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ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

パラ競泳のヒロイン、一ノ瀬メイ「絶対的なメダル候補になっていけるようにしたい」

2017年01月03日 01時50分30秒 | 障害者の自立

 幼い頃から目指していた大舞台を初めて経験し、東京パラリンピックへの決意を新たにした。リオデジャネイロ・パラリンピック競泳代表の一ノ瀬メイ(近大)。昨年は競技のかたわら積極的にメディアに露出し、障害者スポーツを広く発信する役目も担った。19歳の女子大生スイマーは「一日一日を充実させたい」とたゆまぬ努力を続ける覚悟だ。

 --2016年を振り返って

 「代表選考会で自己ベストを5秒以上更新し、目標にしてきたパラリンピックの日本代表になることができた。思い描いていたような結果は出なかったけど、大舞台に立てた経験はすごく大きかったです」

 --パラリンピックを経験して感じたことは

 「小さい頃からずっと、『パラリンピックは別格だ』と先輩方から聞かされていたんです。4年に1度という特別感が、そういう雰囲気を作り出しているんだなと感じましたね。ブラジルの選手が優勝したとき、観客のみんなが表彰式で国歌を歌ったんですよ。すごく感動し、めっちゃ泣いたのを覚えています」

 --個人では決勝に進出できなかった

 「パラリンピックで『あわよくば』はない。絶対的な実力がなければ勝てない舞台だと痛感しました。決勝に届かなかったことよりも、満足して帰って来られなかったのが一番悔しい」

 --大手自動車メーカーのCMに起用されたり、バラエティー番組に出演したりと、メディア露出が多かった1年です

  「障害のある子供を持つ親御さんから、『テレビを見て元気が出ました』『メイちゃんのような子どもに育つように頑張ります』と(写真共有アプリの)インスタグラムやフェイスブックにメッセージをいただくようになって。街で声をかけられることもめっちゃ増えましたね。いろんな人の気持ちを動かすことができているのは、うれしく思います」

 --障害者スポーツを知ってもらおうという使命感がある

 「スイマーとしては、全部シャットアウトして練習に集中した方がいいと思うんです。でも、そうやってサポーターを増やしておけば、結果を出したときにアスリートとしての価値が跳ね上がる。バランスを取るのはすごく難しいんですけどね」

 --3月には20歳になります。東京パラリンピックへ向け、2017年はどういう1年にしたいですか

 「正直に言うと、リオ大会に出場して『自分は(東京で)勝てるんかな』って思ったんです。でも、コーチや監督は『確信した』と言ってくださった。大事なのは、世界選手権やアジア大会でどういう結果を出すか。課題を一つずつつぶしていって、絶対的なメダル候補になっていけるようにしたい。毎日、満足のいく練習を積み重ねていけば、それが自信につながって結果も付いてくると思っています」

 いちのせ・めい 1997年3月17日生まれ、京都市出身。先天性の右前腕欠損症。1歳半から競泳を始め、2010年広州アジアパラリンピックの50メートル自由形で銀メダル。京都・紫野高3年時には、全国高校英語スピーチコンテストで優勝。昨夏のリオデジャネイロ・パラリンピックには個人、リレーの計8種目に出場した。167センチ、58キロ。近大経営学部2年。

近畿大学の一ノ瀬メイ(安元雄太撮影) 

近畿大学の一ノ瀬メイ

2017.1.2   産経ニュース


東京五輪を目指す パラバドミントン・高知市出身の藤原大輔さん

2017年01月03日 01時40分44秒 | 障害者の自立

 2020年、東京五輪・パラリンピック。故郷を離れ、鍛える高知県出身選手がいる。夢の舞台まで約3年半。初出場を狙う選手を取り上げ、それぞれの「TOKYO物語」に迫る。

 【パラバドミントン】藤原大輔(ふじはらだいすけ)さん 
 高知市出身。生後まもなく、感染症で左脚を切断。小学低学年で競技を始め、西高時代には障害者世界選手権に出場。筑波大を経て、2016年に通信サービス会社「LINE」入社。22歳。

