしその取り巻かれた中にいたのは、ヘルメットと盾で完全装備した軍人数百名(これはたぶん報告者の誤解で、軍人ではなく防暴警察=機動隊だと思うのですが)と警官数百名だったのです。当局が先手を打って、デモ隊が占拠するつもりだった交差点を、警察が逆に押さえてしまったという訳です。

 あるデモ参加者によると、ここはデモ隊の占拠予定地だった3カ所のうちのひとつにすぎず、東寄りの中山街との交差点、及び中栄路との交差点(このあたり地図がないので状況がみえにくいのですが)の2カ所についてはちゃんと確保している、とのことだそうです。また、この日からは市内の様々な職場を定年退職した人々もデモ隊に合流するようになったそうで、これは当局を緊張させる大きな変化と言うことができるでしょう。

 別の参加者によると、蚌埠市当局は今回のデモに際し、中共の習慣とも伝統ともいえる思考法で臨んだとのことです。どういうことかと言えば、デモを組織し、周到に計画をめぐらした敵対勢力がデモ隊の中にいる筈で、まずそれを把握することが肝心という考え方です。このため索敵活動ということで、多数の私腹警官をデモや見物人の中に紛れ込ませ、あれこれ探ってみたのですが、結局収穫はゼロ、つまりデモ隊を操る黒幕の存在を確認できなかったとのことです。これについて参加者は、
「そりゃそうじゃ。このデモは我慢が限界に達したわしら定年退職の工員が、自発的に自然に集まってできたデモじゃからのう」
 とコメントしています。昂然とした参加者の気負い込みが伝わってくるようでもあります。

 事態が動いたのは15時半ごろのことです。老人たちに疲労の色をみてとった機動隊が、不意を突く形でデモ隊の中に突進し、ビラをまいていたデモ参加者を拘束、近くに設けられた指揮所まで連れていき、停まっていた救急車に押し込んだのです。デモ隊は不意をつかれて一瞬呆然としましたが、すぐ我に返り、連行された仲間を助けようと動きました。しかし機動隊の盾の前にその行動は阻まれ、救急車はすぐに走り去っていきました。

 これを機にデモ隊の興奮が一気に高まり、議論する声も大きくなって、付近一帯は緊張感に包まれました。このとき報告者はなるべく近くで見ようと、連れていた子供をだっこして(どうして子連れでデモ取材?)野次馬の最前列に出たのですが、そこで近くにいた警官から、もうすぐ強攻策で一気に事態を解決する(つまり武力行使)から、現場が混乱して関係ない人まで巻き込まれる可能性がある、特に子供は群集に踏んづけられたりするかも知れないから近くに来ないように、と忠告されたそうです。それで仕方なく報告者は人込みから離れ、近くのやや高い場所を見つけてそこから事態の推移を見守ることになりました。

 ところが、一触即発の事態になったことで、治安担当の指揮官はかえって躊躇したのでしょう。老人相手に強攻策に出れば、他の市民も憤激して加勢に加わり、大規模な衝突になる可能性もあります。そこで警官隊に撤収命令が下され、デモ隊が勝ちどきを上げるなか、すごすごと引き揚げていったそうです。最悪の事態は回避されました。

 さて、3日間の予定だった今回のデモですが、参加者の多くは「目的を達するまでやめない」と意気軒高であることから、デモは翌日以降も継続されるのではないかと報告者は書いています。中枢となる組織なり指導者がいないことから、そういう何人かを拘束することで運動を終息させることもできません。ただ当局はデモ隊との話し合いに応じることをきっぱりと拒絶しているため、翌日以降もデモが続いた場合、事態が悪化する恐れもある、というのが報告者の観測です。

 という訳で3日間続いたお爺さんお婆さんたちのデモ、事態が大きく動くこともなく予定していた最終日も無事に終了しました。25日(昨日)以降については確報が入っていないため、とりあえずはここまでです。
 それにつけても思うのは、天安門事件(六四)に象徴される1989年の民主化運動は、運動の主体があくまでも学生や一部の知識人で、市民はそれを応援・支援するというスタイルでした。しかし現今の中国社会において散発的に繰り返されるこうした運動の担い手は、失業者であったり、リストラの決まった工員であったり、政府に土地を強制収用された農民であったり、あるいは今回のような定年退職者であったりと、生活を背負う人々が行動に出ています。その点についていえば、社会状況は1988~1989年当時より遥かにに悪化していると言うことができるかと思います。


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 前回の「速報:安徽省のデモ、3日連続に!」を読み返して笑ってしまいました。
 何だかひとりで力こぶをつくって
「更新はたぶん夜になると思いますが、詳しくはそのときに。」
 なんて書いているのがおかしくて。このプログを読む人なんかいないよ、という想定で(つまり自分のための備忘録のようなつもりで)普段は書いているのですが、この件に関しては何か鉢巻しめて張り切っている様子なのが笑えました。
 もちろん、重大な事件であることには違いないんですけどね。

