◇努力すればかなう--目黒正己さん(65)
今年、カナダのバンクーバーで開催された冬季パラリンピックで、日本選手団が獲得したメダル数は、前回(トリノ)の9個から11個と増えた。県内でも障害者スキーの普及に努めようと、目黒さんは身体障害者スキー協会長として、熱心に指導に当たる。
19歳の時、バイクの自損事故で左足を切断した。半年後に退院、社会復帰した。その後、あるボランティア活動と出会い、障害者スキーを知った。当時、34歳だった。
それから毎週、日曜日はスキー場通い。朝から晩まで片足スキーに挑戦した。「我流ながら1シーズンで一般スキーヤーと一緒に滑れるようになった。うれしかったですね」と笑顔。そして「何事も努力すればかなえられるという自信がつきました」と当時を振り返る。
これを機に79年12月、現在の身障者スキー協会の前身の県身体障害者トライアルスキークラブを結成、初代会長に。以来、31年間、会長として尽力している。
85年3月、長岡市営スキー場で、県内初の身障者スキー大会を開催したのを皮切りに全国大会の運営に奮闘。今年2月には、湯沢町の苗場スキー場で第39回全国大会を実施、県勢を3回目の団体優勝に導いた。
会長として組織をけん引する傍ら、選手としても大活躍した。国内大会では、常時、優勝か4位以内という輝かしい成績を残した。世界大会にも5回出場。88年3月のオーストリア・インスブルックの大会では20位に終わった。「もう少し上位に行けると思ったが、世界のレベルは予想以上に高かった」と苦笑する。
交通事故時の輸血が原因で、97年にC型肝炎を発症。53歳で現役を引退した。長野パラリンピックの1年前だった。
3年前から長岡市内の小学校2校でボランティアでスキーを指導している。「障害者、健常者を問わずスキーファンを増やしていきたい」と情熱を傾ける。
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■人物略歴
◇めぐろ・まさみ
長岡市城岡在住。現在、日本身体障害者スキー協会長、日本障害者スキー連盟副会長、県障害者スポーツ協会理事を務める。06年から趣味でミツバチを飼育している。
毎日新聞 2010年4月4日 地方版
今年、カナダのバンクーバーで開催された冬季パラリンピックで、日本選手団が獲得したメダル数は、前回(トリノ)の9個から11個と増えた。県内でも障害者スキーの普及に努めようと、目黒さんは身体障害者スキー協会長として、熱心に指導に当たる。
19歳の時、バイクの自損事故で左足を切断した。半年後に退院、社会復帰した。その後、あるボランティア活動と出会い、障害者スキーを知った。当時、34歳だった。
それから毎週、日曜日はスキー場通い。朝から晩まで片足スキーに挑戦した。「我流ながら1シーズンで一般スキーヤーと一緒に滑れるようになった。うれしかったですね」と笑顔。そして「何事も努力すればかなえられるという自信がつきました」と当時を振り返る。
これを機に79年12月、現在の身障者スキー協会の前身の県身体障害者トライアルスキークラブを結成、初代会長に。以来、31年間、会長として尽力している。
85年3月、長岡市営スキー場で、県内初の身障者スキー大会を開催したのを皮切りに全国大会の運営に奮闘。今年2月には、湯沢町の苗場スキー場で第39回全国大会を実施、県勢を3回目の団体優勝に導いた。
会長として組織をけん引する傍ら、選手としても大活躍した。国内大会では、常時、優勝か4位以内という輝かしい成績を残した。世界大会にも5回出場。88年3月のオーストリア・インスブルックの大会では20位に終わった。「もう少し上位に行けると思ったが、世界のレベルは予想以上に高かった」と苦笑する。
交通事故時の輸血が原因で、97年にC型肝炎を発症。53歳で現役を引退した。長野パラリンピックの1年前だった。
3年前から長岡市内の小学校2校でボランティアでスキーを指導している。「障害者、健常者を問わずスキーファンを増やしていきたい」と情熱を傾ける。
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■人物略歴
◇めぐろ・まさみ
長岡市城岡在住。現在、日本身体障害者スキー協会長、日本障害者スキー連盟副会長、県障害者スポーツ協会理事を務める。06年から趣味でミツバチを飼育している。
毎日新聞 2010年4月4日 地方版