大江健三郎『定義集』
暴力への沖縄の意思表示
『定義集』は久しぶりに沖縄がテーマだ。
30代の頃に行った石垣島での体験から、最近の普天間吉移設問題までを駆け足で辿る。
『万延元年のフットボール』(1967年)は「私の地方にも、維新をはさんで二度の一揆があり、近代化に向かう国家の暴力への、いわば集団意識による記憶はあります。琉球処分、国家主義教育の徹底、沖縄戦と、聞いたばかりの話に呼応し」創作ノートが作られたという。
その後書かれた『沖縄ノート』が、当時の守備隊長によって右派の組織を後ろ盾に訴訟が起きた。
「公判の中で原告の旧守備隊長が、その時点では『沖縄ノート』を読んでいなかった、とみずから証言して、気勢をソガレルこともあった」と、記憶する限りはじめて本人の言葉で、このことについて語る。
目取真俊氏が大江氏の本から「おりりがきたら」というキーワードを拾い上げ読み解いていることについて、「たしかに」と納得させられた。
「その〈おりがきたら〉、強制された集団自殺の責任者も、批判を受けずそこを訪れることができるだろう。この〈おりがきたら〉思想は、沖縄戦の悲惨な体験が、これは決して無かったことにはできない、とした境界を踏み崩し続けています。すでにいかに多くの〈おりがきたら〉と待ち受けていた者らの再登場がなされていることか? そして何が企てられているか?」と危機感を投げかけた上で、「一方、〈おりがきたら〉の開き直りとは逆の、沖縄県民の自己表現」が1995年の少女暴行事件に抗議する8万5千人の県民集会であり、それに続く「十万を越えるに至った二度の県民集会に規範をなして」いると語る。
橋本‐モンデール会談で「五年から十年以内に普天間吉を全面返還することに合意」(1996年)したにもかかわらず、それから14年経った現在も普天間基地は危険な状態で固定されたままであり、米軍は「あの県民集会の向こうに潜む〈爆発〉のリアリティを読み取った米軍を」見ることができる、と。
大江氏は2000年の沖縄訪問でも、辺野古移設が不可能であることを現場ではっきりと認識し、そのなかでも多くの異なる立場の人たちから「爆発」を憂う声が発せられることを感じ取ってきている。
「普天間が何も変わらぬ情況の長く続くなかで、〈爆発〉が決して起こらずに来たことこそ、沖縄県民の実力を示しているのではないか」と結論する。
「もし菅首相が辺野古移設の最後の抜け道に、公有水面埋め立て許可の知事権限を取り上げるための立法化を行うならば、私らは4度目の大きい県民集会で、當の実力を再認識するでしょう」と語っているが、その4度目の集会は「爆発」かそれに近い状態になるであろうことは想像に難くないし、そうでなければならないと思うのである。
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