monologue
夜明けに向けて
 



60年代に、スリーファンキーズというアイドルグループのはしりのようなボーイグループが出てきた。メンバーは「長沢純、高橋元太郎、鎌田実(高倉一志、手塚しげお)など」で『浮気なスー(悲しき恋の物語)』(ディオン&ザ・ベルモンツのカバー)、『涙のムーディー・リバー』(パット・ブーンのカバー))などの海外のヒット曲を歌って人気があった。かれらが63年に『恋人は海の彼方に』という曲を歌いだした。その頃はまだ原曲が「マイ・ボニー」とは知らず「カムバック、カムバック」と歌うフレーズが耳に残って好きだった。そして64年ビートルズの米国進出から世界制覇が始まってそのきっかけが61年にドイツで、ビート・ブラザーズ名義のビートルズがトニー・シェリダンのバックで演奏して録音した My Bonnieのレコードだったことを知った。スリーファンキーズの『恋人は海の彼方に』と同じ曲なのに途中からロックアレンジされてすごい迫力だった。「カムバック、カムバック」という部分は本当は「ブリングバック、ブリングバック」だった。わたしはもちろんこのロックの部分を稽古した。するとまたクラスのバス旅行があってコーラス部の女生徒たちがコーラスのための歌詞集を印刷して配った。バスの中ではコーラス部の部長が音頭をとってフォークソングやロシア民謡などつぎつぎに歌っていた。女生徒たちはみんな楽しそうだった。わたしは冊子のページをめくってコーラス曲の中に「My Bonnie」がスコットランド民謡として歌詞がプリントされているのを見付けた。わたしが「My Bonnie」をリクエストすると部長はうれしそうにみんなに合図してゆったり歌いだした。わたしはマイクを廻してもらって待った。みんなのコーラスがひとしきり止まるのを。頃合いを見計らってわたしは立ち上がりビートルズを従えて歌うトニー・シェリダンのようにシャウトした。部長とコーラス部員たちはなにが起きたのだろうという顔で唖然としていた。その時コーラスバスはロックバスに変身していた。びっくりさせてごめんね…。
fumio

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