第94回夏の甲子園第5日の12日、第1試合で旭川工(北北海道)に勝利した龍谷大平安(京都)。応援席では、村上拓選手(3年)の姿を、難病のギランバレー症候群を克服した父裕昭さん(46)が見守った。息子が野球で活躍する姿を支えにリハビリを重ね、競泳の障害者部門で全国優勝するまでに回復した。村上選手も父の姿を励みとし、あこがれのグラウンドを駆け抜けた。
03年12月。裕昭さんは兵庫県篠山市の自宅で突然倒れた。若い時はゴルフ選手を目指し、毎年マラソンに挑戦するスポーツマンだった。手足の力が入らなくなり、歩けなくなった。入院し、仕事も退職に追い込まれた。
当時、村上選手は小学3年。地域の少年野球チームに入ったばかりだったが、父の姿を見て、母知佐子さん(44)に「野球をやっていいの」と尋ねた。裕昭さんは知佐子さんを通じ、「今できることを必死にやりなさい」と背中を押した。
徐々に裕昭さんの症状は落ち着き、リハビリに取り組んだ。何よりの楽しみは、村上選手が少年野球で生き生きとプレーする姿を撮影したビデオを病室で見ることだった。努力を重ね、1年半後に退院できた。

【旭川工・龍谷大平安】九回裏に代走で出場し、二盗を決めた龍谷大平安の村上拓選手=阪神甲子園球場で2012年8月12日、
毎日新聞 2012年08月12日 20時25分(最終更新 08月12日 20時37分)
03年12月。裕昭さんは兵庫県篠山市の自宅で突然倒れた。若い時はゴルフ選手を目指し、毎年マラソンに挑戦するスポーツマンだった。手足の力が入らなくなり、歩けなくなった。入院し、仕事も退職に追い込まれた。
当時、村上選手は小学3年。地域の少年野球チームに入ったばかりだったが、父の姿を見て、母知佐子さん(44)に「野球をやっていいの」と尋ねた。裕昭さんは知佐子さんを通じ、「今できることを必死にやりなさい」と背中を押した。
徐々に裕昭さんの症状は落ち着き、リハビリに取り組んだ。何よりの楽しみは、村上選手が少年野球で生き生きとプレーする姿を撮影したビデオを病室で見ることだった。努力を重ね、1年半後に退院できた。

【旭川工・龍谷大平安】九回裏に代走で出場し、二盗を決めた龍谷大平安の村上拓選手=阪神甲子園球場で2012年8月12日、
毎日新聞 2012年08月12日 20時25分(最終更新 08月12日 20時37分)