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ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

選手と一丸 悲願の1勝  ろう者サッカー

2009年10月11日 00時37分18秒 | 障害者の自立
 台湾・台北で先月開かれた聴覚障害者対象の「デフリンピック」で、ろう者サッカー男子日本代表が、悲願だったデフリンピック初勝利を挙げた。監督として4年間チームを率いたのは、特別支援学校・県立大宮ろう学園教諭の尾上(おのえ)直也さん(40)(熊谷市野原)。5年前、県立高校から希望して学園に移った。尾上さんは子どもたちに伝えたいという。「4年間で感じたんです。やりがいを持って生きれば、障害のあるなし関係なく、明るく元気に暮らしていける、と」

 ろう者の五輪とも呼ばれるデフリンピック。夏季は1924年にスタートし、先月5~15日の台北大会は21回目で、77か国・地域から日本の154人を含む約2500選手が出場した。

 男子サッカーは計16か国が戦い、日本は初戦で前大会優勝のイギリスに1―2と健闘、順位決定戦では韓国を2―2の同点からPK戦で下して勝利をつかんだ。日本ろう者サッカー協会が発足し、日本代表が本格的に始動した11年前からの悲願だった。

 尾上さんが聴覚障害者と出会ったのは、教育社会学を専攻していた大学時代だ。友人の勧めで手話を習い、ろう学校で教育実習も経験した。「子どもたちの素直で純粋な瞳が印象的だった。社会とのかかわりが少ない子どもたちの力になりたい」

 ろう学校への就職を目指したが、チャンスがなく、いったん県立高校の社会科教諭に。しかし高校では9年間、サッカー部の顧問を務め、2004年に念願がかない大宮ろう学園に転勤すると、日本サッカー協会「C級ライセンス」を取得。監督業の下地が自然にできていた。

 翌年、協会が次期デフリンピックに向けて監督を募集していると知った。スタッフでもいいと応募してみると、指導歴などを買われ、監督に抜てきされた。

 代表合宿は年に数回。日の丸を過度に意識した時期もあったが、選手の部屋に上がり込み、個別にメールでアドバイスを重ねるうち、選手も「監督変わったね」と慕ってくれるようになった。

 しかし、いざ練習をしてみると組織力不足を痛感した。耳が聞こえない選手たちに戦術を分かりやすく伝えるため、ミーティングではパワーポイントを使って説明するなど工夫を凝らした。「味方のディフェンダーがかわされたら、そのボールを奪える距離、間隔を保つ」などの決まり事も多く作り、合宿以外でも作戦をまとめた自作のCDを配布。「技術とスタミナでは世界でも十分に戦える」。4年間でそんな自信がついた。

 9月10日の韓国戦。千葉県出身の選手が、ドリブル突破からPKをつかんだ前半のシーンがあった。組織で敵陣を崩し、ゴール前で仕掛けたからこそ生まれたプレーだと尾上さんは思っている。「1勝の喜びより、悔しさの方が強い。本気で世界と向き合い、精神的にも頼もしくなっていた。こんな人たちもいるんだよ、と子どもたちに話してあげたい」



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