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ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

 助けてもらうことは、人生の醍醐味   女優石井めぐみさん(国立市)

2012年01月03日 01時36分49秒 | 障害者の自立
 未曽有の災害が昨年3月、東日本を襲い、日本列島に絶望と深い悲しみをもたらした。「艱難(かんなん)、汝(なんじ)を玉にす」という言葉があるように、自分ではどうすることも出来ないことに直面しても乗り越えれば人は成長すると、信じたい。「頑張れ」の代わりに、困難を乗り越えた8人の女神たちの言葉を読者に届ける。

 港区のマンションの一室にあるサロン「ラ・アンジェ南青山」。昨年11月、会員制交流サイト「フェイスブック」の勉強会が開かれた。女優の石井めぐみさん(53)は女性たちの輪に入り、愛用の多機能携帯端末「iPad」で活用方法を実演、「つながる」楽しさを伝えていた。

 サロンの会員は約500人。大半は子育てを終えた40歳代後半以降の女性だ。おしゃべりしながら、楽しい一時を過ごしていた。フラワーアレンジメント、美容講座……。毎回、会員が講師を務め、興味を持った人が参加する。

 「子供が独立すると女性は家庭の中で孤立する人が多い。こういう人たちが輝ける場所が必要だと思った」と、サロンの運営会社ウィメンズ・ラボを設立した。

 石井さんは彼女たちのことを、「フラワーエイジ」と呼ぶ。今まで大変なこともあったけど、これからが人生の本番。大輪の花を咲かせてほしいという願いを込めた。開設から2年半、サロンは、石井さんにとっても「大切な場所」になった。

 大学在学中に芸能界デビューし、テレビドラマやバラエティー番組で活躍。知的で清純なイメージでお茶の間の人気を得た。結婚を経て、順風満帆だった人生に思わぬ出来事が訪れた。

 待望の長男・優斗君が出産時のトラブルで重度の脳性マヒを負った。話すことも体を自由に動かすこともできない。たんや唾を自力でのみ込めず、1日何十回もの吸引が必要で24時間態勢の介護だった。

 優斗君の機能回復のため、デイケア施設に通った。「障害児とその家族の生活を向上させたい」という思いが募り、知り合った母親仲間と親の会「てんしのわ」を設立した。

 孤立しがちな障害児の母親のため、育児相談や情報交換ができるインターネットサイトを開設。相談事を書けば、誰かが対処法を教えてくれる。「ここでつながっているから何とか頑張れる」。いつしか、そんな声が寄せられるようになった。

 優斗君の進学を巡り、行政や政治家とも交渉に当たった。役者とスタッフ以外に関わりがない狭い芸能界と比べ「友達が増え、人生が濃くなった」。

 その後、次男の子育てをしながら優斗君の介護、会の活動、仕事とすべてを精力的にこなし、充実した日々だった。しかし、夫とは徐々にすれ違いが生じていた。やがて優斗君は人工呼吸器が外せないほどに体調が悪化、8歳でこの世を去った。

 心に大きな穴が開いた。気付くと優斗君が入院していた病院の前にいたり、骨つぼをお墓に入れることを考えただけで、呼吸困難になり、病院に運ばれたこともあった。夫とは離婚、次男は夫の実家で暮らすことを望んだため、親権も失った。「自分が情けなくて何で、何で……」。ただただ、もがき続けた。

 ある時、石井さんが生まれ育った調布市で霊園を偶然、見つけた。見学に行くと、優斗君を産んだ病院の近くで、そこは以前、お花畑だった。直感的に気に入った。墓を購入し、納骨が済むと、「すごく楽になった」という。

 石井さんは、これまでのことを振り返るようになった。吸引の仕方を覚えた近所の人など周囲の人が優斗君の面倒を見てくれ、助けられたことを思い出した。「だから自分も誰かの支えになりたい。人に助けてもらうことは、人生の醍醐(だいご)味」だと悟った。

 「人と人がつながる幸せを広めていきたい」。目標が見え、人生の再スタートを切った。障害者に優しい街づくりや命の大切さをテーマに月に3~4本、全国各地で講演を行っている。

 そんな中、東日本大震災が起きた。翌日、福島県南相馬市で講演をする予定だった。「楽しみにしています」。地元の人たちがツイッターでつぶやいた言葉とテレビに映る現地の映像を見比べ、言葉を失った。

 石井さんは昨年の約半年間、サロンで開いた講座の受講料を全額被災地に寄付した。会社はまだまだ黒字ではないが、できることをしたいと思った。

 「つらいことでも、見方を変えればどこかに『幸せの種』はある。諦めずにいいことを探して行けば、最後には『いい人生だった』って思える。今のところは、それができているかな」。苦難を乗り越えて来た石井さんの表情は、輝きに満ちていた。


「人のつながりを作り、大切にしていきたい。それが私に与えられた役割だと思う」と話す石井さん(昨年11月、「ラ・アンジェ南青山」で)

石井さんの歩み

1958年 調布市に生まれる

 77年 都立国立高校卒業

 79年 早稲田大学在学中に芸能界デビュー

 90年 テレビディレクターと再婚

 91年 長男・優斗君を出産

 93年 「てんしのわ」を設立。次男を出産

 96年 「笑ってよ、ゆっぴい」が出版され、ドキュメンタリー番組「ゆっぴいのばんそうこう」が放送される

 99年 優斗君が亡くなる

2000年 離婚、国立市に引っ越す

 09年 「ウィメンズ・ラボ」を設立

(2012年1月1日 読売新聞)


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