机の上

我、机の上に散らかった日々雑多な趣味(イラスト・劇画・CG・模型・HP・生活)の更新記録です。

千石一鳥

2013-06-21 11:51:00 | 楽描き
千石一鳥

一石二鳥の裏かえした言葉を考えてみた。

百でも万でも良かったのだが、語呂はこれが良いかなと思い、千とした。

一石を投じて二鳥を得る、ラッキーな人生もあれば、投げても投げても、やっと一鳥という人生もある。

先日、元東映フライヤーズの尾崎投手が亡くなられた。

子供の頃に劇場のニュース映画で見た「怪童現わる」を、今も憶えている。

当時、無理をしたため野球人生を短命で終わっている。

後年、テレビで慣れぬ営業仕事で苦労されている尾崎氏を見て胸が痛んだ。

テレビの意図は、かつての大投手も今は、この有り様というのが見え見えだからだ。

テレビが、あてにはならないのは、分かってはいるが腹が立ってきた。

子供の頃に見た「ちかいの魔球」という漫画を思い出す。

作者はちばてつや氏、原作は福本和也氏だ。

主人公は、巨人軍に入団して、球の数が増えたり、一瞬止まったりする魔球を投げ活躍する。

後に流行るスポ根漫画の走りであるが、最終話が印象的で子供心にも衝撃を覚えた。

主人公は肩を壊して田舎に引き込むのだ。

その最後の小さなコマは当時の自分を不安のどん底に叩き落とした。

将来はどうなるのか分からない。いや明日にどうなるか分からない。

尾崎投手も栄光のマウンドから一転して無名の社会人。

今は幸せか不幸かは尾崎氏からみれば他人から言われる筋合いはなかろうが、テレビは尾崎氏を三枚目に描いていたと記憶する。

「ちかいの魔球」は七、八つの子供に身体を壊したらどうしよう、病気になったらどうしようという事を教えてくれた。

中には全く芽が出ずに消えていく人生もあるという事も教えてくれた。

この「ちかいの魔球」にいたく感動して上京した漫画家がいる。

地味だがデビューから今日まで、ずっとファンのながやす巧氏だ。

話しが横道にそれた、恐縮である。

まだ六十代で逝かれた尾崎氏。

人生はこれから、いくらでも栄光がある。

残念でならなかったのは御本人が一番分かっている。

さて、ながやす氏であるが千石千鳥の作家である。

同様に千石千鳥の作家は自身の胸の中に五人といない。

先に述べたちば氏そして、平田弘史先生。

本日は、先生の漫画家協会の文部科学大臣賞の授賞式だ。

授賞対称は今まで描かれた全ての作品。

まさに、千石千鳥だ。

ここに、描かれている作品とともに学ばなければならない人生がある。

自身をふり返れば、千石無鳥。

幾千万も描いてきたが、これはという一枚に到達できていない。

今のところ身体も壊れていないから善しとしよう。

いろいろあるが、善しとしよう。

一石二鳥か

一石一鳥も大変だ。

我が心のヒーロー
東映フライヤーズ
尾崎投手。

「ストラァ~イク」