ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

虐待事件の障害者施設 第三者委「改善なければ民営に」

2017年03月23日 03時26分03秒 | 障害者の自立

4年前、職員による虐待が確認された社会福祉法人が運営する千葉県立の障害者施設について、県の第三者委員会は21日、今後改善がなければ民営にすべきとする意見を示し、県側は取材に対し、「重く受け止めたい」と話しました。

千葉県立の袖ヶ浦福祉センター養育園では、4年前、虐待死亡事件が起き、同じ社会福祉法人が運営する更生園でも、職員による虐待が確認されました。

調査を進めてきた県の第三者委員会が21日、中間意見を示し、この中で、更生園については外出の機会が少なく、食事を冷たいまま出していたなどとして、「ネグレクトともいうべき事態だ」と指摘しました。

そのうえで、「県立施設としての支援の水準に達することが困難」として、今後改善がなければ更生園を民営にし、利用者に必要な支援が行き届くよう、複数の施設の整備を県に求めました。

袖ヶ浦福祉センターの運営法人の相馬伸男理事長は「支援内容の改善に私がリーダーシップを取れなかった」と話し、千葉県障害福祉課の古屋勝史課長も「まだ検証中で民営化と決めていないが、意見は重く受け止めたい」と話していました。

3月21日   NHK


「みんなのホテル」建設を 障害者も、高齢者も安心して…

2017年03月23日 03時16分26秒 | 障害者の自立

奈良の福祉事業者「ヒューマンヘリテージ」計画

 日本有数の観光地でありながら、宿泊施設の客室数が全国最下位(平成27年度)の奈良で、障害者や高齢者も安心して利用できるホテルを立ち上げようと、介護タクシーを使った旅行サポートなどを行う会社「ヒューマンヘリテージ」(奈良市)の社長、山本善徳さん(42)が計画を進めている。山本さんは「障害者の悩みを解決する仕事がしたい」と話す。

高校時代のボランティアが契機

 奈良市で生まれ育ち、高校2年生の時、福祉ボランティアをしていた母の影響で、ボランティアサークルに入った。「障害のある人の生活を支えているという実感があり、『こんな世界があるんだ』と感じた」と福祉活動に取り組んだ。

 卒業後、障害者支援を行う「たんぽぽの家」(奈良市)でアルバイトとして働き、24歳で正職員となってからは、障害者の旅行サポートなどを行っていた。

 「障害のある人の旅行はなぜこれほど大変なのだろう」。車イスでの移動、多機能トイレの有無、バリアフリーなホテル探しなど障害は多い。「この人たちが心から旅行を楽しめるように、問題を解決するビジネスがしたい」と、介護老人保健施設でケアマネジャーを3年経験した後、平成21年4月、奈良市に「あたりまえの暮らしをすべての人に」がコンセプトの会社「ヒューマンヘリテージ」を設立した。

バリアフリーホテルを自らの手で

 介護タクシーを利用した旅行・観光サポートや、「高齢者向けカルチャーセンター」の運営などを手がけているほか、現在取り組んでいるのが「みんなのホテル」プロジェクト。

 「車イスでも使える奈良のホテルを紹介してほしい」という障害者の声を実現するため、「障害のある人が安心できるバリアフリーなホテルを自分で作ろう」と考えた。

 「障害者、高齢者など誰でも快適に過ごせるデザイン」「地域住民と旅行者の交流拠点」「障害者を雇用して仕事に誇りを持ってもらう」の3つをコンセプトにしたホテルは、31年4月のオープンを目標にする。

 10部屋程度で、車イスでも入りやすい介護用ベッドや、風呂にもリフトを装備するなどバリアフリーにし、従業員がヘルパー介護の資格をもっているようにすることも計画している。

