風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

夜景

2018-11-05 18:33:02 | はらから集いてソウル

 夜はホテルの最上階のバーラウンジで

カクテルを飲みながらソウルの夜景を眺めた。

ユウトくんとわたしはノンアルコールのカクテルを頼んだ。

ユウトくん一家はいまオーストラリアに居住し、

ダンナは仕事で韓国と日本を往き来している。中国語も堪能だそうである。

まだ未成年のユウトくんの国籍は日本と韓国の両方にある、

成年になったらどちらか片方を選ばないといけないらしい。

 ユウトくんの祖父である弟は、徴兵制のない日本国籍にしろよと言っている。

しかし、これには父親が反対らしい。

 兵役は当然のこととして彼も学生のうちにすませたそうである。

日本に暮らすわたしたちは、青春の一番大事な時期を2年間も兵役で過ごすなんて、

と思うが、ユウトくんの父親によると、それは違うそうである。

生まれたときから誰もが果たさねばならない義務と思っていて、

軍隊の集団生活によって培われた逞しさがその後の人生にプラスになるのだという。

海兵隊が人気だが、希望して誰でも入れるわけではない。

入隊前には適性検査があるそうで、ちなみにユウトくんの父親は海兵隊出身であるという。

 短い旅の一夜、軍隊を持たない国の人間と、

今も軍事境界線があり兵役を済ませたという彼との話題にしては、難しく微妙な話である。

 差し迫った愛息子の将来を真剣に思わぬ親はおるまい、

おかれた立場も状況も違うわたしたちが軽率な意見を述べるべきではないと

わたしは口をつぐんだ。

           

        

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハングル

2018-11-04 23:03:45 | はらから集いてソウル

 英語ができるかと人に訊かれたら、いやいや、まったく、と答える。

謙遜ではない、英語なんてとてもとても……と思っていた。

しかし今回、韓国でハングル文字に接して、私たち日本人は英語ならかなりデキルんだなと

あらためて思った。

 たとえばレストランでメニューを見たとする、英語ならFishとかMeatとか書いてあれば、

ああ、肉なんだとか魚なんだと分かる。

化粧品売り場でHand crem書いてあればそのままハンドクリームだと分かる。  

中国や台湾なら漢字だから、読めないまでもおよその意味がまあ分からないこともない。

厠所とあればトイレだなとか、養生館とあればマッサージかなあと思う。

珈琲店、服務台などは訳さずにそのままで分かる。

そのてん、ハングルは見たことはあってもまるで読めない。

なにかの記号のようにしか見えない。

レストランのメニューを見ても、わたしにはまったくチンプンカンプンで手に負えない。

妹は韓国語を習い始めたそうで、

ハングル文字はときの王様が大衆にも読めるように考案した文字なので

規則性があるからコツを覚えたら大丈夫という。

 遙ちゃんたちに促されて、レストランでは妹が片言で注文をしていた。

           ↓    (英語ならなんとか意味が通じる)

        

         ↓    地下鉄のカード

        

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7年ぶり

2018-11-03 11:09:28 | はらから集いてソウル

 案内役の遙ちゃん一家とは7年ぶりの再会である。

忘れもしない2011年3月11日、東日本大震災による福島第一原発の事故があった。

メルトダウンと東電が認めたのは二ヵ月ほどあとだが、

当初から大事故であることは外国勢がよく知っていた。

 本国からの指令でぞくぞくと日本脱出がはじまりすぐに航空機は満席になった。

当時日本支社の駐在員だった遙ちゃんのダンナにも

韓国本社から帰るように指示が出たが帰国便がとれない。

混乱のなか、無沙汰つづきの東京の弟からわたしのところに電話がかかった。

 遙たちがね、困ってるんだ、とりあえず新幹線は乗れそうなので

福岡まで行くからお姉ちゃんちに泊めてくれない?

