goo blog サービス終了のお知らせ 

ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

脳性まひの赤阪はなさん、不況のなか就活に奮闘中

2009年03月17日 00時57分12秒 | 障害者の自立
 脳性まひによる重度の障害を抱える大阪市生野区の赤阪はなさん(21)が、就職活動に奔走している。言葉によるコミュニケーションができず、体も自由に動かせない。それでも、「みんなと同じように働きたい」。介護者にも支えられ、挑んだ企業は4年間で100社を超えた。長引く不況は障害者の雇用にも暗く長い影を落としているが、企業に幾度断られても、「仕事をください」と明るく面接に臨み続けている。

 はなさんは、生後まもなくかかった病気がもとで脳性まひになり、歩行や会話が困難になった。常時介護が必要で、大阪市のNPO法人「障害者自立生活センター・スクラム」のスタッフや友人らの付き添いを受けて生活を送っている。

 大きな瞳と、周囲の人を癒やさずにはいられない明るい雰囲気。友人や教員にも支えられ、地元の小、中学校から府立高校の定時制に進学した後、周囲が「一緒に過ごした友達と同じように就職をしたい」というはなさんの気持ちをくみ取り、卒業を前に就職活動が始まった。

 ペンや道具を持つことができないはなさんの面接は、まず「しごとください」と書かれた名刺を渡し、できる仕事を採用者側と模索することから始まる。百貨店には「車イスの店員がいると、障害を持つ客に親近感を持ってもらえる」とアピール。介護用品のメーカーには「利用者としての視点が商品の改善につながる」と訴えた。職種を問わず100社以上の企業に挑戦したが、そのたびに「接客や応対ができないと難しい」と断られた。

 現在は各地の就職説明会に足を運びながら、説明会で出会った千里桃山保育園(大阪府豊中市)の末広紀子園長のはからいで、保育スタッフとして週に1度園児の保育活動に参加している。園児らには当初戸惑いもあったようだが、今では車イスを押し、食事を取るのを手伝ってくれるという。末広園長は「園児にとっても、大切な経験につながっている」と話す。

 不況の影響を受け、企業では障害者の採用枠が狭められ、従来は雇用の受け皿ともなってきた学校の非常勤講師の予算をカットする自治体も出始めた。はなさんの介護者の1人、麻野恵さん(26)は「周囲に発見や驚きをもたらすことのできる彼女だからこそ、できる仕事はある。彼女の『働きたい』という気持ちを、多くの企業に伝えたい」と話している。

支局長からの手紙:言葉にできぬ思い /徳島

2009年03月17日 00時50分57秒 | 障害者の自立
 「すぐ名詞が出てこない。あれとしか言えない」「新しい自分をつくりたい」。メールには文字通り、「言葉にできぬ思い」がつづられていました。発信者は阿南市新野町の開業医、石川富士郎さん(66)。14年前の脳内出血の影響で、会話や読み書きに障害が出る失語症を患っています。来月1日、石川さんが理事長を務める医療法人が同市富岡町に県内初の失語症デイサービス施設を開くので、その喜びや闘病の苦労を尋ねるメールを送ったところ、届いたのが文頭のメールです。妻隆子さん(60)がじっくり時間をかけ、うまく話せない石川さんの思いを聞き出し、代筆してくれたのです。

 皮肉な運命としか言いようがありません。石川さんは元々、在宅医療をライフワークとし、脳血管障害の高齢者デイケアに取り組んでいた内科医。93年には家に閉じこもりがちな障害者に踊る喜びや意欲を感じてもらおうと、「ねたきりになら連」を結成。阿波踊り本番では、いつも先頭の車椅子を押すのが役目でした。

 それが2年後、脳内出血で倒れ、立場が一転したのです。メールには「すぐに(頭の中で)わかっても出てこない」と、つらい胸の内が書かれています。失語症は認知症と異なり、記憶や判断力は残っています。頭の中には言葉があるのに、それが形になって出てこないのです。

 支える周囲の苦しみも計り知れません。「夫のありのままを受け入れるまで数年かかりました」と隆子さんは振り返ります。何かのきっかけで元に戻るのではないか。そんな期待と焦りから、石川さんを無理やり患者の前に立たせ、応対をさせたこともありました。でも石川さんは隆子さんや看護師の陰に隠れるばかり。「かわいそうなことをしました。それに病院を守るため、経営に没頭して夫を支えられなかった。あの時、もう少し違った対応をしていれば、今の状態は変わっていたかも」。そんな負い目が、失語症患者により良い訓練や環境を提供したいという思いとなり、今回の施設につながったと隆子さんは言います。

