ゴエモンのつぶやき

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発達障がい支援を広げるために「まず大人が変わろう」

2017年09月09日 03時18分31秒 | 障害者の自立

特定非営利活動法人アジャスト(愛知県一宮市、清長豊代表理事)は発達障がいのある子どもとその保護者の教育・生活支援を行っている。支援が必要な子どもは日本人だけでなく、外国につながる子どももおり、ホームページは日本語とともにスペイン語で表記している。愛知県と岐阜県で月に約50件を支援する清長理事は、「よく大人は子どもを変えようとしますが、実は大人も変わる必要があります」と周囲の理解が必要だと強調する。

発達障がいやその可能性がある子どもは、問題行動や学力不振があると、障がいがあるためでなく、本人の努力不足やしつけの問題だと誤解されてしまうことが多い。見ためは健常発達の子どもと変わらないため、周囲の大人たちが気付きにくいからだ。そのような分かりにくさがあるため、発達障がいの法的位置づけが確立されたのは、2004年12月に「発達障害者支援法」が成立してからだ。

「家庭りょういくSophie」での学習は、教科書とノートと鉛筆を使っているが、視覚的な認識や字を読むことが苦手な子どもには、ICT教材を使っている。プリント教材と違い音が出せ、聴覚で理解しやすい。視覚で理解がしやすい子どもにも、アニメーションや絵が役に立つ。

「『りょういく』には、子どもが抱える難しさをトレーニングして軽減していく『療育』、子どもと周りの大人が一緒に育つ『両育』、療育と両育がなされることでいい教育につながる『良育』の3つの意味をこめています」と清長理事は話す。

「Sophie(ソフィー)」は清長理事が出会った健常発達の外国人の女の子の名前で、難しいことにもどんどんチャレンジしていく姿を見て、頑張る子どもたちをサポートしたいと思ったという。

■家庭での療育にこだわり

発達障がいが原因で学習不振になると進学できない場合があり、成長が遅れている子どものほうが早く社会に出ることになってしまう。

清長理事は「そういう子ほど、さまざまなことを教えていく必要があります」と療育の重要性を訴える。中学校の担当教師に「進学は無理」と言われた子どもに、学習支援し高校へ進学させた。その後もさらに学校と連携を取るなど継続的に支援をしたことで、その子どもは就職を果たしている。

アジャストは、「家庭」で支援することにこだわりを持っている。療育所では、専門家が作りこんだ環境や教材を使い専門的な立場で接するので、子どもは良い姿を見せる。だが、専門家がいない日常生活は整えられた環境でないためうまくいかず、失敗体験となり、親子で自己肯定感が低くなるという。

家庭で支援することで、子どもに適した学習環境をアドバイスしたり、親がリラックスして相談できるなど、様々なメリットが生まれた。

外国につながる子どもの支援は、取り組むべき課題が多岐にわたり、語学など含め専門家が少ない。清長理事は今後、きちんと対応できる療育指導員を育成していきたいと考えているという。

◆特定非営利活動法人アジャスト


社会的ニーズが高まっている福祉&心理の専門職「精神保健福祉士」

2017年09月09日 03時09分23秒 | 障害者の自立

介護福祉士、社会福祉士と並ぶ3大福祉資格の一つ

将来は介護・福祉分野で働きたいと考えている高校生でも、「精神保健福祉士」についてはよく知らないという人は多いのでは?

 しかし、精神保健福祉士は、介護福祉士、社会福祉士と並ぶ3大福祉資格の一つ。

 大学の福祉系学部や福祉系専門学校にも養成コースが多数設けられており、介護・福祉の専門職志望者なら、ぜひチェックしておきたい資格なのだ。

 では、精神保健福祉士とはどのような仕事をする人たちなのか?

 社会福祉士などとはどのように違うのか?