 現在、奈良市内で土地を探すなど計画実現に向けて取り組みを進めている。山本さんは「地域とともにあるホテルを絶対につくる」と力強く語っている。

「みんなのホテル」計画について職員と話し合う山本善徳さん=奈良市

「みんなのホテル」計画について職員と話し合う山本善徳さん

産経ニュース


京都)障害者と歩み10年 龍谷大深草のカフェ

2017年03月23日 03時06分54秒 | 障害者の自立

 龍谷大深草キャンパス(伏見区)に、障害がある若者が働く「Caf●(eに鋭アクセント、カフェ) 樹林(じゅりん)」ができて10年がたった。今では障害がない学生も運営に多く携わり、カフェを盛り上げる。めざすのは、だれもが輝ける社会の実現だ。

 校舎に囲まれた中庭に立つ、ガラス張りの円柱型の建物に樹林はある。40席ほどの店内には、太陽の光がたっぷりとふり注ぐ。

 「一人ひとりが光り輝く存在」を意味する「七宝樹林」が店名の由来。浄土真宗の宗祖・親鸞の教えだ。多様な人が共生するノーマライゼーションの理念を学内で実践しようと2006年、当時の神子上(みこがみ)恵群(えぐん)学長の発案で創設された。

 運営の中心は、向日市などで障害者福祉施設を運営する社会福祉法人「向陵会」と、そこに通う障害者たちだ。

 転機は4年前。学内に新たな食堂ができ、カフェの客足は1日に数人程度にまで落ちた。障害者たちの意欲も下がり、サボりがちに。見かねた向陵会職員の河波明子さん(59)が、カフェに出入りしていた当時経済学部4年の瀧川潤一朗さん(25)に相談した。「学生の力でカフェを盛り上げてもらえないか」。瀧川さんは「学生は勉強するだけではダメ。人間関係を学ぶ場として、カフェをもっと発展させるべきだ」と考え、カフェの広報活動などに参加するようになった。

 学生は当初5人ほどだったが、徐々に仲間が増え、今では40人以上の学生がカフェの運営に関わっている。客足も伸び、ここ数年は学生や教職員だけでなく、地域の人も訪れ、満席になる日も少なくない。

 カフェで一緒に働く以外にも、ネギや小松菜の収穫をしたり、靴磨きの技術を学んだり。「主体性とは」「利他とは」といったテーマで議論することもある。

 「人って変わろうと思えば変われるんやな」。そう話すのは、龍谷大を卒業後、昨年4月からカフェに通う男性(24)だ。在学中から人と付きあうのが苦手で、就職活動もうまくいかなかった。医療機関を受診すると、発達障害と診断された。「ショックだった。でも、学生たちと議論していくなかで、自分を客観的に見つめ直すことができた。今は自分で前に進んでいる感覚がある」。最近は、素直に自分の考えを相手に伝えることができるようになったと感じている。

 専門的立場から学生らに助言してきた龍谷大政策学部の中森孝文教授(経営学)は「樹林では、現実的な社会に自信をなくしかけた若者たちが、本当の意味での多様性社会の実現をめざして取り組んでいる。すべての人の強みや個性を生かして新たな価値を生む、社会的に大いに意味のある活動だ」と話す。

写真・図版 

障害がある若者と学生がともに議論し、コミュニケーション能力を高めあう

写真・図版 

明るい光が差し込むカフェ。店内には笑顔があふれる

2017年3月21日   朝日新聞


障がい者のいる家庭との接し方にためらってしまう...当事者はどう感じている?

2017年03月23日 02時54分50秒 | 障害者の自立

家族や知り合いの家に障がいのある子どもが生まれたら、あなたは何と言葉をかけるだろう? 普通の赤ちゃんの誕生と同じように、素直に「おめでとう」と言えるだろうか。

神奈川県で障がいのある人とない人の交流などをしている一般社団法人「ヨコハマプロジェクト」代表の近藤寛子さんは、悪気はなくても知らず知らずのうちに相手を傷つけてしまうような言葉がかけられることがあると話す。