 閑話休題。安徽省蚌埠市にて3日連続して行われたお爺さんお婆さんのデモの話です。
 初日については10月24日の当欄「安徽省でデモ発生!」で詳報しているのでここでは2日目(10月23日)から。反政府系ニュースサイト「大紀元」に出たレポートに基づいています。

 http://www.epochtimes.com/gb/4/10/23/n698087.htm

 改めてデモ隊(市内の紡織企業を定年退職した工員いち)の要求を書いておきますと、毎月支給される退職金を物価スライド制にしてほしい、でないと生活がやっていけない――というものでした。
 で、初日の段階では当局が要求をはねつけた(多分無視されたんだと思いますが)ため、翌23日も引き続きデモ(座り込み)が実施されました。

「地元公安局への事前申請をしていない以上、これは無許可デモあるいは集会ということで、当局がその気になれば、違法行為で拘束されてしまいます。一見平和的なイベントのようではありますが、かように切羽詰まった行動に出るところまで追い込まれたお爺さんお婆さんたちには、激しい怒りとそれなりの覚悟があったのではないかと思います。」

 と前に書きましたが、怒りも覚悟も、半端なものではなかったようですね。自分たちが生活苦に喘ぐ一方で官僚が汚職で私腹を肥やしている、ということも怒りを増幅させたのでしょう。この意味において、重慶の暴動とやや重なる部分があるように思います。

 前回は勝利路に座り込んで交通を遮断させたデモ隊ですが、この日は占拠する範囲がやや広がったようで、ピーク時には交通局から珠圓賂に至る3km、この区間の交差点という交差点を全て占拠する勢いだったとのこと。もっとも当局の説得及び脅しがあったようで、参加者の数は幾分か減ったようです。

 この日は午前中から事態がやや動きまして、当局は機動隊(防暴警察)を出動させて、デモ隊が占拠する場所近くに配置させました。しかしデモ隊にはそれを恐れる気配は全くなく、一歩も退きません。一方の機動隊は機動隊で、待機命令しか出ていなかったらしく、衝突は起きませんでした。さりとて撤収命令も出ないのでダベったりしながら時間をつぶしていたようです。
 何しろ70歳前後のお爺さんお婆さんによるデモですから、日が高くなる正午近くになると、陽射しがキツいのか帰宅して休む参加者が数多くいたとのこと。でも午後になるとまた戻ってデモに復帰した人が多かったようです。

 レポートした報告者(反政府系コラムニスト)は午前中に現場をひとわたり歩いて、デモ隊と警察の間には衝突もなく、和やかな雰囲気だったとしています。午後になって様子を見に行くと、多くの老人が疲労した様子だっので、緑茶を2ケース買ってデモ隊に差し入れたそうです。
 そのときに参加者のひとりから、もともと3日連続のデモを計画していること、ただし当局が要求を容れればその時点でデモは中止するということを聞き出しています。デモ隊の中に入ってみると、官僚の汚職行為を痛罵する声があちこちで聞こえたとしています。

 一方の当局の動きですが、市内で最もランクの高いホテルである「錦江賓館」の一帯に大勢の武装警察が出動しており、一般市民でもその区域を通り抜けさせてもらえない厳戒態勢だったとのこと。どうしてホテル?というところですが、前日行われた同市新市場(ショッピングセンターか?)のオープンセレモニーに来賓として出席した中央ないし安徽省の高級官僚が、首都北京や省都合肥市から出張してきてこの錦江賓館に投宿しているからだろう、と報告者は想像しています。

 とにもかくにも、このデモは同市にとっては1989年の民主化運動以来の大規模な示威活動ということです。続いてこの報告者は反政府系コラムニストらしく、活動家の視点から今回のデモに言及しています。
「当時の学生運動と比べると、このデモには物足りない点がたくさんある」
 とまずは総評として厳しい点数をつけています。具体的には、

 ●宣伝工作を重視していない。プラカードや横断幕がほとんど見当たらない。
 ●例えば在職当時の部署ごとにまとまるなどして道路占拠を行えばいいのに、そういう組織立った動きがないために脱落者が出やすくなっている。
 ●演説活動をしない、というよりその役目を負った参加者というのがそもそも見当たらない。だから通りかかった一般市民には、何の集まりなのか伝わりにくくなっている。
 ●デモ隊は交差点を占拠するなどして交通を遮断することばかりやっていて、自分たちの境遇を訴えて広範な市民の同情を勝ち取るという本来の目的が全く達成されていない。逆に警察が交通整理の人員を出すなどして混乱回避に努めていることから、デモ隊は逆に孤立する(ないしは渋滞を引き起こす元凶とみなされる)結果になっている。

 ――とのこと。さらに、
「この2日間、当局が冷静に対応していることからみて、明日(3日目)も大事にはならないだろう。当局も鎮圧に出る必要はない。老人たちは疲労しているから、尻すぼみのような形でデモは終息する筈だ」
 といった内容の予測を示しています。逆に当局が重慶暴動の如く武力介入のような強硬手段に出れば、デモ参加者が老人なだけに、死者などが出ればたちまち市民の憤激を買って収拾のつかない事態になるだろう、と不吉な言葉でもってレポートを締めています。
(とりあえずハーフタイム)


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