戦う相手は常に世界
 一気に力を伸ばした。2020年東京から正式競技に採用されるパラバドミントン。日本代表入りは確実とみられる藤原大輔さん(LINE)は「ここからも継続して成長したい」。さらなる飛躍を誓う。

 「結果が出せた」という社会人1年目の2016年。日本代表で出場した四つの国際大会すべてでメダルを獲得した。中でも、11月に北京で行われたアジア選手権は手応え十分。準決勝で「それまで勝ったことがなかった」という、2014年のアジアパラ大会を制したインドネシア選手を破る大金星。ただ結果は3位で「勝って満足してしまった。そのメンタルがまだまだ」と苦笑いする。それでも直後の南米コロンビア大会で国際試合初優勝。世界ランクは11月の11位から、1桁入りが確実だ。...

2016年の日本障がい者選手権で単複優勝の藤原大輔さん。「今に満足せずもっと上を見据えて取り組みたい」

2017.01.02    高知新聞


「働き方改革」を超えて

2017年01月03日 01時32分36秒 | 障害者の自立

あめましておめでとうございます。
2017年が平和で幸多き年であることを祈念します。

昨年は、NPO(エクセレントNPO)や大学の評価、そして政府の評価の仕事に従事しましたが、新たに企業における働き方について議論する場を得ることができました。
 評価については、いかなる分野であれ、誠実であること、そして社会的な使命や目的を見失わないことが肝要であることを改めて学びました。そうでなければ、評価は権威や力の道具として誤用される可能性を孕んでいるからです。
 企業については、恩師ドラッカーがめざした「一人ひとりが位置と役割を持つ自由社会」の意味を、働く現場において熟考する機会を頂きました。ここでは、企業での経験を中心に記したいと思います。

1. 女性管理職とのリレー座談会

 昨年2月より、あるグローバル企業の女性管理職を対象にしたリレー座談会を開始しました。人事部との打ち合わせより、特に2つの点に注目しました。第1に、育児休業や時短など諸制度は比較的よく整っているのにライフイベントで優秀な女性社員が辞めてゆくという問題です。制度を導入しても問題が解消されていないとすれば、仮説に誤りがあるのかもしれません。
第2に、世代交代が起これば、いずれ問題は解消されるという意見でした。たしかに世代交代で解消される部分もあるのでしょうが、その背後にある問題を見逃して、先送りしてしまう可能性があります。そこで、現場の声、すなわち、女性管理職の意見を直接尋ねてみたいと申し出たのです。しかも選抜された特定の人とのみ話すのではなく、全員と話すことを条件としました。

 2. 「昭和のおじさん」のDNA

女性管理職数は120人です。個別に面談するには時間がありません。そこで、1グループ7-8人として、ランチタイムに座談会を設けることにしました。2016年12月現在でほぼ半数の64名と面談しました。全般に、仕事や同僚への満足度が高いのが印象的でした。しかし、出産を経て時短労働を始めた頃から、不安や不満の声が急に増えるのがわかりました。
それらの声は「昭和のおじさんのDNAに染まらないとやってゆけない」という言葉に集約されているように見えました。「昭和のおじさん」とは、24時間、会社の仕事に時間を注ぐライフスタイル、より多くの残業や出張、つまりパフォーマンスよりもインプットの量で人事評価をすること、そして“阿吽の呼吸”によるチームワークを重んじることを指しています。出産までは、こうした価値観や雰囲気に合わせて仕事を進められるのですが、子育てが始まった途端に困難になります。
 他方で、「気にするな」という上司の言葉やアファーティブ・アクションも彼女たちの本意ではないのです。意外に思えるかもしれませんが、それが、問題の本質的な解決にならないことを知っているからでしょう。

