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monologue
夜明けに向けて
 



そして、わたしは1976年11月に渡米した。多くのバンド仲間が京都駅の新幹線ホームに見送りに来てくれたということだったがわたしと顔を合わせることがなかった。出発時間を間違えていてその時わたしはすでに出発したあとだったのである。手紙でそのことを知って悪いことをしたと思った。

 ケーゾウはベーシストとしてナベプロに入って働いた。渡米後もかれとは手紙での交流が続いていてかれの好きなジャズのアーティストの新譜の評などで盛り上がった。

  そのうちケーゾウからカリフォルニアで行われるジャズフェスティバルに出場する話題の超絶ベーシスト、ジャコ・パストリアスを見に来ると手紙が来て、なにか欲しい物があればアメリカまで運んでやるという。それでその頃発売されたばかりのヤマハのミュージックコンピューターを頼んだのである。

 ひさしぶりに会ったケーゾウは口ヒゲを生やしていてずいぶん大人になっていた。ジャムセッションをするとチョッパーなど色々な奏法を採り入れ腕を上げていた。その頃わたしが取り組んでいた「サムライ達は今」 のベースを弾いてもらってレコーディングしたりした。

 ジャズフェスティバルに出かけてジャコ・パストリアスを見たケーゾウはジャコのベースはすごい、すごい、と感心しまくっていた。かれは幸運だった。ジャコの生ける勇姿をその眼に焼き付けることができたのだから。ケーゾウをそれほど感動させたジャコ・パストリアスは「ミッドナイト・ボトルクラブ」という店で警備員リュック・ヘイヴァンに投げ飛ばされ脳挫傷による意識不明の植物状態となって親族の決定により人工呼吸器が外され、1987年9月21日、21時25分、35才の若さでこの世を去って伝説になってしまったのである。合掌…。
fumio


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