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monologue
夜明けに向けて
 



1988年の頸椎損傷事故の模様を以下にコピー。
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1988年9月14日午後9時過ぎ、反原子力、窓からJRを臨む渋谷の稽古場で、原発ジプシーと呼ばれる役の若者たちが原子力博士役のわたしを何度も胴上げから放り投げた。
わたしは柔道の前方回転の要領で立ち上がり続けたのだが、それではなにか物足りなさを感じていたらしい舞台監督の演出家が、フィナーレの構想を練って、
わたしの身体が一番高く上がった時に電灯を消せば観客の目にその場面が焼き付いてフィナーレとしてふさわしいのではないかと思って試させたのである。
その劇は原発問題を扱った作品で演出家は、原発ジプシーと呼ばれる者たちに核シェルターを設計した博士が投げ捨てられる、というフィナーレの場面を構想して稽古によって煮詰めていた。
その瞬間、目の前にあるはずの床が見えなくなった。おそらくまわりにいたすべての人々も一時的に視覚を失っていたことだろう。
博士役のわたしを原発ジプシー役の若者たちは何度も胴上げから放り投げた。そのたびにわたしは回転受け身をして立ち上がった。演出家はもっと幕切れにふさわしい、観客の網膜に残像が焼き付く方法を思いついて試したのである。わたしが空中に舞っている頂点で、稽古場の電灯を消すように指示したのだ。猫なら突然、光を消してもうまく着地するかも知れないが私の場合は闇になった途端、さっきまでのまわりの景色が消え空中での位置感覚が失せた。残念ながら猫が空中で体を立て直すようにはゆかなかった。 額が床にぶつかったのだ。勢いよく落下した全体重を受けて平気なほど首の骨は強靭ではないらしい。灯かりをつけた人々が目にしたものは倒れたまま動かないわたしの姿だった。抱き起こされたとき気絶していなかったらしく。受け答えはできたが首から下が動かなかった.。
fumio





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わたしは宇宙磁気線としての第三ショック・ウエーブの台頭による頸椎損傷事故以来、☆の形としての本来の力が作動し始めてわたぼうし音楽祭という音楽コンテストで優勝して
以下のような地球人類救済プロジェクトに任ったのであった。
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第15回わたぼうし音楽祭優勝曲わかりあえる日までライヴパフォーマンス5:00
わかりあえる日まで飛騨ライヴ5:24
By the day we see eye to eye7:38
シンガポールで開催された第1回アジア太平洋わたぼうし楽祭 日本代表としてのパフォーマンス
ネヴァーギヴアップ! 5:31
a song called " Never give up!" performed on a stage日玉の国音楽祭にてのライヴパフォーマンス
まことの光4:15
                   飛騨地方での日玉の国音楽祭にて
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fumio


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至高の国アトランティスの生残者(いわゆるマスター達)、子孫達に伝える。宇宙磁気線としての第三ショック・ウエーブの台頭があり(時期は1988年)その後にジャイアント・ロック(北米インディアン・ホピ族の言い伝え通り)は四分化されるだろう。 ☆の形としての本来の力が作動を始めるので霊的な指導者達、つまり黄金のどくろを持つ者達は眉間より発する至高の波動(紫波)を送りなさい。
チチカカ、ハオアイ-メヒコ、イナワシロ、トウキョウ
ツルガミネ、アソ、ロスアンジェルス、サンホセ
アリゾナ-マグア、キスコウ、シャンガイ、ルツ

 時を告げる鳥は放たれた、そしてその使命を全うする。

 4分化された「巨岩」は、その4分化されたことの意味を知り、
 砂州に広がる忘却の都市に、その意味を刻印するだろう。

---ARION,O∴O---
宇宙磁気線としての第三ショック・ウエーブの台頭によりわたしは1988年9月14日午後9時、原発反対の舞台稽古中に首の骨を折る事故にあった。
そして、ホピ族の言い伝え通りジャイアントロックはフミオ、リツコ、ロミオ、ミユキに4分化された。
 「砂州に広がる忘却の都市」とは草加。
時を告げる鳥であるわたしは放たれて☆の形としての本来の力が作動し始めて地球救済に任ることになったのである。

fumio


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