 3. 求められているのは成果目標と評価基準の明確化

 彼女たちは、育児休業や時短労働によって、一時的に生産性が落ちる可能性があることを認め、そこに無理に下駄を履かせるよりも、むしろ公平に評価してもらった方がすっきりするという意見も出されました。そうではなく、何を達成したら復活したと認められるのか、その成果目標と評価基準を明確にしてほしいという意見が複数から出されたのです。
 人事部門は、女性活躍推進のために諸制度を整え、社員たちもそれを認めています。しかし、座談会が示唆しているのは、女性社員たちの不安や悩みは別のところにあったということです。
 しかしながら個々の成果目標と評価基準を明確にすることは容易ではありません。その理由は企業文化と呼べるものの中にあるようです。一定水準の均質のメンバーで構成されている組織の場合、阿吽の呼吸や暗黙知によるチームワークで仕事が出来てしまう傾向があります。特に、日本の場合、その傾向が強いように思います。しかし、異なる働き方、価値観の者がメンバーに入った途端、阿吽の呼吸は通用せず、何をいつまでに達成しなければならないのか明確かつ具体的に示さねばならなくなります。そうなると、仕事の設計の仕方やマネジメントの仕方そのものを見直す必要が出てくるのです。

  そして、座談会で指摘された問題は、女性のライフイベントにかかる問題というよりも、外国人、障害者、高齢者など多様な人々をマネージしてゆく、ダイバーシティ経営の問題であると思いました。
 成果目標と評価基準で全ての問題を解決できるわけではありません。しかし、これまでパッチワーク的に対処されてきた問題をトータルでとらえなおすための中心軸に位置するもののように思います。

 ちなみに、先のように論点を中間整理したところで、内閣府にヒアリングを行いました。それが当該企業特有のものなのか、それとも他社にも共通するものなのかを確認したかったからです。その答えは明らかでした。「昭和のおじさん」も時短の悩みも他社が共通に抱えている問題でした。

4. 「働き方改革」を超えて

女性管理職座談会が示唆している問題は大きな改革につながる可能性が高いものだと思います。ですが、「一人ひとりが位置と役割を持つ自由社会」という目標に照らしてみると、道半ばであることがわかります。
 
 座談会の最後に、一人ひとりから、仕事でもプライベートでもいずれでもよいので「やってみたいこと」を述べてもらうようにしています。普通は会社への要望を尋ねるものでしょう。しかし、先のような質問をしたのは、会社に何かをしてほしいと思う前に、まず自分が何をしたいのかを考えてもらいたかったからです。また、プライベートも選択肢に含めたのは、会社以外の世界に目を向けている人がどのくらいいるのかを知りたかったからです。

  様々な意見が出され、楽しかったのですが、気になる意見もありました。それは、定年退職を数年後に控えた人々の「何か社会のために役に立つ仕事をしたい」という意見でした。定年退職後の人生は長いが、退職後は、社会の中に位置と役割を見出したいという心の声を聴いたような気がしたのです。おそらく、それは女性社員だけでなく、男性社員も抱く気持ちではないでしょうか。また、若い世代には、会社と社会の双方に自らの位置と役割を見出したいと思う者も増えています。
 このように考えると、「女性活躍」や「働き方改革」を超えて、幅広層の人々が位置と役割を持てると実感できるような働き方と社会のあり方を追求する必要があると思うのです。

 私は、NPO、大学、政府、企業と様々な分野での仕事や出会いに恵まれてきました。今年は「一人ひとりが位置と役割を持つことのできる自由社会」の実現に向けて、これまで培ってきたものを集約させるべく、新たな一歩を踏み出したいと思います。どうかよろしくお願いします。

2017年元旦 BLOGOS   田中弥生


嵐・櫻井翔主演『君に捧げるエンブレム』Pインタビュー 「車椅子バスケの“かっこよさ”を描いた」

2017年01月03日 01時16分57秒 | 障害者の自立

フジテレビにとって2017年最初のドラマ『君に捧げるエンブレム』が、1月3日(火)21時〜23時30分に放送される。車椅子バスケで世界を目指す、元Jリーガーの主人公を演じるのは、嵐の櫻井翔。放送まで5年の歳月を費やしたこの注目作の裏側について、企画者でありプロデューサーでもある、フジテレビの増本淳氏に話を聞いた。※メイン画像:(C)フジテレビ