「障がいのある赤ちゃんを産んだお母さんのなかには、周りの人に『なぜ、出生前診断を受けなかったの?』と聞かれる人も多くいます。そう聞かれることで、『自分の子どもは社会に受け入れられないのではないか』という不安を感じ、自分を責めてしまう親もいるんですよ」

一方、「自分が障がい者やその家族を傷つけてしまうことが怖い。だから、障がいのある人やその家族には近づかないようにしよう」と、見て見ぬふりをする人もいる。

ダイバーシティ(多様性)という言葉が盛んに使われるようになるなか、これではダイバーシティをさらに進めた「インクルージョン(包括・受容)」という、ひとりひとりが自分らしく組織に参加している状態には程遠い。障がいのある人やその家族が、すれ違いを感じる時ってどんなときだろう。すれ違いをなくすには? これまでの活動から見えてきたいくつかのヒントについて、近藤さんに話を聞いた。

近藤寛子さん
近藤寛子さん(一番左)とヨコハマプロジェクトのワークショップに参加したある家族(The Huffington Post 撮影)

医療機関とのすれ違い…「告知のときの医者の表情は一生忘れられない」

まず出会うすれ違いの場面は、子どもをとりあげた医師による、告知のときだ。障害がある可能性を告知する際の医師らの表情を「一生忘れられない」と親たちが話すのを、耳にすることがあると近藤さんは話す。

近藤さん自身も、その1人だ。経営コンサルタントの近藤さんには、3人の娘がいる。ダウン症のある3女が生まれたのは、新型出生前診断の臨床研究が始まる前の2012年のことだった。

帝王切開の麻酔から目覚めると、娘が病院から消えていた。呼吸が荒いとの理由で、赤ちゃんは拠点病院に搬送されていた。その日の夕方、近藤さんは医師から、娘の心臓に疾患があり手術が必要だとだけ告げられた。近藤さんは何とか冷静に「手術という解決方法があって良かった」と言ったのだが、医師はためらいの表情を見せた。

翌日、娘にダウン症がある可能性を近藤さんに告知したのは、医師ではなく夫だった。このときようやく、初日に医師が見せた表情の意味を理解した。医師でさえ、「障がいのある子を産むこと」を伝えるのに、歯切れが悪くなると感じた瞬間だった。「ためらうのは医者だって同じだ」と近藤さんは振り返る。

自治体などから提供される情報のズレ…「仕事は続けられるだろうか」の答えが得られない

ダウン症がある、またはダウン症の可能性があると告知を受けた親の多くは、ショックを受けると同時に、ダウン症に関する情報を欲する。しかし親たちは、情報の少なさと提供される情報のズレに直面する。

告知の際に提供される情報は「ダウン症の子どもは約4割が心疾患にかかる」といった、医療情報を中心とした内容だ。反面、親たちが求めるのは、「仕事は続けられるだろうか」「しつけはどうしたらいいのか」「きょうだいにはなんと説明すればいいのか」といった、中長期的な生活が見通せるような情報だ。

妊娠すると、自治体から母子手帳が配られるほか、産婦人科などで子育てに関する様々なリーフレットを入手できる。これと同様に、障がいに関する情報も、早い時期に信頼できる医療機関から最新の正確な内容が欲しい。

しかし、実際には提供される情報は少ないうえ、自治体によっても提供する内容に差がある。結果、医療側からもたらされる情報もまちまちになる。近藤さんが自治体から紹介してもらった医療関係者は、30年以上前に出版された絵本を紹介した。ありがたいことであることにはかわりないが、最新情報が書かれているとは言いがたいものだった。

「妊婦の段階での情報提供のあり方が、アメリカと日本ではそもそも違う」

なかなか国内では自分の欲しい情報が見つからなかったが、世界に目を向ければ必ず情報はあるはずだと近藤さんは確信していた。世界保健機関(WHO)によると、ダウン症の子が生まれる確率は約1000人に1人。「まだ出会えていないだけで、どこかにきっとデータはあるはず」と考えていたからだ。