 石川さんは以前のような診療活動はできませんが、病院併設のデイセンターで簡単な診察をしたり、通所者の話し相手になったりしています。「障害者の痛みが分かる医者、障害と闘う姿を見せることで患者に勇気を与える医者、という役割を得ました」と隆子さんが言うように、「新しい自分づくり」に取り組んでいるのです。

 施設は1日当たりの利用定員が10人で、日曜以外の午前9時半から午後2時半まで開所。言語聴覚士や看護師ら5人で運営し、症状の回復を目指す訓練を行います。写真は今月8日に行われたサービス体験会で、訓練を受ける石川さん(左)と隆子さん(中央)です。

 施設名は「言葉の夢」とつけました。では2人の夢は? 「専門(言語デイ)を他のところでもまたやれたらいい」(石川さん)、「失語症の人たちの居場所となる空間にしたい」(隆子さん)。長年の苦労の末にたどり着いた夢の実現を願うばかりです。問い合わせは医療法人鴻伸会富士医院(0884・36・2024)

『触法障害者』受け入れ 高崎の『国立のぞみの園』

2009年03月17日 00時49分46秒 | 障害者の自立
 知的障害があり、罪悪感がないままに罪を繰り返す「触法障害者」。法務、厚生労働両省が二〇〇九年度から支援する新規事業を開始するのを前に、高崎市寺尾町の重度知的障害者総合施設「国立のぞみの園」が、〇八年度後半から全国に先駆けて受け入れ事業に乗り出している。制度のはざまに取り残された触法障害者の実態が注目されるに伴い、事業の社会的意義が高まっている。 

 ■深刻な実態
 法務省の〇六年度調査によると、刑務所の満期出所者のうち、身元引受人がなく、支援が必要な障害者や高齢者らは計約一千人。

 入所中の知的障害者は四百十人もおり、犯行動機は「困窮・生活苦」が36・8%、罪名は「窃盗」が43・4%に達した。入所回数が五回以上に及ぶ人は54・4%も。二回以上受刑した人のうち、再犯期間が三カ月以内の人が32・3%、一年未満の人が60%を占めた。

 少年院の入所者でも、知的障害者百三十人のうち、二回以上入所した少年の60%が出所後一年以内に犯行を繰り返していた。

 触法障害者への行政支援はこれまで、ほとんど関心が持たれなかったのが実態。このため、事態を重くみた法務、厚労両省が支援事業を計画し、〇九年度の予算案に計約十七億円を計上した。

 具体的には、出所した触法障害者らを対象に、保護観察所と連絡を取りながら福祉サービスの申請などを支援し、福祉施設への受け入れを仲介する「地域生活定着支援センター(仮称)」を全国の各都道府県に設置。

 さらに、五十七カ所の更生保護施設で出所者を受け入れ、数カ月で集団生活などの訓練を実施する。

 ■2人が生活
 国立のぞみの園は昨年十月上旬、二十代の男性を初めて受け入れた。この男性は医療少年院を満期で出所したが、両親が死亡し、親類は受け入れを拒否。所持金は約一万円だった。今年二月中旬には、別の二十代男性も受け入れた。

 二人は園内の寮に入った後、現在は園外の関連施設で暮らし、園内へ通っている。二人ともトラブルはなく、前向きに作業などに取り組んでいるという。今月中に三十代の男性も受け入れる予定だが、この男性も親類が受け入れを拒否し、所持金は約三千円。同園は受け入れについて、期間は最長で二年間とし、今後も年に数人ずつを見込んでいる。

 同園企画研究部の瀬間康仁・企画調査係長によると、触法障害者の受け入れは福祉施設に敬遠され、受け入れても内密にされる。このため、受け入れの公表は県内で初めてという。同園は〇九年度から、地域生活定着支援センターにも指定される見通し。

 瀬間係長は「障害者というだけでも、犯罪者というだけでも、差別される中、二つが重なった人々の支援は難しい。二年間受け入れても、その後に社会がいかに更生に理解と支援をしてくれるかが重要」と強調している。