——まずは、企画の成り立ちにから教えてください。

増本淳(以下、増本):車椅子バスケのことを「絵になるスポーツだな」と思っていたんです。世間の人はあまり知らないけれど、知ったらきっと多くの人が「格好いい!」と思う題材という意味で、『コード・ブルー –ドクターヘリ緊急救命-』のドクターヘリに通じるものがある。そこにどんな物語を載せたら多くの人の心を打つ物語になるかを考えていたところ、2011年頃に京谷和幸さんの記事を読みまして、直接お話を聞きに行きました。(京谷和幸……JEFユナイテッドに所属していた1993年に、交通事故で脊髄を損傷して下半身不随となり引退。その後、車椅子バスケットボールと出合い、4大会連続でパラリンピックに日本代表として出場。現在は引退し、若手の育成に力を注いでいる)

——そこから取材が始まるんですね。

増本:はい。京谷さんのインタビューの他にも当時、日本代表のアシスタントコーチ、リオでは日本代表のヘッドコーチを務めた及川晋平さんにも取材させていただいたり、日本代表の合宿を見せていただいたりと、3ヵ月くらい下取材をしました。「これはドラマとして見ごたえのあるものになる」という直感のようなものがあったので、半年間くらい本格的に取材しました。自分のなかで「こんな話がつくれそうだな」と見えた段階で、『コード・ブルー』の西浦正記監督と後に『リッチマン、プアウーマン』を書く脚本家の安達奈緒子さんを日本代表の合宿や九州での大会などにお誘いして引っ張り込みました。

——そのときはすでに、企画は通っていたんですか?

増本:いいえ、通っていなかったです。「いつ日の目を浴びるのかな」と思いながら、勝手に動いていました。でも、勝負できるのは2020年までだとは思っていました。そこを過ぎると、会社がこの企画を通すきかっけがなくなってしまう。実は、2012年のロンドンオリンピックのタイミングでプレゼンしたのですが、通らなかったので、次のチャンスを狙っていたんです。リオが終わって東京オリンピックに向けての機運が高まるタイミングで、この題材のドラマをつくることが、世の中に少なからずインパクトを与えることができると思い、上層部に2回目のプレゼンをしました。今回は、櫻井翔さんがこのドラマを面白がってくれたことで、会社側からもゴーサインが出ました。

「櫻井さんなら、身勝手なキャラクターも素敵に演じられる」

——櫻井さんを主演に起用した理由はなんですか?

増本:鷹匠和也という主人公は、わがままで、自分勝手で、人をバカにしているところもあって、主人公としてはだいぶ不完全で欠陥があるキャラクターです。それを演じて、見ている人に嫌悪されず、「そんなやんちゃな面も素敵だよね」と思ってもらえる役者は誰だろう? と考えると数人しか思い浮かびませんでした。そのなかで、お芝居がちゃんとできて、一番認知度の高い人が櫻井さん。しかも、ニュース番組でキャスターをやられていて障害者スポーツへの造詣も深い。「櫻井さんがやってくれたら最高だな」と思って、事務所へ伺ってプレゼンをしたら乗ってくれました。

——櫻井さんはどんな反応でしたか?

増本:彼と話して、「鷹匠って格好いいよね」と思ってくれているなと感じました。1人の男としてこういう人間に憧れるし、役者として演じてみたいという欲求があったのではないかなと。もちろんキャスターとしての立ち位置からこの作品に興味を持った部分もあるとは思いますが、気持ちの上では単純に、「格好いいからやりたかった」のだと思います。

——映画なら、欠陥がある主人公でもアリですよね。

増本:映画の場合はよっぽどひどい出来じゃない限り、劇場に入ってしまえば最後まで観てもらえますからね。でも、テレビドラマは「この主人公を観ていたい」と思わせ続けないといけない。「ラスト15分で劇的に成長するんですよ」といくら言っても、途中で嫌われたらそこでチャンネルを変えられてしまいます。

——なぜ主人公を一癖も二癖もあるキャラクターにしたのでしょう?

