家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

ニセモノ自慢の憂鬱

2005年01月19日 | 家について思ったことなど
 家を新築することになってから、業者からダイレクトメール(DM)がよく来るようになった。家具、照明設備、カーテン、外構工事・・・。
私は住宅展示場などで氏名を書いた覚えはない。建築確認申請を出して以降、届くようになった気がする(当局に出した建築確認申請のデータは個人情報保護法上、どのような扱いになっているのだろうか)。
 まあ、いまのところそれほど迷惑ということもなく、ヒマがあればDMを読んだりもする。
そんな中で・・・。

つい先日届いた外構業者のDMに、物置の商品チラシが入っていた。そこにこんなコピーがあった。

 本物を超える質感
 レンガ部や木部は、ディズニーランドなどで使われている本物そっくりの強化プラスチック製です。とても強い素材で、お手入れ不要のノーメンテナンスです。

 
谷中M類栖」のm-louisさんには私のポジティヴリーディングの手腕を評価(?)していただいているが、今回はたったこれだけの文章について、かなり辛い読みをさせてもらう。

いきなり、製品の根幹をなすレンガと木がニセモノ(フェイク)であることを告知というか、むしろアピールしていることに複雑な思い。
「本物を超える質感」という見出しだけでいろんなことを考えさせる。

まず、ウソだということ。触ればニセモノであることはすぐわかる。「質感」ではなく、せいぜい「見た目」であろう。
百歩譲って、その見た目が質感(のようなもの)をもたらしているとしたら、新品の本物より、経年変化したように見せる演出のせいだ。
しかしその演出は、偽レンガや偽木に付けられた細かなニセ傷やニセの色褪せによってなされている。

何もかもニセモノという事実にげんなりする。傷だの、色褪せだのは、そのモノが家族とともに過ごすことによって纏う、歴史ともいえるもの。そこに、どこかの誰かの家にあったレンガや扉からコピーされたものが置かれる。結果、家の歴史や風貌にまでニセモノ感を漂わせることになるのだ。

ディズニーランドの建造物のように、フィクションの世界、かつ、たまに目にするものであるならば、そんなニセモノの利用もさほど問題ではない(私は好きではないが)。しかし、毎日暮らす自分の家に導入しようというのだ。いつまで経っても、自分が刻んだわけでもない傷(のコピー)がついた、時が止まったような物置。
そして、通常なら、もし住人がうっかり傷をつけても、「味」につながることがあるが、ニセモノの場合、本物のレンガや木ではありえない変な傷になり、醜さにしかならない。それでいいのだろうか。

モノの経年変化をゆっくり楽しませることもなく、刹那的にニセの経年変化つきのモノを提供する。それでは生活・暮らしが虚ろになるとは思わないのだろうか。私が考える家の「完成」とは程遠い発想でまったく賛同できない。

 3年も経つと、その場所の日光の当たり方からして不自然な色褪せであることがわかってくる。何回も訪問する人にはやがて、傷や色褪せも認知されてくる。たまにしか家にこない、関係が希薄な人々にはニセモノであることはばれにくいが、むしろばれてほしくない親しい人々には早晩ばれる。そしてニセモノだとわかると、何も言わずともハリボテをみるような視線に変化していくことだろう。

結局ニセモノを使いつづけるということは、いずれ、持ち主がそのジャンルのモノに対して薄っぺらな認識しかないことをさらけ出すことになるのだ。
高級な本物をコピーしたニセモノより、安い本物の方がましだと思う。私は家に限らずニセモノをやむなく使うときは目立たないように使うことにしている(あるいはニセモノ宣言をしてから使う)。しかし、この商品は「おしゃれ」であることを強調し、目立つ位置に置けと言わんばかりの推奨文付き。
チラシの裏面に載せられた「消費者の喜びの声」を、むなしい気分で読むことになった。

 ノーメンテナンスの問題点についても言いたいことはあるが、長くなったので別の機会に。

<オマケ>
 業者にいいたいこと。
DMを受け取るにあたって、個人データの不正入手懸念のある業者からは何も購入しないと決めている消費者もいることを忘れないように。そして無差別DM配布によって、こんな時代遅れのカタブツ施主のネタにされるリスクもあることを・・・。