monologue
夜明けに向けて
 



 『三国志、魏志倭人伝、東夷の条』原文、
「其國本亦以男子爲王、漢霊帝光和中 住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年。乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼、事鬼道、能惑衆、自謂、年已長大、無夫壻、有男弟佐治國。自爲王以來、少有見者、以婢千人自侍、唯有男子一人給飮食、傳辭出入。」 

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 「このあいだみたいにそんな言い方でわたしをあおって乗せようというのか。いつもながら稚拙なやり方だね。いい脚本が書けないわけさ。わたしに無理かどうか自分でもわからないけれどヒミコの本名には興味があるので一緒に推理してみようか…。六さん、上の文章はヒミコの記事が掲載された魏志倭人伝の原文で意訳すれば、
『その国はもともとは男性が王であった。漢の霊帝の光和年間(一七八~一八三)、今をさること七八十年前に倭の国は戦乱状態におちいって何年もの間互いに攻めあった。それでは治まらないので一緒に女性の王を立てることにした。その名をヒミコという。かの女は鬼道(シャーマン)を事(つか)って人々を惑わせた。すでに老齢に達しながら夫はなく弟がいて国政をたすけた。王になって以来、その姿を見る者は少なく千人の召使いに仕えられ、たったひとりの男性だけが食事の世話に出入りしてそのことばを伝えた。』ということになる。ヒミコは当て字によって卑彌呼と記されているが、本来は日霎(霊女ルメ)でその霊女(巫女)としての能力によって政治を行ったのだったね。」
「霎(ルメ)ってむづかしい字ですね。霎(ルメ)さんだったのかも知れない。ルミという名前は多いし考えられますね。ご隠居さん」

 「まあ、そうあせらずに進もう。急いてはことをし損じる。かの女はのちにアマテラスとして祭られたのだったね。その諡(おくりな)から横顔をみようか。
兵庫県西宮市大社町7-7の旧官幣大社 、攝津國武庫郡、廣田神社にはかの女を天照大御神荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)という諡で祀ってある。この諡に『天照大御神』とされる前の本当の姿が語られているはずさ。」
 「撞賢木厳御魂天疎向津毘売尊(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)とある。撞(つき)というのは霊がツクことを表すから巫女にふさわしいね。賢木(榊)はヒミコ以来神事に用いられるようになったといわれる木。厳御魂は普通は男性の魂のことだが大本教の開祖出口ナオも厳御魂であったように女性でありながら男性的な魂の持ち主であったらしいことがわかる。」
「ふむふむ、脚本を書く時のキャラクター作りの参考になりますね。撞賢木厳之御魂天疎向津媛命の中に本名は含まれているのでしょうかね。ツキちゃん、サカちゃん、ムカちゃんなんかどうでしょうか。」
「天疎はスサノオの諡の神祖に対応して天祖としたいところだったようだがそれでは虚飾が過ぎるので無難に疎にして、盛(さかる)の意味を込めようとしたらしい。向津毘売は日向のヒメを表している。この諡全体でいえることはやはり彼女がシャーマンであったことだろうさ。彼女自身が神なのではなく、日の神の光を反射して光る存在であったから撞、すなわち月だった。月ではあってもツキヨミのように神そのものではなくすでに神あがりした偉大な霊の憑代(よりしろ)となって神託を下ろす女性だったんだろう。そのヒミコは二四七年に九十三歳ほどで亡くなった。うーむ、わたしにはまだ本名らしきものは見当たらないね」
fumio

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