増本:こういうテレビドラマの場合、普段は突っ張っているけれど人の傷ついている心には敏感で、相手がかけてほしい言葉を的確にかけることができる……というようなキャラクターが主人公の定番です。でも、それだとありがちなドラマになってしまいます。それよりも、不完全な主人公なのに素敵に見えるストーリーラインをつくることこそがドラマとしての成功だと思うので、まず、主人公を身勝手なキャラクターに設定しました。

「櫻井さんは周りに流されない」

——車椅子バスケのシーンを、吹き替えなしで役者が演じているそうですね。二時間半のドラマで、1ヵ月半前から練習をしたと聞いて、本気を感じました。

増本:櫻井さんをはじめ、みなさんすごく忙しいので、「スケジュールが埋まっているから無理だよ」と言われて当然の状況でした。ですから我々も代役の方を用意していたんですけど、みなさんストイックというか、練習好きというか。「寝なくてもいいから練習したい」「仕事のあとに練習したいからら体育館を押さえてください」と嬉しい要求をしてくれました。たまたまそういう人たちが集まったのは、すごく運が良かったと思います。

——最初はどうでしたか? 「いける!」と思いましたか?

増本:いえ、全然(苦笑)。本人たちにも、「無理そうですね」と言いました。練習をみてくれたコーチの堀江航さんも、怪我をしたら撮影に支障が出ますし、プレーしているように見えるレベルを目指して教えるつもりだったんです。ところが、櫻井さんも他の方も、手がやけどしようが気にしないんですよ。むしろ、1ヵ月もつのかな、という熱量があった。結果、想像以上のペースで上達して、撮影に入る頃には別人のようになっていました。結果、編集した映像は、90%以上が本人です。代役はほとんど使わずにすみました。

——チームメイトの市原隼人さん、ライバルチームの安藤政信さんのストイックさが櫻井さんを刺激した部分はありますか?

増本:いえ、それはなかったです。櫻井さんは周りに流されないんですよ。バスケシーンの撮影日に照準を合わせて、そこにピークを持っていくように、逆算してマイペースに練習をしていくんです。だから、周りがグイグイやっていても、「今日はこれくらいにしておこう」とおさえることができる。あの自己管理能力の高さは、さすがトップスターだなと思いましたね。

——市原さんと安藤さんはどんなタイプでしたか?

増本:市原さんは櫻井さんとは真逆で、今、できることを限界まで全力でやって積み上げて行くタイプ。安藤さんは、寡黙に淡々とやっていましたね。

——完成披露試写会の舞台挨拶で、櫻井さんが「撮影中は撮影のための動きを繰り返すから、フラストレーションがたまってしまって、エキシビションマッチを組んでもらった」とおっしゃっていましたが、試合ができるレベルにまで上達したんですね。

増本:はい。ちゃんと、観ていて楽しい試合になっていてすごいなと思いました。

ーーラストに「このドラマは取材に基づいたフィクションです」というテロップが入ります。リアリティとフィクションのバランスはどうとりましたか?

増本:実は、僕がつくるドラマはどれも取材に基づいているので、いつもと変わらないんですよね。どれもドキュメンタリーとフィクションが混在していると思っています。あと、取材対象者をモデルにはしていますが、そっくりそのまま描いているキャラクターは1人もいません。ある取材対象者の特徴を膨らませてみたり、ある一人のキャラクターに、実在する数人の要素を混ぜ込んでみたり。だから今回も、鷹匠も奥様もご本人のキャラクターそのままではありません。基本的にフィクションです。ただ、物語にリアリティを出すためには取材が欠かせないと思っています。とにかく取材をたくさんして、そこから抽出したものを、物語に注ぎ込むというやり方です。

——障害者が主人公のドラマをつくる際に、気をつけたことはありますか?

