統合失調症の娘(当時39)の顔に父(67)が座布団を押し当て、窒息死させる殺人事件が4月、川崎市で起きた。精神障害者の世話に疲れ果て、家族を手にかける事件が後を絶たない。その背景を探った。
閑静な住宅街の一角の木造2階建てアパート。近くには田畑もあり、人通りはまばらだ。父が長女を殺害した現場は空き部屋のままだ。「この辺の人は他人に関わらないようにしている」。同じアパートの女性は、この家族とあいさつしたこともなかったという。
検察側の冒頭陳述などによると、父は1983年に妻と離婚。建設会社に勤めながら男手一つで3人の子を育てた。だが、引っ込み思案の長女は中学で不登校になり、定時制高校も中退した。筋ジストロフィーの長男が95年に15歳で亡くなると一層引きこもりがちに。2000年代初めから過呼吸を起こし、07年には統合失調症と診断された。
その前後に次女が家を出てからは、食事以外の時間は寝てばかりの長女の世話を父が続けてきたが、病状は悪化するばかりだった。
今年4月16日夜。父はいつも通り、医者から処方を受けた薬を長女に飲ませた。薬を飲んだことを忘れて再度飲もうとする長女。必死で止めているとき、ふいに「死にたい」という気持ちが芽生え、取り残される長女がふびんで一緒に死のうと決めた。
翌日夜、睡眠薬で眠らせた長女の顔にポリ袋で包んだ座布団を押しつけて殺害。長女の乱れた手足をそろえ、互いの額を合わせて泣いた。そして何度もささやいた。「ごめんな。ごめんな」。自らも家中の睡眠薬を飲んで自殺を図った。
冒頭陳述が読み上げられている時、父は鼻をすすりながら涙を流していた。
次女の供述調書によると、父は次女に「もうヤダよ」とこぼしたことがあった。だが、他人に長女の面倒を見てもらうのはプライドが許さず、近所の親戚にも相談しなかった。主治医にも「娘は落ち着いています」と繰り返し、1人で抱え込んでいたという。
横浜地裁は今月、懲役3年保護観察付き執行猶予5年の判決を言い渡した。
今回の事件は決して特別なケースとはいえない。
昨年3月には、伊勢原市で、父が統合失調症の長男(当時35)の将来を悲観して、長男の首をネクタイで絞めて殺害。懲役3年6カ月の実刑判決を受けた。この父が役員をしていた自治会の元会長の減刑嘆願書によると、被告は家庭内の事情を話さず、黙々と地域活動をしていたという。
名古屋工業大学大学院の粥川裕平教授(精神医学)によると、国内では統合失調症などに対する社会の理解不足やケアシステムの貧困さから、家族が患者を恥に思って問題を抱え込むことが多く、患者の将来を悲観して心中を図る場合もある。その意味では「この父親らも被害者としての側面がある」と指摘する。
■ 背景に社会の無理解・無関心 ■
厚生労働省によると、統合失調症の発症者は未受診の人も含めれば100人に1人とみられる。誰でも発症する可能性があるが早期治療でかなりの回復が見込める。精神科の治療や投薬とともに、社会生活を営む力を保つため、地域で暮らしながら治療することも重要だという。
NPO法人「横浜市精神障害者家族連合会」=横浜市港北区=では、家族らが体験や知識を共有する「家族学習会」を開催。苦しみや悩みを語り合い、治療に役立つ医療や福祉の勉強会も行う。石井紀男理事長は「誰かとつながれば、家族の気持ちに余裕が生まれる。やがてそれが患者にも伝わり、前向きに生きようとする気持ちに変わる」と参加を呼びかけている。
記者は普段、県警の捜査1課を担当し、悲惨な殺人事件を多く取材してきた。その中で、執行猶予が付けられる殺人事件の背景を探るために取材を始めた。
どんな理由があろうと、人の命を奪う行為は許されるものではない。しかし、その背景には、記者も含めて、精神障害に対する社会の「無理解」と「無関心」があると強く感じた。明日、自分が診断されてもおかしくない病気だからこそ、正確な知識を身につけ、地域の一員として何ができるのかを考えたい。
