monologue
夜明けに向けて
 




将棋といえばわたしは高槻の松下電子工業でカラーテレビのブラウン管を作っていた頃、そこの将棋クラブに入って顧問の中井捨吉七段の手ほどきを受けたのだった。その頃盛んだった職域団体戦、京都滋賀大会に松下Bチームで出場して優勝したのだった。それから米国留学した時、ロサンジェルスのリトルトーキョーのユニオン教会の地下で将棋大会が行われたので出場した。将棋大会のたびに出場していると将棋仲間となじみになって回り持ちの会長になったりした。そのうちに日米文化会館という施設ができて囲碁や将棋をできる場が備えられたのだった。
fumio

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