 いいよ、というわけで、彼らは我が家に一泊して、

 翌日博多港から釜山へ向かう船で帰韓した。

あのとき五歳だったユウトくんはいまオーストラリアで中学三年生になった。

長身の父親をさらに越えて、いまクラスで一番背が高いという。

7年前、五歳だったユウトくんを、ユウトちゃんと呼んだら、ユウトちゃんと呼ばないでと

可愛い声で抗議された。ではなんと呼ぶの、と訊ねたら、ユウトって呼んでといわれた。

 博多港の出国口で手を振って別れた彼らと再会したのは仁川空港の到着口であった。

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

離婚再婚

2018-11-02 11:50:02 | はらから集いてソウル

 妹のいまの夫は二度目の再婚相手である。

最初の夫との間に二児をもうけたが、下の子が三歳のときに別れて、

すぐに今の夫と再婚した。

 前夫との離婚理由は頑固で我儘な姑のことで

前夫自身に恨みつらみがあったわけではない。

事情があって二児のうち長女を夫側が、長男を妹が引き取った。

 離婚は大人の都合で子供に罪はないからと、

以後、今にいたるまで子どもたちは双方の親と自由に行き来している。

妹のいまの夫は、引きとった息子をよく可愛がり、

実子が出来て気持ちが変わるといけないからと自身の子は望まなかった

 前夫ものちに再婚したが、こちらの新しい奥さんも、

育てる娘はひとりいればそれでいいと実子を産まなかった。

  子どもたちだけではなく、それぞれの再婚相手もまじえてたまにはみんなで会う

というのだから、まあ恨みっこなしの良好な関係の離婚夫婦といえないこともない。

早苗さんがね、リョウコさんは離婚して正解だったっていうのよ、

早苗さんは前夫の奥さんである。

 とにかく手にあまる姑だったとかで、

晩年は施設でも病院でも大声を出す、暴れるで、どこからも追い出されて

 

結局早苗さんが家で看たのだという、

 だからわたしもうちの子たちも、前ダン(妹は前夫のことをこういう)も早苗さんには頭があがらないの。

 つい先日も妹の孫たちが前ダンのところへ遊びに行ったら、

帰りは早苗さんが車で送ってくれたそうで、リョウコさん、元気ぃ? って……早苗さんも元気だったよ。

 ふうん、というしかない。

             

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妹の夫

2018-11-01 10:06:32 | はらから集いてソウル

 妹の夫は、脳腫瘍の後遺症があり外で働く妹にかわり家事全般を引き受けている。

 料理も? そうよ、あんまり上手じゃないけどね。

元来きれい好きな人で掃除は完璧、洗濯物も妹は畳むだけという。

 酒好きな人だが、

あんたが旅行中は倒れたら助けてくれるひとがいないので、呑まないよ、

と殊勝なことを言って送り出してくれたそうである。

 旅の間も妹は折々に夫に電話をかけていた。

 呑まないって言ってたのに、もう呂律が回らないの。酔ってるってすぐわかるのよーー

と妹はおかしそうに笑った。

 安心して呑みたいから早く帰っておいでだって。

 むかしから仲のいい夫婦である。

      

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きょうだい

2018-10-30 10:22:55 | はらから集いてソウル

 一緒に旅行、などといえばいかにも仲良しきょうだいのようだが、そうでもない。

東京、広島、福岡、と離れていることもあるが、実をいえば五年ぶりの再会で、

その間、ほとんど音信不通にちかい。

 弟は、もうお互い齢だからこれが最後と思って誘ってくれたのかもしれない。

 電話したってさ、足が痛い、腰が痛いって言い合ったところで

面白くもなんともないでしょ、というのが弟の言い分である。

ごもっともである。

 妹のところは亭主が十数年前に脳腫瘍で倒れて以来、

彼女が掃除のおばさんで家計を支えている。

近くに世帯をもつ息子たちから孫の世話を頼まれることもある。

このごろは韓国語も習いはじめた。

つまり暇なお姉ちゃんの電話相手などする暇はないのである。

    

     仁寺洞を歩くと韓服姿の男女によく出会う、借り着屋が結構繁盛しているらしい。

    ↓   地下鉄カード

         