増本:障害者の方々を題材にした一部の番組を、NHKさんが「感動ポルノ」と表現していたように「かわいそうだね」「がんばってるね」「えらいね」という視点からの物語がこの手の番組には多い。でも僕は、同情の涙を誘うようなつくり方はしたくありませんでした。なぜなら、僕が京谷さんや及川さんとお会いしたとき、真っ先に思ったことは「格好いい!」ということだったからです。単純に、F1レーサーやプロ野球選手に会ったときのような憧れと興奮がありました。京谷さん夫妻に出会ったときも、「苦労されたんだろうな」という空気がまったくなくて、「いい夫婦だな」「素敵な夫婦だな」と感じました。自分が感じた素直な気持ちを大切にして、人生を力いっぱい生きている格好いい人たちを描く番組にしたいなと思いました。

——実際、これまでの障害者の方が登場するドラマとは全然違いますね。変にかしこまらず、キャラが立ったスポ根ものとして楽しく見られる。井上雄彦さんの『リアル』にも通じるような。

増本:『リアル』は偉大な作品ですので、日本代表の取材をしたときに、同じく取材にいらしていた井上さんのチームとたまたまお会いした際には、「胸をお借りするつもりでやらせていただきます」というお話をしました。あと、取材対象者が実は一緒なんですよね。日本の車椅子バスケを引っ張っている巨人、スター選手となると、京谷さんや及川さんに行き当たるので、自ずと彼らに感化されたものになるんだと思います。

——アメリカの車椅子ラグビー選手を追いかけたドキュメンタリー『マーダーボール』も思い出しました。

増本:『マーダーボール』、格好いいですよね。実は企画をプレゼンするときに、『マーダーボール』の映像を2分くらいにまとめてオリジナルのダイジェストをつくったんです。車椅子バスケの話と言われると、人はどうしても「重くて暗いんでしょ?」という印象を持つので、「こんなにもスカッとしたイカす連中の話なんですよ」ということを伝えるために。反応は上々でした。

——『君に捧げるエンブレム』もそういうふうに受け取ってもらえる作品だと思います。湿っぽくなくて、フジテレビらしいドラマかもしれません。

増本:そうなるといいなと思っています。車椅子バスケという、サッカー、バスケット、野球と並ぶ、見ごたえのあるかっこいいスポーツに夢中になるヤツらを描いたつもりです。これを見たら多くの人はやる気になると思いますし、少なくとも嫌な気持ちにはならない内容になっているので、一年のスタートにふさわしいドラマだと思います。そして、2020年の東京オリンピックに向けての扉を開けられたらいいなと思います。

——2017年、フジテレビはどんなドラマをつくっていくのでしょうか?

増本:実際、数字があまりよくないなかで、一番大切なことは、いいものをつくっていくことだと思っています。他局に比べると、視聴者がフジテレビの番組に接触する可能性が少ないことをちゃんと認識し、チャンネルをせっかくあわせてくださった方に、毎回きちんと面白いものを出していけるかどうかが、僕らが生き残る鍵だと思っています。少なくとも自分が関わる番組に関しては、当たり前ですけど、高いクオリティのものをきちんとつくり、それを出来る限り多くの人に届くように宣伝もきちんとする。シンプルですけど、それが一番確実な戦術だと思っています。今の視聴者は賢いですから、お手軽につくった番組は見抜かれますので、じっくり努力を怠らずにつくっていく。

——『君に捧げるエンブレム』の完成披露試写会を行い、SNSで拡散する宣伝方法もそのひとつですね。

増本:はい。あと、プロデューサーにはいろいろなタイプがいますが、僕個人としては、なるべくオリジナルの物語をつくり出したいと思っています。テレビという文化が生き延びていくためには、テレビがオリジナルの物語を発信していく必要があると思っていて。極端な話、原作ものに頼ってばかりいると、テレビは翻訳するだけのメディアになり、存在意義がなくなってしまうのではないかという危機感があります。だから僕個人としては、テレビ発のオリジナルをつくり、数多くの人に見てもらうという作業を、黙々とやっていきたいと思っています。

■番組情報
新春大型ドラマ『君に捧げるエンブレム』
1月3日(火)21時〜23時30分放送
原案:京谷和幸
脚本:安達奈緒子
プロデュース:増本淳、浅野澄美(FCC)
演出:西浦正記(FCC)
制作著作:フジテレビ
公式サイト:http://www.fujitv.co.jp/kimien/

 

  