 大妻女子大学 人間関係学部 人間福祉学科の蔵野ともみ教授に話を聞いてみよう。 「精神保健福祉士は、福祉にとどまらない、心理や保健医療にもまたがる専門家です。精神の障害を抱えた人たちが適切な医療や公的制度を利用できるようアドバイスしたり、社会復帰に向けたリハビリや、退院、就職をサポートしたりするのが代表的な仕事ですね」

 精神に病気や障害を抱えた人たちの社会復帰を支援

困っている人たちへの相談・援助を行うところは社会福祉士と共通。

 社会的ニーズが高まっている福祉&心理の専門職「精神保健福祉士」

 ただし、社会福祉士が高齢者、障害者、子どもなどを幅広く対象としているのに対して、精神保健福祉士は総合失調症やうつ病、認知症、発達障害、知的障害など精神の病気や障害を抱えた人たちを主な対象としている点が大きな違いだ。 「ただし、必ずしも重い精神疾患を抱えた人たちだけが対象というわけではありません。例えば、健康な高齢者や子育て中の母親なども心に悩みを抱えることはありますし、健康な人でも病気になれば不安に襲われます。また、LGBT(性的マイノリティ)の人たちや日本で暮らす外国人なども、差別や偏見で苦しんでいるケースがあります。このような層への心のケアやサポートも精神保健福祉士の大切な役割です」

 

社会的ニーズが高まっている福祉&心理の専門職「精神保健福祉士」

 つまり、臨床心理士のような心理系の専門職とも共通点があるということ。これは社会福祉士にはない特色だ。

 一般企業でうつ病対策などに取り組む働き方もある

そのため、働き場所や働き方も実は幅広い。

 もちろん最も多い勤務先は病院や障害者福祉施設だが、最近は地域の保健所や精神保健福祉センターで働く地方公務員の採用の際に、精神保健福祉士の有資格者を対象とした枠を設けるケースも増加。

 そして、医療・福祉以外の分野にも活躍の場は広がっている。 「一般企業の人事部などに所属して、『産業ソーシャルワーカー』として社員のメンタルヘルス対策に取り組む精神保健福祉士も増えていますね。また、学校ソーシャルワーカーとして、いじめや貧困で苦しんでいる子どもをサポートする例も目立ってきています」

 社会的ニーズが高まっている福祉&心理の専門職「精神保健福祉士」

 そのほか、これから精神保健福祉士に期待される役割として蔵野教授が挙げるのが、精神に病気や障害を抱えつつ罪を犯してしまった人たちのサポート。 「このような人たちは、刑務所などを出た後、行き場をなくしてしまう状況が続いていました。しかし、国も、各都道府県に地域生活定着支援センターを設け、このような人たちが福祉サービスを受けられるように支援に取り組み始めました。その中核を担うのも精神保健福祉士です」

 社会的にも精神保健福祉士へのニーズは高まっている

 今、国は精神に病気や障害を抱えた人たちのリハビリや社会復帰を支援する方向で法整備や制度作りを進めている。その背景には、うつ病や発達障害が社会的にもクローズアップされ、認知症患者も増加しているという事情もある。

 精神保健福祉士に対するニーズは確実に高まっているといえるだろう。

 では、精神保健福祉士にはどのような資質が求められるのだろう。

 もちろん「困っている人の役に立ちたい」という気持ちは不可欠。

 しかし、「優しい」だけではできない仕事だとも蔵野教授は指摘する。 「抽象的な言い方になりますが、『自分をしっかりともっていること』が大切です。自分自身が不安定な人は、困っている人を助けることに、つい自分が達成感や満足感を得ようとしてしまう。『自分ありき』になってしまいやすいんですね。しかし、精神保健福祉士の目的は、サポートする対象の人たちに自分自身の人生を生きてもらうこと。主役はあくまで彼らなのです」

 困っている人たちの権利を守ることも大切な役割

 社会的ニーズが高まっている福祉&心理の専門職「精神保健福祉士」

 また、もう一つ重要なのが正義を貫く信念。今、社会は変わろうとしてはいるものの、まだまだ一部で差別や偏見は残っている。そこで、精神に病気や障害を抱えた人たちの権利を守る役割も精神保健福祉士は担っているのだ。 「彼らにはほかの人と同じように働き、教育を受け、医療サービスを受ける権利があります。しかし、自分自身ではそれを主張できないことも多い。だからこそ、私たち精神保健福祉士が、会社や学校、病院にアドバイスをしたり、交渉をしたり、ときには闘ったりすることで、彼らがもっている当然の権利を守っていかなければなりません」

このように、私たちが通常イメージする福祉職とは違った側面ももっている精神保健福祉士。決して簡単な仕事ではないが、だからこそ、やりがいも使命感も大きい。

 興味をもった人は、さらに詳しく調べてみてはどうだろう。

2017.09.07 19:15  


JDA、国内審査通過5作品を発表-ロボット技術を利用した義足など

2017年09月09日 02時58分42秒 | 障害者の自立

ジェームズダイソン財団は、同財団が主催する国際エンジニアリングアワード、ジェームズ ダイソン アワード 2017(以下、JDA)において、国内最優秀賞作品ならびに国内審査通過作品の計5作品の決定を発表した。

