天草・島原の乱において原城に立てこもった南蛮絵師山田右衛門作はただひとり生き延びて、300年のちの世に起こる太平洋戦争の終わり頃、戦争終結に向けての新型爆弾使用を回避するために「「天に兆(しる)し顕れ木に卍(まんじ)呻(うな)り、野山に白旗立て諸人の頭(こうべ)にクルス立つ可く申し候。東西に雲の焼け必ずあるべし諸人の住む所皆焼け果つべし野も山も草も木も、皆、焼け申すべく之を書置く由申し候。」と口書で述べて書き置かせたが、広島でリトルボーイと呼ばれるウラン原爆を投下されても日本は白旗を立てて降伏せず長崎では9月9日にファットマンと呼ばれる爆縮プルトニュウム原爆が投下されたのだった。昨日はその裁判の判決で爆心地からの距離方向などの理由で被爆した人々をすべて救わなかったので意外だった。
fumio
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