迎春 愛媛お笑いサミット

2017年01月03日 01時07分42秒 | 障害者の自立

 浮き沈みの激しいお笑いの世界で、着実に実力を付け、活躍の場を広げている県出身の芸人がいる。漫才師の頂点を争う「M-1グランプリ2016」でともに王者にあと一歩と迫るなど、漫才賞レースを席巻するお笑いコンビ「スーパーマラドーナ」の武智(38)=本名・武智正剛、松山市出身=と「和牛」の水田信二(36)=伊予市出身、そして独自のリズミカルなコントが人気を集める「バンビーノ」の石山大輔(32)=大洲市出身。飛躍が期待される3人に、後輩にあたる2代目愛媛住みます芸人の「ひめころん」を加えて、笑いや愛媛への思いを語ってもらった。

 【遊ぶ相手おらず】

 ―愛媛ではどんな少年時代を?

 武智 子どもの頃はどちらかというとやんちゃめ。小学校自体が結構やんちゃで、早朝からクラス対抗のけんか大会みたいなのがありましたから。

 石山 ろくでなしブルースみたいな世界ですね。

 水田 ぼくは小学生の時から周りを笑わせるのが好きでふざけてばっかりの子どもでした。まあ、友達はいなかったんですけど。

 武智 じゃあ、誰を笑わせてたんや。

 水田 友達じゃない人たちですね。周りにいる人。

 石山 ぼくは小学校が児童10人ほどの大洲の山奥の出身。遊ぶ相手が周りにいなかった。一人で遊ぶことが多くて、父親の話では野球ボールを植えたこともあったとか。ボールの実がなると思ってたんでしょうね。

 (一同爆笑)

 【友達に誘われて とりあえず1年】

 -芸人の道に進んだきっかけは。

 武智 高校を中退して力仕事をやってたけど、将来が見えてきて…。そんな時に友達に誘われて旅行気分で吉本興業の養成所NSC大阪校を受験したんです。お笑いに興味はなかったし、続けていこうとは思ってもいなかった。

 水田 お笑い番組が大好きやったんで、中学生の時にはこの世界に入ると決めてました。ただ、芸人のなり方が分からず、とりあえず一人で生きていくために、興味もないのに調理師の専門学校へ。しばらく料理人として働いたけど、23歳の時に一番やりたいのはやっぱり「芸人」やと、NSCに入りました。

 石山 21歳のときブラジルに留学したけど、帰国したら友達は就活を終え始めていたんです。やりたいことが見つからず、このまま愛媛に帰れないと思い、専門学校を調べたら、一番安かったのがNSC。お笑いに興味はなかったけど、とりあえず1年行こうと。全国放送に出られなければ辞めると親に言っていたら、偶然にも若手発掘番組で全国放送に引っかかった。運がありました。

 水田 実は中学、高校のときコンビを組みたい友達がいたけど、引かれるのが嫌で言えず。親にも言わずに芸人になったんです。でも「ABCお笑い新人グランプリ」の決勝進出が決まった時、愛媛で放送されて。「あんた芸人になってるやん」ってバレたんです。

 【本気勝負の世界】 

 -みなさんに憧れる子どもたちも増えているはず。芸人になって良かったこと、悪かったことは。

 水田 ぼくは中学校の時からなりたかった職業になれているのが一番。面白い人ばっかりやから、仕事仲間といることが楽しい。でも一方で全員がライバルでもありますけどね。

 武智 仕事も毎日同じ会社に行って、同じ席に座ってというものじゃない。いろいろな所に行ける。そういう意味では楽しい、ええ仕事やな。

 水田 やりがいもありますね。絶対に本気で勝負しないと生きていけない世界ですから。地元の友達や家族に仕事を見てもらえるのもええなって思います。

  -売れるまでの苦労話で言えば。

 一同 まだまだ全然売れてないです!

 武智 ぼくなんかはまともにNSCに通ってなくて、仕方なく今の相方と組んだ。何度も解散話になりながら、そのたびにちょっとした結果が出るという繰り返し。運は必要ですね。

 水田 きつい営業もありましたよ。港町でマイクスタンドのない集会場前で、ビールケースの上に立って、ブイに刺した網をマイクに見立てて漫才をやった。つらかったなあ。

 石山 ぼくはワニにニーブラしてくださいっていうのがありました。もう度胸だけ。とんねるずさんの番組でヘビが出た時も「ダンソン行け!」って言われて。しっかりかまれました。

 水田 漫才でよかった!

