monologue
夜明けに向けて
 



先日、BS朝日 「 知られざる物語 京都1200年の旅」で比叡山を採り上げていた。最澄が比叡山上に延暦寺を建立し、比叡山の地主神である滋賀県大津市坂本にある山王総本宮日吉大社(ひえたいしゃ、現在は「ひよしたいしゃ」)日吉神社を、天台宗・延暦寺の守護神として崇敬し山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結びつけて山王神道を説いた。元々の信仰の地であった牛尾山(八王子山)山頂の磐座奥宮(牛尾神社・三宮神社)に対する里宮は樹下神社。 近江京遷都の翌年である天智天皇七年(668年)、大津京鎮護のため大和国三輪山(三諸山(みもろやま)とも)の大三輪神(おおみわのかみ)、すなわち大物主神(ニギハヤヒ)を勧請しともに祀られた。
元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちにより日吉大社も灰燼に帰したが信長の死後、豊臣秀吉が復興した。豊臣秀吉の名前を見ればかれが何者であったかわかる。幼名が「日吉丸」。そして樹下神社から苗字をとって木下藤吉郎となり、日吉神社の神使が猿であるからあだ名が「猿」。豊臣の豊は天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(ニギハヤヒ)の治めた豊の国。その臣である「日出吉」という名前なのである。違うようにみえる「藤吉郎」の「藤」を日(クサ)に月とみれば「日吉」ばかり。かれが天下人となることは幼時より決まっていたようである。
fumio

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