JDAは、次世代のデザインエンジニアの支援・育成を目的に毎年開催されているアワード。「問題解決のアイデア」というテーマで募集され、12回目となる今回は世界23か国にて開催された。1,000を超える作品が集まった中、国内最優秀賞は、孫小軍氏・菅井文仁氏・佐藤翔一氏3名による作品「SuKnee-障害者のモビリティを高めるロボット義足」に決定した。既存の義足は動力を持たないのが主流で、膝関節の自律的屈伸ができない為、階段の上り下りや椅子からの立ち上がりが困難であることに自らもユーザーである孫氏が不満を感じているという。同作品では、ロボット技術を活用し、独自で開発した筋肉を模倣するアクチュエータを搭載し、歩行に合わせる制御を行うことで独自動力を持たせている。受賞者の3名には、賞金2,000ポンド(約28万円)が贈られ、製品化を目指して開発が進められるということだ。

また、国内準優秀賞は、オーストラリア出身のプロダクトデザイナー、ベンバーウィック氏による「Digital Garden」に決定した。都心に多い集合住宅生活はソーラーパネルを使用する選択や動機がなく、なかなか普及しないという問題に対し、窓に取り付けが可能な折り紙工学ソーラーパネルをデザインした。そのほか、国内第3位は、寺嶋瑞仁氏、上脇優人氏、冨田青氏、パドロンファン氏による、「~Cuboard~ クローラユニットシ ステムを用いた雪上にて走行可能な小型モビリティ」で、雪国で冬の時間に気軽に移動できる手段がないという不満を解決した作品に決定した。

今後、上記を含む国内審査通過5作品は、参加23か国で国内審査を通過した作品群とともに第2次審査に進み、さらに選考された作品が、ダイソン創業者ジェームズ ダイソンによる国際最終審査に進む。結果は10月26日に発表予定となっており、国際最優秀賞受賞者にはトロフィーと賞金30,000ポンド(約435万円)、受賞者が在籍または卒業した教育機関に寄付金約5,000ポンド(約72.5万円)が贈られる。なお、国内受賞作品表彰式は11月頃に開催予定で、作品は全てJDAホームページで公開されているということだ。

2017/9/8    マイナビニュース


【夢を追う】九州ラーメン党理事長・浜田龍郎さん

2017年09月09日 02時46分53秒 | 障害者の自立

 ■10歳で詩人宣言、今も作り続ける

 《詩人でもある。父(辰三郎さん)も文学に親しんだ》

 父は、西之表港で仲仕の組合長をしていました。仲仕というのは、船荷を運ぶ港湾労働者です。同時に父は、文芸誌「熊毛文学」の同人でした。

 詩人としての芽生えは10歳の頃です。私が小4の頃、自宅で開かれた歌会で父が詠んだ句が、記憶に残っています。

 正月が来る 客が来る 皿を借る

 種田山頭火に代表される自由律です。そんな親の背中を見て育ち、自由律の詩を書くようになりました。

 同じ年の夏休み、自由研究に「ぼくの詩集」を制作しました。学校図書室へ通い詰めて本を読み、資料を集めました。詩ができると、担任教諭のガリ版を借りて、鉄筆で書き込みました。苦心の作は見事、校内コンクールで最優秀賞を獲得。これに気をよくして「詩人になる」と周囲に宣言しました。

 何より、海と緑に囲まれた種子島は、格好の詩の素材でした。森永乳業の工場に勤めた18、19歳の頃、私は工場近くの山小屋で生活しました。通勤に便利で、詩人を標榜(ひょうぼう)する私には、ランプの明かりだけの自給自足の暮らしが魅力的だったのです。20歳で処女詩集「十九葉」を出版しました。

 生き方を振り返ると、詩だけでなく、父に重なることが多いと感じます。

 《第2詩集「俺達の島」に収められた「偶成」は、フォークシンガー、加川良さんが楽曲にし、ヒットした》

 「偶成」は、種子島から鹿児島市へ出張した際の出来事から作った詩です。泊めてもらった工場の先輩の部屋に、私が思いを寄せていた女性の手紙があったのを見つけたのです。失恋したものと邪推し、帰りの船の中で作りました。

