家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

古い家の価値

2007年03月02日 | 家について思ったことなど
前回のエントリ「楽しまないと損――住宅の趣味性」の中で、資産形成という面における、ローンを組んでの「持ち家」のリスクの考え方をざっくり紹介した。
それらのリスクのうち、古い家には資産価値がほとんどない、という点について少し考えてみたい。

資産形成の指南者が古い家に資産価値はないと言ってしまうのは、売り物としてまともな値段がつかないところからきている。
それにはいろいろな理由がある。

・そもそも日本人は新しいもの好きで、文化財でもないかぎり古いものに価値があるという発想はあまりしない。
・日本には中古住宅の流通市場が育っていない
・税制で木造住宅の法定減価償却期間は22年となっており、22年を経過したものは、モノの価値を保持して使用できる年数を過ぎてしまっているような印象が持たれている。

まあ、こんなところだろうか。
一般論では、こうした現状をもとに資産の価値を考えるのはあたりまえであろう。
ただ、現在の一般論にしたがっていさえすれば賢い判断ができるのだろうか。
状況とは変化するものである。

日本の中古住宅の流通市場は確かにお粗末である。中古住宅が市場に出ても、築年数と広さ、立地くらいしか価格算定のものさしになりえていない。
しかし現状の価格形成はともかく、建物の「真の価値」はその尺度だけでは決まらないはずだ。
そのギャップに着目したようなサービスをしている不動産会社がある。
書籍も出ている「東京R不動産」↓がそれである。
http://www.realtokyoestate.co.jp/index.php
詳細は上記サイトをみてもらいたいが、おおまかに言えば「変わった物件を扱う不動産会社」である。その中には築年数の古い物件も当然ある。
いくつか抜粋してみる。↓
http://www.realtokyoestate.co.jp/estate.php?n=3526
http://www.realtokyoestate.co.jp/estate.php?n=2855
http://www.realtokyoestate.co.jp/estate.php?n=2810
これらはあきらかに「古さ」が付加価値になりえている。築年数の大きさは一般的には価格形成上のマイナス要因だが、乱暴な一般論から離れればこのような価値を見出し、価格に反映できるのである。
さて、こういう物件を扱う業者がいるということは、日本人のすべてがすべて新しい物好きということでもない、といえる。規模は小さくともちゃんと価格形成がなされる市場ができると期待はできる。
以前紹介したが、政府から200年住宅という構想が打ち出されている。
とすると、今後「古い家」の評価が現在と変わってくる可能性がある。中古住宅市場は徐々に改善される期待がある。その市場で高い評価を受けるために、ちゃんと長持ちする家を建てて今のうちに仕込んでおく、という考え方をすれば少しは気が楽になる(気休めともいう)。

最近は古民家がちょっとしたブームになっている。それからもわかるように、ちゃんと作られた家は耐用年数が20年そこそこ、なんていうことはないのである。乱暴に定められた法定減価償却期間なんていう「想定使用期間」にあてはまらない家をつくるのは誰にも可能なのだ。

古民家と資産形成なんて、関連性が薄い項目のように思うだろう。しかし、もしかしたら最近の古民家の受け渡し場面では、「お得な話」で紹介したような古屋の譲渡をかなり計画的にやっているのかもしれない。
すなわち、価格価値がほとんどないものは譲渡にあたって税金が相当に軽い、という状況をうまく利用しているということ。
現在、うまいぐあい(?)に公的に古い家を低い価格に評価してくれているのを利用しない手はない。市場価値はなくとも利用価値はある物件を格安(すくなくとも税金の面では)で手に入れられるのである。そうみれば資産形成と古民家の関連性に注目できる。
まっとうな古い家は日本の未成熟な中古住宅市場で本来の価値を算定されないまま安値に放置されている。つまり底値であり、下落リスクはそもそも小さい。そして将来、古い家のポテンシャルが正当に評価されるようになったらどうだろう。市場価値がついて譲渡時の税金が高くなるかもしれないから、いまのうちだ(笑)。「ゆがみ」はいずれ是正される、安いときに買って高いときに売る、人の行く裏に道あり花の山だ。それが投資というものだ。きっとそうだ。



このような空想(※)をしつつ、わが古屋で炭火で沸かした湯でお茶を飲む。
資産として古い/古くなる「持ち家」を所有するのも悪くない、と思っているおめでたい人間なのである。


※ ようするに情報の「バイアス」に注意が必要ということ。そこそこのおじさんである私は「売る場面」を想定しない「終の棲家」を建てているつもりであり、上記記述の多くはかなり「後付け」の理由である。


最近、読ませていただいている「NED-WLT」(←非常にためになる良質ブログ)の昨年12月のエントリ「人口減少の時代に、持家を考える」にそろーりとトラックバックさせていただく。
このような「家」フェチもいるってことで・・・。