アメリカの事例を調べていくうちに、近藤さんは「妊婦の段階での情報提供のあり方が、日本と海外とではそもそも違う」と気がついた。アメリカでは、出生前診断などの際にお腹の子に染色体異常の可能性がみられると、専門知識をもった人がカウンセリングするなど、さまざまな検査後のフォローアップが充実している。マサチューセッツ州では2012年、中絶するしないに関係なく、医師が妊婦に中立的な最新情報を提供すべきと法律で定められた。その中には、医師はどんな公的支援があるかも伝えるといった内容も含まれる。

一方日本では、出生前診断は中絶の判断材料と考えている医者もいると、ヨコハマプロジェクトが主催する勉強会で講演したアメリカの専門家は指摘した。ダウン症候群の当事者や家族と医療関係者との橋渡し役の第一人者、ステファニー・メレディス氏だ。メレディス氏は「羊水検査で何らかの異常があった場合、中絶する人が96%もいるのは医者の責任でもあるかもしれない」などと話した。

適切なケアを受けられるよう、母子の体内に関することは早めに知っておきたいが、検査後に手にする正確な情報は日本では少なかった。近藤さんは2015年11月、アメリカの事例を参考に、産婦人科や小児科などで冊子「ダウン症のあるくらし」の配布を始めた。誕生したばかりの赤ちゃんが、乳児期から学齢期、成人になるまでどのように成長するのか、ダウン症のある人との暮らしがどのようなものかをイメージできるものがあれば良いのではないかと考えたのだ。

成長に合わせて直面する課題や活用できる支援制度なども含め、写真を交えて40ページにわたって紹介。これまでに、41の都道府県にある医療機関などから、配布の問い合わせが来た。

冊子は近くの医療機関に置かれていなくても、ヨコハマプロジェクトに問い合わせすれば送付してもらえるが、電子書籍版も用意されている。メールなどでは問い合わせがしにくかったり、海外に住んでいる場合でも、気軽に読んでもらえるようにした。

「障がい者への恐怖は、自分が知らないことに出会ったときに生まれるのでは」

冊子にはたくさんの笑顔を掲載した。「障がいがあることは不幸だと、勘違いされたくなかったから」だという。

「野球をしたり、高校に通ったり、ファーストフード店で働いたり、それぞれが楽しんでいるんですよ」

近藤さんは、障がいがある人が身近にいないことで、「大変だ」とか「不幸だ」と誤解されたり偏見を持たれたりするのではないかと話す。反対に、もし身近なお店でダウン症の人が働いていたり、ダウン症の子どもが近所の子どもたちと一緒に遊んだり同じ教室で学んでいたりするのを見ていれば、障がいのある人が社会に受け入れられていると感じることもあるだろう。「障がい者への恐怖は、自分が知らないことに出会ったときに生まれるのでは」

ヨコハマプロジェクトは障がいのある人とない人の交流を気軽に楽しめるイベントを企画している。一緒に歩く「チャリティーウォーク」や、おもちゃづくりワークショップなどで同じ体験をすることで、お互いの能力や特性を気軽に知ることができるのではないかと提案している。

近藤さんは、「元々、私たちは、国籍、性別、年齢など多様性がある社会に暮らしている」と話す。これらのダイバーシティを見過ごしてしまい、触れたことのない違いに出会ったとき、とても大きな違いに感じられたり、不安を感じるのではないかという。

近藤さんは、障がいのある人と暮らすイメージについて、「オランダへようこそ」という詩を紹介してくれた。簡単にまとめると次のような内容だ。

「赤ちゃんが生まれるのを待っている時というのは、すばらしいイタリア旅行を計画してるようなものです。
数カ月後、待望の飛行機に乗り込む。ところが着陸後に流れてきたスチュワーデスのアナウンスは…

『オランダへようこそ!』

えっ、オランダ!? いったいどういうこと?