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホテル

2018-10-29 16:56:02 | はらから集いてソウル

 当初、弟が提案したホテルは、韓国の住宅仕様で、

オンドル床一室、ツインのベッドルーム一室で、床室に弟が、ツインに私と妹が泊まったらどうか、

というものだった。

 これならかなり格安で、弟はホテル代全額持ってくれるつもりのようだった。

妹はどっちでもいいよと言ったが、不眠症のわたしは原則独りで寝ることにこだわるので、

一室ずつにしてくれと注文をつけた。

 ホテルにシングルがなかったのだろうか、行ってみると

ツインの部屋を妹とわたし、弟とひとりずつに用意してあった。

大きなベッドが二つ並んだ部屋に入ったときは、さすがにもったいないなと思いながら、

しかし快適ではあった。

 二人一緒は、時間に余裕がない旅先で、ホテルのバスルームで、待ったり待たせたりするのは

お互いに気をつかうものである。

 まあ、ちょっと贅沢ではあったが自分の都合で風呂に入る、寝る、起きる、は気楽なことであった。

              

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食のたのしみ

2018-10-28 10:46:57 | はらから集いてソウル

 旅の楽しみのひとつは美味しいものを食べることである。

まして今回は韓国出身の遙ちゃんのダンナが案内役である。

さっそく連れて行ってもらったのが蟹料理の店である。

界隈、蟹づくしの店が並ぶなかで小さな洒落たお店に予約を入れてくれていた。

小皿に並ぶ豆料理、野菜料理、むろん美味しそうなキムチ、鍋料理、メインの蟹の甘辛タレの姿煮など

どれも唾が出そうに食べたい。

 しかし、無念にも、蕁麻疹がこわくて、わたしが注文してもらったのは、

おこげ粥とふわふわのオムレツ風の卵料理。

  でもこれも、ほかのメンバーにも評判がよくて分けて食べた。

 夕食の焼き肉のときも、辺り一帯焼き肉屋が並ぶ中の一軒だったし、

次の日に唐揚げを食べに行ったときもあたりは唐揚げ屋街といったふうで

共存共栄といったところか。

       

         ↑ カニ料理                  ↓  チキンのお店

      

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体調

2018-10-27 16:31:43 | はらから集いてソウル

 実を言えば、出発前、わたしは体調を崩していた。

8月半ばに原因不明の蕁麻疹に罹り、薬で抑えてはいるが完治はしていなかった。

 小心者のわたしはこれまでも海外旅行へ行く前になると決まって体調を崩した。

スペインのときは硝子体剥離で眼帯をしていたし、

中国の桂林のときは顔面ヘルペスでお岩さんのように目の上を腫れあがらせ、

鎮痛薬を飲みながら川下りをした。

ドイツ行きのときは気管支炎で咳が止まらず、肺癌かもしれない、これが最期の旅になる……と

悲壮な決意で旅立ちだった。

 だから、今回も、蕁麻疹、きましたねえ、という感じがしないでもなかった。

 旅先で発疹が出たらいけないので皮膚科で応急用の薬も貰った。

韓国料理といえば唐辛子を思いうかべるが、韓国だって辛いものばかりでもなかろう、

まずは先に告げておかねばと、案内役の遙ちゃんには車の中で白状した。

         

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

COEX

2018-10-26 11:42:41 | はらから集いてソウル

 漢江の南側の江南(カンナム)地区に

coexという後楽園ドーム三個分という広大なモールタウンがある。

その一画にあるコエックスインターコンンチネンタルホテルに泊まった。

夕刻のロビーではヴァイオリンの演奏があり、フロントでは日本語も可で、

朝食のバイキングもおいしく、快適なホテルライフであった。

ホテルを出て奉恩寺を背に数メートル歩くと韓国都心空港がある。

空港まで行かないでも出国手続きはすべてここですませられるので

日本を出るときに冷や汗をかいた身には

遙ちゃんたちに付き添ってもらえて心丈夫だった。

あとはリムジンバスで仁川空港まで移動して出国ゲートに直行出来る。

coexには映画館も水族館もあり、むろん各種ショップもある。

老人には広すぎてとても歩きまわれない。

ホテルに帰るだけで迷子になりそうだった。

 シャイニーのCDは明洞で探しまわったが、

帰国後、聞くところによるとシャイニーの事務所がCOEXにあるということだ。

灯台もとくらし、あとのまつりである。

      

    リュウシオンさんの誕生パーティもホテルで開催されていた。

              奉恩寺  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする