机の上

我、机の上に散らかった日々雑多な趣味(イラスト・劇画・CG・模型・HP・生活)の更新記録です。

真漫画家残酷物語

2014-01-21 08:50:00 | 楽描き
森安なおや

田河水泡の弟子であり、伝説のトキワ荘の住人の一人でもある。

(筆者は以前に周りの若者から田河水泡氏に例えられた事があったが、恐れ多い事であり無視をした事がある。 若者はおそらく筆者が高齢で漫画をやっているから、「のらくろ」のような漫画を描いているのかという嘲笑的な意味合いで質問をしてきたのであろうと察して、黙して語らなかった。今の若者は田河水泡の作品の美しさを理解できないのであろうか。)

田河水泡は漫画史においては勿論、美術史においても崇高な方である。

森安なおやを知る手がかりとして、有名なところでは「わが青春のトキワ荘」と題されたテレビのドキュメンタリー番組がある。

トキワ荘出身の売れっ子漫画家連の片側に、今は卯立の上がらない森安なおやが、対照的に演出されていた。

そう演出されていた。

(筆者は当時1980年代初頭にリアルタイムでこの番組を見て、世の中で売れてゆく者と
そうでない者を執拗に差別する演出に事実はどうあれ、辟易して見ていた)



目蓋が重くなってきた。病室の白い天井は映画館の銀幕をおもわせる。田舎の二流館の上映フィルムのように切れながら途切れながら思い出が断片的に映し出されてきた。

俺は漫画が好きではないのかもしれない。いや嫌いだ。

巨匠と謳われる昨今の作家達の作品、あれは全部がパロディだ。

どこにオリジナリティがあるのだ。たしかに勉強をしているのは認めるが、昨日はSF、今日は西部劇、明日は時代劇か。節操がないな。

それにあの乱暴なペンさばきはなんだ。いかに忙しいかは知らないが、早描きを自慢してどうする。

確かに俺は遅筆だ。ちまちま楽しんで描いている。それゆえに締め切りにも遅れて、編集者にも嫌われる。

彼等の作品は麻雀に例えると、決して高い手ではない。早上がりの安い手だ。あっちこっちから他人の手牌を食って臆面もなく晒して銭を稼いでいる。
 
嫉妬かな。彼等を見習うべきだったのかな。俺はすぐ日銭を、目の前の物欲に消費してしまう。もっと飢えと戦って真摯に漫画に立ち向かえば良かったのかな。

こんな調子だから、女房子供にも逃げられるんだな。

いいや、誰よりも真摯に漫画に立ち向かった。たしかに彼等のように上から目線で俯瞰で物事を描く事は苦手だ。未来を見通す力もなかった。

テレビのドキュメンタリー番組の中で俺は自分の惨めさを晒した。おかげで田河水泡先生から絶縁破門された。

売れる者と、そうでない者。光と影。番組を造るうえで絶好の主題だったのだろう。番組ディレクターのいやらしい質問が今も耳に残る。そりゃぁ彼等より力はないさ。

番組出演で貰った謝礼は布切れ一枚。酒代にもなりゃしない。

あげくに、二十年かけて描き上げた作品を没にされた。

作品は少年誌に掲載される予定だった。アシスタントもつく手はずだった。だが番組側は裏で手を回し、俺の二十年の結晶を没にするよう進言していた。番組を面白くするために。

俺の漫画は昭和三十年代で終わってしまった。

寡作ではあるけど、俺の下からの、ローアングルが主体の旅愁的な画面と丁寧な描線は悪くはないと思うのだがなぁ。

そりゃあ牧歌的などと謳われ、派手ではなく事件など起きはしないが、それのどこが悪いんだい。

俺の描く女の子は充分、可愛いとおもうんだがなぁ。

時代が流れ、分かる人は判ってくれるおもうんだがなぁ。

頭の後の映写機がカラカラと音を立てている。天井のスクリーンは焼けて切れたフィルムがぱたついている。

目蓋が重くなってきた。すっかり暗くなってしまった。

六十四才かぁ。まだまだやれるんだがなぁ。

さようなら、みんな。

(森安なおやの作品は、近年復刻され、その真価が見直されている)


            1・13・・22:38~