イタリアに行くのを夢見てきたのに、何かの手違いでオランダに到着。ここで過ごすしかないみたい…

ただ、大事な事は…宇宙の彼方、違う星に到着したわけではないということ。
ただ、「少し違う場所」ということだけ。」

近藤さんは、障がいも、オランダのような一つの旅行先のようなものだと話す。

「オランダで暮らすには、イタリアとは違うことを学ばなくてはならないし時間もかかる。でも、意外と素敵な場所かもしれない。

障がいも、そういう感じだと思うのです。一つの個性というか。ダウン症に限らず、自閉症などにしても、旅行先の一つのようなものだと思うのです。もしかしたら、オランダではなく別の国についていたかもしれないですし。

それらの違いに触れてみると、『不安に思うほどでもなかった』『もっと早くにわかっていればよかった』と、ほっとした気持ちになったり、何かしたいと思ったりするかもしれません。ひとりひとりが自分らしく組織に参加できるインクルージョンも、まずは多様さに触れてみることから進むかもしれないと思います」

 

ヨコハマプロジェクトが作成した小冊子「ダウン症のあるくらし」

2017年03月21日    ハフィントンポスト


障害児らの手形集めアートに 賛同呼び掛け 世界一周の旅へ

2017年03月23日 02時45分44秒 | 障害者の自立

 世界中の障害児や難病と闘う子どもたち、彼らを支援してくれる人の思いをつなげたい-。小笠原村母島の宮沢かれんさん(18)が四月、世界一周の旅に出る。目的は、障害児らの手形を集めてアート作品を完成させる「ハンドスタンプアートプロジェクト」(HSAP、事務局・板橋区)へ、より多くの人に参加してもらうこと。「誰もが分け隔てなく支え合える世界」を願い、約一年かけて二十四カ国を巡る予定だ。

 宮沢さんは今月、母島から約五十キロ離れた父島の高校を卒業。ブラジルなどでサッカーに打ち込んできた父・貫(かん)さん(52)の影響もあって、もともと世界を一人で旅することが夢だった。貫さんは母島で高齢者介護や障害児支援に関わっていた。その姿を見ているうちに、「生きることに一生懸命な障害者らは、周りに勇気と希望を与えてくれる」と思うようになった。

 HSAPの活動を知ったのは高校三年生の夏休み。「障害の有無や国籍、性別にとらわれず、誰もが参加できる」との趣旨に共感。「世界中の障害児らの思いを伝えるために協力できれば」と、迷わず卒業後に参加することを決めた。

 世界一周にあたって、父島の小中学校などで、約百五十人から手形を集めた。今年二月には母島で、貫さんのサッカー教室に参加する先天性脳性まひの川上日夏太(ひなた)君(7つ)、母・文恵さん(36)と、島内の小中学校や保育園などを回り、約百人に参加してもらった。

 世界一周は四月下旬、ブラジルからスタートする。米国、アフリカ、欧州、アジアを巡る予定だ。HSAPや貫さんからの紹介をもとに、学校や病院、福祉施設を回り、手形を集めてくれる「現地スタッフ」を募る。インターネットで資金を募るクラウドファンディングを活用するなどして旅費に充てるという。

 HSAPによると、今年一月時点で集まった手形は、約一万枚。二〇二〇年東京パラリンピックに向けて十万人分を集める目標にはまだまだ遠いが、宮沢さんは「自分のような若者はあきらめなければ、どんな大きな目標も達成できるはず。障害児らのために行動してくれる人たちが増えるよう、まずは自分が新しい道をつくっていきたい」と意気込んでいる。

<ハンドスタンプアートプロジェクト(HSAP)> 18歳以下の障害児や難病の子どものほか、支援してくれる人から10万人分の手形を集め、アート作品を制作する取り組み。身体を思うように動かせなくても参加でき、障害児の母親らが2014年から活動を始めた。集めた手形は、20年東京パラリンピックで「世界最大の手形アート」として発表する計画。手だけでなく足や頬など身体の一部でも参加できる。

川上日夏太君(右)に手形のスタンプを押してもらう宮沢かれんさん(左)

2017年3月21日   東京新聞