 石山 漫才には憧れますけど、自分にはできないと分かってるんです。漫才師はやっぱりすごい。めっちゃ格好いいですもん。

 武智 いや、ワニとヘビと戦う方がすごいやろ。

 【故郷で番組目標 M―1優勝狙う】

 -故郷愛媛への思いは。

 武智 いつか愛媛出身の芸人が愛媛で番組を持って、全国に広げていくようなことをやってみたいと思ってるんです。恩返しさせてほしい。

 石山 昔は愛媛や日本が嫌で海外に出て行ったんですけど、今は何か返していかないかんなと。愛媛の子どもが自慢できるようなバンビーノでいたいですね。

 水田 何とかしてM-1で優勝して、愛媛から日本一の漫才師が出たっていう話題を届けたいですね。

  -みなさんにとって笑いとは。

 石山 ジャングルジム。枠はあるけど、遊び方は自分で決めることができる。

 水田 世の中とのコミュニケーション手段です。お笑いがなかったら、本当に暗い人生を歩んでたと思います。笑わせてるから仕事があって、人とコミュニケーションが取れている。良かったあ、面白くてー。

 武智 あかんもんがよくなるもんですかね。自分がコンプレックスとかダメだと思っているようなものが武器になる。

  -では最後に2017年の抱負を。漫才コンビのお二人は年末のM-1グランプリで優勝した体でお願いします(取材は11月。大会では惜しくもそろって2位に終わる)。

 石山 もう一回くらい何かを仕掛けられたらいい。海外に挑戦するとか新しいことができたらと思います。

 水田 ぜひM-1で2連覇! 優勝したら愛媛で仕事したいです。

 武智 本当に優勝して、もっと飯食えるようになってたらええな。とにかくみんなで頑張って行こう。2017年は愛媛で番組をやろう!

     ◆   ◆   ◆

 3人は愛媛国体・全国障害者スポーツ大会に向けた機運を高める「愛顔(えがお)つなぐ よしもと大博覧会スポーツフェスティバルIN愛媛」(22日、ひめぎんホール)に、それぞれコンビで参加する。

  【住みます芸人 ひめころん頑張れ!!】

 ひめころん 愛媛で活躍するには?

 武智 落ち着いた感じで行け!

 水田 ミカンを食べて、財布にじゃこ天を入れる!

 石山 ダメージジーンズはアウト!

 武智 愛媛でバラエティー番組を作る突破口を開いてくれ。ぼくら3人がレギュラーで出る! そして自力で奪う!

  【スーパーマラドーナ】

 たけち(写真右) 本名・武智正剛(せいごう)。1978年生まれ、松山市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー。NSC大阪校22期生。2003年に田中一彦と「マラドーナ」結成。ツッコミ担当。07年に解散も、08年に「スーパーマラドーナ」として再始動。11年には若手漫才師の登竜門「NHK上方漫才コンテスト」で優勝。「M-1グランプリ」では15、16年と決勝進出。

 【和 牛】 

 みずた・しんじ(写真左) 1980年生まれ、伊予市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー。NSC大阪校26期生。2006年に川西賢志郎と「和牛」結成。ボケ担当。14年に若手漫才師の登竜門「NHK上方漫才コンテスト」で優勝。「M―1グランプリ」では15、16年と決勝進出。大阪の和食店などでの修業経験があり、腕前をバラエティー番組で披露することも。

 【バンビーノ】

 いしやま・だいすけ(写真右) 1984年生まれ、大洲市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー。NSC大阪校30期生。2008年に藤田裕樹と「バンビーノ」結成。ツッコミとネタ作りを担当。14、15年に「キングオブコント」で決勝進出。15年には狩猟民族風の男が独特の歌と踊りで獲物を捕らえるコント「ダンソン」で大ブレーク。16年に「第1回上方漫才協会大賞」の特別賞受賞。

座談会に臨んだ5人で記念のガッツポーズ

2017年1月1日(日)(愛媛新聞)