ゴエモンのつぶやき

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崩れ行く福祉現場・障がい者福祉の現場も

2007年07月12日 22時51分23秒 | 障害者の自立
介護の担い手が居なくなる。その問題をもっと真剣に考えなければ
我々障害当事者は生きていかれなくなる。今回の選挙でも問題にしなければいけない。


崩れ行く福祉現場・障がい者福祉の現場も
企業参入の是非を選挙の争点に

「介護の社会化」という大義名分で導入された介護保険制度開始から8年目。コムスンの問題に象徴されるような問題の底に、相次ぐ報酬削減で運営そのものが危機的な状況にあることが露呈していると言えるだろう。

 年金問題への不安は強いが、ほとんどの人が必要となるであろう介護の担い手がいなくなっていることに、国民の関心は低い。今回の選挙の争点として「介護問題」を取り上げるマスコミもいるが、取り上げられている現場の多くは高齢者介護の現場である。障がい者施設も同じ状況にあることが、関係者にもあまり知られていない。

介護保険の制度疲労

 7月4日のNHK「生活ほっとモーニング」が報じていたが、東京都は文京区の区立特別養護老人ホーム「くすのきの郷」を処分したという。処分数は全国的に増えている。中には悪質なものもあるが「不正請求」とされる背景には、人員の確保ができず、一定の質を確保しようと努力している施設ほど、より厳しい運営状態になっているという背景がある。このままでは、介護する人はいなくなり、定められた人員配置ができずに「不正請求」はさらに増えていくであろう。

 介護保険の事業所は、昨年の報酬削減でさらに立ち行かなくなっている。障がい者福祉の現場も含めて福祉事業は8割程度が人件費となる。報酬削減となれば、人件費を削るしかなく、非常勤職員・契約社員への移行などで削減をしていく。すると、国は3年ごとに報酬を見直すので、そのころには、運営側の“努力”によって収支をなんとか運営できる状態になっているだろう。すると、国は「削減可能」と判断する危険性がある。

 そうして、いよいよ立ち行かなくなっているというのに、監査だけはタテマエだけで実施される。障がい者施設なども、障害者自立支援法の実施で、介護保険と同じようになってきている。それまで障がい者福祉は、社会福祉法人に限定されていたものが、規制緩和ということで介護などに企業などが参入している。介護保険との統合を予定している政府・与党はさらなる福祉予算減を目論(もくろ)んでいる。

 介護保険自体が本音は医療費の削減目標で創設され、障害者自立支援法が税負担軽減を目的に介護保険との統合を予定するなど、本来の目的が議論された形跡はない。場当たり的な制度変更がいきづまっている。

年金騒動のなかで

 障害者自立支援法は昨年10月に完全実施された。作業所の工賃よりも高い利用料が求められ、施設運営側は月払いの報酬が、日払いの実利用者数になり、大幅な収入減となり、5年ほど前の7割程度に収入が減っている。施設の多くは定期昇給を前提にした就業規則を予定しているが、収入が減っていくのに人件費を増やせない。

 そうなると、非常勤職員に切り替えて削減を図りたい。運営する側の本音は、正職員に早くやめてもらいたいということになる。そうなると、経験の浅い人か、専門的な勉強をしていない人を採用することになる。質の良い支援などは論外となる。

 障がい者の立場からすれば、ようやく地域生活をヘルパーなどの支援で始めたのが、1割負担で生活すら困難になっている。年金問題で世の中が騒いでいる中で、障害者自立支援法で大変な障がい者の実態は忘れられていると感じている人も多い。

 障がい者だけでなく、無年金の高齢者・40万人以上の人たちは死ぬまで働かざるを得ない。障がい者のなかにも、今の制度では障害者年金の対象にならない人がいる。特に精神障がい者に多い。年金でも、生活保護からも見放された人たちが多数いる。

お金がないわけではない

 介護保険も、障害者自立支援法も、企業参入を許している。許していて「福祉を食い物」にしているという非難はありえないはずなのに、マスコミ、国民の多くがコムスンの非難しかしない。福祉のことを論議したことがないことを露呈しているとも感じる。福祉は善意で成り立っているとでもいうのであろうか。営利になじまないものを企業に売り渡し、障がい者福祉も投げ出そうとしている政府・与党の責任が問われるべきだと思う。

 国は金がないという。しかし、定率減税は廃止されたが、企業減税は継続されている。軍事予算も世界で5位以内にある。どこにお金をまわすかが論議されていないのだ。

 私が関係する施設でも14万円程度の初任給で人が集まらなくなった。ワーキングプアといわれる年収200万円未満の人は福祉現場では普通である。ワーキングプア製造現場を支えているのはかすかに残っている情熱でしかない。