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ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

ものの始まり:/4 ライトハウス日本第1号 /大阪

2009年07月30日 00時40分20秒 | 障害者の自立
◇視覚障害者の“灯台守”に
 ◇岩橋武夫が点字図書作り、情報提供など遺志は今も
 夜の海上を行く船に光を発して位置を知らせる灯台は、英語で「ライトハウス」という。そんな灯台を、光を失った視覚障害者の人生を照らすイメージに重ね、米国のルファス・グレーブス・マザー夫人が1905年、「ニューヨーク・ライトハウス」を設立、視覚障害者の福祉向上を目指す「海なき灯台」を世界に広げようと運動を始めた。その日本第1号の「ライトハウス」(現・社会福祉法人日本ライトハウス)は1936年、大阪で産声を上げた。

 マザー夫人に共感して奔走したのが、大阪出身の岩橋武夫(1898~1954)だ。武夫は大学在学中の1917年、網膜はく離で失明。大阪市立盲唖(もうあ)院で点字を覚え、関西学院に進学、英文学を学んだ。共通国際語のエスペラント語も学び、点字版の「日エス辞典」を作ろうと22年、自宅に点字出版所「点字文明協会」を設立。これがライトハウスの母体となった。海外の福祉事情を研究するため英国へ2年ほど留学。帰国後、来日したマザー夫人の講演会で通訳も務めるなどした。

 武夫は視覚障害者の職業開拓を特に考えたという。当時の日本ではマッサージ師やはり・きゅう師、三味線・琴などに限られ、それぞれ技能を習得できるものの他の職種に就くのは難しかった。武夫は「もっと一般の人と一緒にできることがあっていい」と、点字文明協会の業務に点字図書の貸し出し、視覚障害者の生活訓練にもつながる家庭訪問教師の派遣を加えた。

 新たな施設を建てようと、自叙伝を書いて米国で売ったりしながら資金を集め、大阪市の阿倍野に「ライトハウス」を35年に開館した。翌年の記念式典にはマザー夫人も出席し「世界で13番目」と公認を受けた。武夫は館長として、編み物や機織りの講習会も企画し、新しい仕事の道を開く手助けをした。

 武夫の情熱は、平和・平等を希求するキリスト教クエーカー信仰が裏打ちしていたといわれる。日本ライトハウスの木塚泰弘理事長(74)は「神の愛がすべてを照らすと信じ、『見えない人もその例外でない』という強い気持ちがあったのだろう」。戦後も、全国の視覚障害者を大阪に迎えて日本盲人会連合を結成したり、ヘレン・ケラーと日本各地を回り、50年施行の身体障害者福祉法制定にも力を尽くした。仲間や教え子らも京都、島根、名古屋でライトハウスを開き、武夫の精神は各地に広がった。

 武夫亡き後、職業・生活訓練などのリハビリ事業、盲導犬訓練、点字図書出版などを手掛けてきた日本ライトハウスは8月、大阪市西区で建て替えを進めていた情報文化センターをオープンさせる。単行本や雑誌を点字、音声、拡大文字などさまざまな媒体で貸し出す情報拠点で、木塚理事長は「視覚障害者はもちろん、文字が読みづらい高齢者や読書障害の人の情報保障にも力を入れる」と話す。例外なくすべての人を光で照らそうと願った武夫の遺志は、今も受け継がれている。

    ◇

 日本ライトハウスは、情報文化センター改築募金の協力を呼び掛けている。問い合わせは法人本部(06・6961・5521)。



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