ひまわり博士のウンチク

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国は守ってくれなかった。『相棒Ⅳ』

2017年02月19日 | 映画

 
 隣が工事をしていて、はげしい騒音で仕事どころか読書もテレビも見ていられない。平日は大きな音の出る工事は遠慮してもらっているのだが、どうしてもということなので、やむなく土曜日のみ音を出すことを許可したからだ。
 
 そこで、静かになるまで映画でも観に行こうとカミさんと出かけた。どうしても観たい映画はなかったのだが、さしあたりカミさんが観たがっていた『相棒Ⅳ』(僕としては『サバイバルファミリー』のほうが、スノーデンの暴露に連動しているようで、興味深かったのだが)を観る。
 けっこう面白かった。

 冒頭、トラック島(現在のチューク諸島)をアメリカの戦闘機が空襲するシーンで始まる。アジア太平洋戦争中、南太平洋のこのあたりは、サイパン、グアムとともに日本が占領していたが、敗戦間近になって日本軍は、一般住民を置き去りにして逃げ去ってしまった。残された住民の多くが、米軍の空襲で犠牲になった。
 トラック島から戦後、命からがら日本に帰還した天谷克則は、戦時特措法によって死亡宣告されていた。彼は国によって見捨てられ、殺され、存在しない人間になっていたのだ。

 そして現代、誘拐事件が起き、「テロリスト」は人質をとり、24時間以内に9億円の身代金を要求してきた。支払われなければ「大勢の人々の見守る中で、日本人の誇りがくだけ散るだろう」と、不特定多数の日本人を狙った、無差別大量テロを予告した。
 しかし政府は、「断固テロに屈しない」との立前のもと、「テロとの戦いで犠牲はつきものだ。我々は人間でいえば頭脳だ、多少手足に擦り傷がついても頭は守られなければならない」などと、一般人を見殺しにすることを公言し、しかも、人質の女性については一言もなかった。
 これは、中東で起きたかつての人質事件のとき、そして、ISに捉えられた日本人の身代金要求にも無視を決め込み、「自己責任」といって見殺しにした日本政府の態度に酷似している。
 日本という国は過去にも現在も将来においても、国民を守らないのだ。
 沖縄のオジイやオバアの、「兵隊は住民を守ってはくれなかった、それどころかじゃまにして殺した」というつぶやきが、過去のものではないことを物語る。
 「テロリスト」はそんな日本政府に対して、自らの身を挺して戦いを挑んだのだ。(彼らに対してテロリストという呼称はふさわしくない。だから括弧つきにした)
 
 まあ、結末は『相棒』らしく、それなりの「正義」をもって解決に導くのだが、たぶんドラマではできなかったテーマだろう。日本軍が住民を見殺しにしたなど、戦争のできる国にしようとしている現政権にとっては看過できない表現だからだ。地上波ドラマならたぶん、テレビ朝日は自粛しただろう。
 
 時間つぶしのつもりが、ちょっと徳をした気分だった。