閑静な住宅街の一角の木造2階建てアパート。近くには田畑もあり、人通りはまばらだ。父が長女を殺害した現場は空き部屋のままだ。「この辺の人は他人に関わらないようにしている」。同じアパートの女性は、この家族とあいさつしたこともなかったという。
検察側の冒頭陳述などによると、父は1983年に妻と離婚。建設会社に勤めながら男手一つで3人の子を育てた。だが、引っ込み思案の長女は中学で不登校になり、定時制高校も中退した。筋ジストロフィーの長男が95年に15歳で亡くなると一層引きこもりがちに。2000年代初めから過呼吸を起こし、07年には統合失調症と診断された。
その前後に次女が家を出てからは、食事以外の時間は寝てばかりの長女の世話を父が続けてきたが、病状は悪化するばかりだった。
今年4月16日夜。父はいつも通り、医者から処方を受けた薬を長女に飲ませた。薬を飲んだことを忘れて再度飲もうとする長女。必死で止めているとき、ふいに「死にたい」という気持ちが芽生え、取り残される長女がふびんで一緒に死のうと決めた。
翌日夜、睡眠薬で眠らせた長女の顔にポリ袋で包んだ座布団を押しつけて殺害。長女の乱れた手足をそろえ、互いの額を合わせて泣いた。そして何度もささやいた。「ごめんな。ごめんな」。自らも家中の睡眠薬を飲んで自殺を図った。
冒頭陳述が読み上げられている時、父は鼻をすすりながら涙を流していた。
次女の供述調書によると、父は次女に「もうヤダよ」とこぼしたことがあった。だが、他人に長女の面倒を見てもらうのはプライドが許さず、近所の親戚にも相談しなかった。主治医にも「娘は落ち着いています」と繰り返し、1人で抱え込んでいたという。
横浜地裁は今月、懲役3年保護観察付き執行猶予5年の判決を言い渡した。
今回の事件は決して特別なケースとはいえない。
昨年3月には、伊勢原市で、父が統合失調症の長男(当時35)の将来を悲観して、長男の首をネクタイで絞めて殺害。懲役3年6カ月の実刑判決を受けた。この父が役員をしていた自治会の元会長の減刑嘆願書によると、被告は家庭内の事情を話さず、黙々と地域活動をしていたという。
名古屋工業大学大学院の粥川裕平教授(精神医学)によると、国内では統合失調症などに対する社会の理解不足やケアシステムの貧困さから、家族が患者を恥に思って問題を抱え込むことが多く、患者の将来を悲観して心中を図る場合もある。その意味では「この父親らも被害者としての側面がある」と指摘する。
■ 背景に社会の無理解・無関心 ■
厚生労働省によると、統合失調症の発症者は未受診の人も含めれば100人に1人とみられる。誰でも発症する可能性があるが早期治療でかなりの回復が見込める。精神科の治療や投薬とともに、社会生活を営む力を保つため、地域で暮らしながら治療することも重要だという。
NPO法人「横浜市精神障害者家族連合会」=横浜市港北区=では、家族らが体験や知識を共有する「家族学習会」を開催。苦しみや悩みを語り合い、治療に役立つ医療や福祉の勉強会も行う。石井紀男理事長は「誰かとつながれば、家族の気持ちに余裕が生まれる。やがてそれが患者にも伝わり、前向きに生きようとする気持ちに変わる」と参加を呼びかけている。
記者は普段、県警の捜査1課を担当し、悲惨な殺人事件を多く取材してきた。その中で、執行猶予が付けられる殺人事件の背景を探るために取材を始めた。
どんな理由があろうと、人の命を奪う行為は許されるものではない。しかし、その背景には、記者も含めて、精神障害に対する社会の「無理解」と「無関心」があると強く感じた。明日、自分が診断されてもおかしくない病気だからこそ、正確な知識を身につけ、地域の一員として何ができるのかを考えたい。