ボブ・キーン(Bob Keane) 本名 Robert Kuhnは1922年1月5日、カリフォルニア州ロサンジェルス市マンハッタン・ビーチで生まれた。 成長するとボブはクラリネット・プレーヤーとなり敬愛するベニー・グッドマンのようにビッグバンドを作り演奏した。1938年にグレンデール・ジュニア・カレッジで17才のとき、最初のショーを開いた。地元ロサンジェルスのラジオ局「KFWB」がキャンセルされたショーの代わりとしてそれを放送した。翌日それを聴いたMCAレコードのエージェントの電話を受けて世界一若いバンドリーダーとして契約したのである。MCAはかれが移籍したがっていると感じてキーンを1941年にレーベルから外した。かれは空軍に入ったが肺の疾患で現役を退いた。そしてロサンジェルスに戻りいくらかのバンドでクラリネットを吹いた。1950年かれは新ラジオ番組 Hank McCune Show」の指揮者としての仕事を受けた。そのときアナウンサーが名前の「Kuhn」を「Coon」のように発音するのでキーンにしたのである。
1955年までキーンはバンドやクラブでクラリネットをプレイしていたがある夜ジョン・シアマス(John Siamas)という航空業界ビジネスマンに会った。ボブをタレントスカウト育成楽曲制作担当として「Keen Records(West Third Street・西ロサンジェルス)」というレコードレーベルを立ち上げたいというのである。
1958年、キーンはPacoimaの映画館の土曜昼演奏するリッチー・ヴァレンス
(Richard Steven Valenzuela)。Ritchie Valens)を見いだした。キーンは自分の地下室の小さなスタジオのオーデションにリッチーを招待して正式契約を交わし二人は数時間地下スタジオで数曲練り上げた。キーンはマネージャーとプロデユーサー役を務めリッチーを売り出したが"Come On Let's Go"やDonna と La Bambaの両面がスマッシュヒットしたあとリッチーは1959年2月3日、ツアー中同乗していたバディ・ホリー、ビッグ・ボッパーもともに飛行機事故に遭って17才で死亡した。
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