 その後、長崎勤務のとき、営業マンに徹しようと、しばらく詩を封印しました。大量の詩集を長崎市の古本屋に預けました。この古本屋に偶然、演奏旅行中の加川さんが立ち寄り、私の詩集を手にし、歌にしてくれました。

 そのおかげで、作詞依頼が来るようになりました。作詞家として食べていく気はなかったのですが、社歌も多く手がけました。社長からの命令で、森永乳業の歌も作りました。

 加川さんは今年4月、亡くなりましたが、半世紀近く大切に歌い続けてくれ、感謝しています。

 《詩はボランティア活動の力にもなる》

 脱サラ後、妻の了解を得て2カ月間、あこがれの山頭火の足跡をたどる旅に出ました。私自身が放浪詩人や、貧乏生活にあこがれるような面もあります。実際、破産からラーメン屋をするまでを考えれば、その通りになった気もします。これまで詩集も7冊出しました。わずかながら印税はボランティアの原資に充てています。

 熊本地震の後、熊本在住のミュージシャン、樋口(了一)さんと復興ソング「小さき花の歌」を制作しました。樋口さんとのつきあいは、障害者作業所団体の全国大会が、平成28年10月に熊本で開かれることになり、大会テーマソング「翼が生えた日」の作曲をお願いしたのがきっかけです。

 地震後の7月に、樋口さんがお見舞いに来てくれた。その際、復興ソング制作を持ちかけました。

 歌詞は長年、頭の中で温めてきたのです。知的障害児通園施設「しいのみ学園」創立者の●地(しょうち)三郎さんの短歌「小さきは小さきままに 折れたるは折れたるままに コスモスの花咲く」から、詩想を得ました。

 少年時代の自分との約束を守り通そうと、詩作を続けています。

 詩人として歩み続けるのはもちろんですが、今年7月に熊本県益城町にラーメン店を開き、また借金を背負いました。店や通所施設で働く障害者の給料を上げるという目標もできました。新たな夢をくれた障害者と友人、家族に感謝しています。

 挑戦は限りなく続く。夢を追うのを止めたとき、人は老いると思うのです。

 (聞き手 南九州支局 谷田智恒)

少年時代から詩作を続ける

少年時代から詩作を続ける

2017.9.8    産経ニュース


開館25周年を迎えた障害者スポーツ文化センター横浜ラポール館長

2017年09月09日 02時21分52秒 | 障害者の自立

絆深め心通い合う施設に

 ○…「色々な方々に支えられて今がある」と、施設の利用者、ボランティア、競技団体などへの感謝の気持ちを言葉にした。”国連障害者の10年”を記念して開館してから25年。館長着任は今年の4月。3日には周年記念事業を行い多くの来場者で賑わいを見せた。ラポールの名の由来「心の通い合い」にちなんで、「つながりや絆を大切にし、将来への夢をつなぐための一年にしたい」と意気込みを語った。

 ○…足が速く、リレーの選手に選ばれるような少年時代を過ごした。当時はまだ本牧(中区)にも自然が多く残っており「沼に腰まではまってしまったこともあった」と振り返った。高校を卒業後は都内の大学で社会階層などを研究。卒業と同時に横浜市に入庁し、多年に渡って障害福祉に携わってきた。2006年の障害者自立支援法施行時には担当課長を務めており「時代に転換期に立ち会えた」と話す。

 ○…30代前半、新婚時代に綱島に住んでいたこともあり、大倉山梅林の梅まつりに足を運んだこともある。「色々な面で便利な街という印象」と話す。30代の頃から続けていたのがぶらり街散策。近年ではTV番組でもみかけるが「僕のほうが先に始めていた」と笑って見せる。事前に下調べはせず「少し迷子になる」程度に街の移り変わりなどを楽しんでいた。数年前から親の介護で外に出られない状況に。そこで見つけた楽しみは自宅ででる生ごみを使った土作り。その土を使ってシソやルッコラなどの葉物野菜を栽培している。

 ○…国内で数ある障害者専用・優先スポーツ施設の中でも有数の規模を誇る同施設の昨年度の利用者数は約44万4000人。この秋には延べ1000万人を迎える予定だ。今後は「更なる地域展開」をテーマに、障害者が自立的に地域でスポーツに親しんでもらえる環境作りのために、地域支援や人材育成に積極的に取り組んでいく方針だ。

神山 篤さん 中区在住 60歳

2017年9月7日   タウンニュース