monologue
夜明けに向けて
 




昨日、ニュー・ジャージーに在住する親友、上田好久、ヨシさんになぜか電話しなければいけない気になって電話するとかれの仕事の同僚が出た。
すると8月8日にヨシさんは逝去したという。驚いた。
昨年5月、肺の病気で体調が悪くなり入院後、入退院を繰り返し2週間前頃再入院したそうだ。毎年、正月には電話をくれたのに今年はなかったので不審だった。そのころ入院中だったのだ。
 上田好久とはロサンジェルスの英語学校で出会い仲良くなり、わたしたち夫婦の結婚に立ち会ってもらったりいつも交流した。かれは料理や食品関係に進みインドに行って帰米後ニュー・ジャージーに移り住んで整体や 日本食品関連の仕事に就いた。
そして1989年のある日、上田好久から電話があって、わたしが、前年1988年9月14日に芝居の稽古中、首の骨を折り不自由な身体になったことを話すと「なんでフミが…、」と号泣しはじめた。いくら待っても泣き叫ぶ声は止まず話しができなかった。しかたなく電話を切るとそれでもかかってきてまた泣きじゃくる。あきれてついには電話をとらないでおいた。
それからわたしは平成七(1995年)年十一月十一日に連載を始めた「炎で書いた物語」をすべてプリントしてニュー・ジャージーに送った。最近の交流はハガキや正月の挨拶電話程度だったけれどいつかふたたび会える日を楽しみにしていた。ヨシさん、ニュー・ジャージーに電話するようにし向けてくれてありがとう。向こうにいてもゆっくり眠っていられないと思うよ。ともに夜明けに働くのだから。
fumio



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