
今から70年前の1937年12月13日、松井石根(まつい いわね)率いる中支方面軍は南京市を攻略、その日からはじまった「南京大虐殺」は翌年の2月のはじめまでやみませんでした。

揚子江の川岸にはおびただしい数の死体が投げ捨てられていた。(村瀬守保写真集『私の従軍中国戦線』より 【転載禁止】)
南京事件で虐殺された中国人は10万とも20万以上とも言われ、いまだにその実数は確定されていません。
南京事件については現在にいたるまで多数の文献が出版されています。
南京事件を目撃した記者や作家は日本人だけでなく、当時の南京は中国の首都であり、多数の特派員によって世界に報道されました。
しかし、日本本土の国民だけが、きびしい報道規制のためにその事実を知らされず、それが現在でも「南京虐殺などなかった」という極端な発言を生み出す原因の一つにもなっています。
南京大虐殺事件は、日本軍が中国大陸で行った数々の残虐行為の中でももっとも大規模な住民殺害事件です。
このときの司令官松井石根は戦後の極東軍事裁判(東京裁判)で絞首刑の判決を受けています。
南京事件に関する基本的なもっとも理解しやすい入門書としては、岩波新書の『南京事件』(笠原十九司著)をおすすめします。
数ある南京事件に関する著作のうちには、ちょっと毛色の変わったものもあります。

この本は戦後10年経った1955年の発行で、中国人の目から見た南京事件さなかの南京市内のようすが描かれています。小説ですので、研究のための参考資料としては必ずしも最適とは言えませんが、当時の南京市内のようすをかいま見るにはよいでしょう。また、著名な作家による作品であることも興味深いものです。
すでに絶版ですが、新潮文庫版が古書店で比較的多く出回っています。
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◆あなたの原稿を本にします◆
詳しくはメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
南京の人口は当時約20万人
20万人以上の人を殺したのなら、なぜ生き残りがいるのでしょう?
「多数の特派員によって世界に報道されました。」
これらの記者は、国民党政府より多額の金を受け取っています
でまかせという可能性が極めて高いです
「日本本土の国民だけが、きびしい報道規制のためにその事実を知らされず・・・・・・」
ならばなぜ、満州など中国にいた日本国民の子孫まで嘘だというのでしょう?
「このときの司令官松井石根は戦後の極東軍事裁判(東京裁判)で絞首刑の判決を受けています。」
極東軍事裁判では、日本側の意見、弁明を一切無視しています
こんな裁判が正当なものと言えるのですか?
これらへの反論があれば、メールください
まず、南京事件についての勉強がまったくなされていないようです。この「名無しの権兵衛」がコメントで言う、とうの昔に論破されつくした愚言をどこで仕入れてきたのかわかりませんが、きちんと勉強している人なら恥ずかしくて言えないはずです。(まあ、恥ずかしいから「名無し」なのかもしれませんが)
投稿者は、自分の感情に心地よい意見だけでなく、洞富雄、藤原彰、笠原十九司氏らが学問的に検証した書物も参考にするべきです。当然読んだことがないからこそ、低レベルの愚言しか言えないのでしょうが。
彼等史実派と東中野修道や鈴木明などの南京事件否定派とがどのような点で意見に違いがあるのか検証してはどうでしょう。
ひとのブログに文句を付ける前に、自分なりの意見をきちんと構築するのが先決でしょう。
手っ取り早いところ、『南京事件論争史』(笠原十九司 平凡社新書)という非常にわかりやすい本があるので、読んでみてはいかがですか。