monologue
夜明けに向けて
 



東川口病院には1991年11月30日にも脳内出血で入院している。その脳の 手術後の回復期、「われは龍神なり、崇凰(すうおう)という名で勞(はたら)く」とわたしは宣言して大暴れして点滴に鎮静剤を入れられておとなしくさせられた。そんな記憶がある。
その時手術してくれた脳外科医藤原医師は脳出血で亡くなったと以前のことを知る事情通のヘルパー小口和代さんに聞いて愕然とした。わたしを救った命の恩人がわたしと同じ病いで亡くなっていたのである。偶然とは言い切れないなにかを感じた。合掌。
fumio

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