ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

柔らかい心

2016-11-25 18:12:31 | 雑感
最近、ぼんやり考えていることだけれど
歳をとるにつれて、心が固くなる人が多い気がする。

自分のやり方を確立して、人の見方も固まってしまって、
その枠組みにこだわり、枠外の事柄を受け付けなくなる。

世界に自分の枠組みをはめてしまって、
枠組みの外を見ようとしない。

私も、このブログで、
「こういう人には要注意」等々、
自分なりの法則を打ち立てようとしている。
法則を持っていた方が、予想外の出来事に振り回されなくて済む。
傷付かなくて済むし、無駄なエネルギーを消費しなくて済む。

でも、そうやって、自分の流儀が固まってしまうと、
(知らないうちに)視野も狭くなって、
新しい価値との出会いを、自ら削ぎ落としているかもしれない。

そこで、柔らかい心とはどういうものか、考えてみた。

私は、一つは、他者の視点に立てることだと思う。

自分の視点から少し離れてみて、
自分とは違う、他者の気持ちになって物を見ようとする力だと思う。

この力を失ってしまうと、心がしなやかさを失い、固化してくるのだと思う。

歳をとっても、柔らかい心のままでいるのは、難しいことだ。
他者の視点を受け入れると、自分が信じているものが、曖昧になるように感じる。
自分を確立しながら、他者の視点にも開かれた態度をとるのは、
矛盾することのようにも思える。

でも、私は、固い心より、
柔らかい心でいたい。
迷いの多い人生になるかもしれないけれど、
新しいものを受け止められる心でいよう。



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抱負

2016-11-18 09:52:45 | お勉強
何年か前に小川洋子さんの「博士の愛した数式」を読み終わったときに、
 ああ、いい話だったな、
 でも、こんないい人たち、実際に世の中にはいないよ。
 厳しい世の中では淘汰されて死に絶えちゃうよ。
・・・と思った。

で、別の機会に、フランクルの「夜と霧」を読んだときに、
(第二次世界大戦時のユダヤ人の強制収容所の実態を書いた話なんだけど)
「強制収容所を生き延びた人たちは、
(自分を含めて)、何かしらずるい取引をしている。」
というくだりがあった。

賄賂を使ったり、刑務官のご機嫌をとったり、密告して仲間を売ったり、
ともかくガス室行きを免れるために、何でもやった。
そして、別の誰かが代わりに、ガス室送りになったのだという。

そして私が衝撃を受けたのは、
 いい人たちは、誰も戻ってこなかった。
という一文だった。

 いい人たちは、誰も戻ってこなかった・・・。

その後、また別の機会に、小川洋子さんのインタビュー記事をたまたま目にした。
小川さんも、私と同じ、この一文に、衝撃を受けたという。

そして、自分は、この戻ってこなかった人たちを、
小説に書こうと思ったそうだ。

私はこの記事を読んで合点がいった。
 こんないい人たちは、淘汰されちゃうよ
と思った自分の感想は、正しかったのだ。

その後、小川さんの作品をいくつか読んだけれど、
やっぱり、実際の世の中では淘汰されそうな、儚く優しい人たちが出てくる。
そして、人知れず、残酷な死に方をすることがある。
でも、その人を真摯に悼んでくれる人が、必ず一人はいるのだ。

で、私は・・・。
そういう、いい人たちが挫けそうになったときに、
彼らを応援できるカウンセラーになりたい。
いい人たちの、心の防波堤になりたい。

・・・という訳で、今もまだ勉強を続けています。


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キジバト

2016-11-04 13:13:46 | 雑感
最近、またキジバトが我が家の庭に遊びに来るようになったのだけれど、
どうやら以前の個体とは違うようで、
私がちょっと顔を出すだけで、バタバタと慌ただしく逃げて行ってしまう。

以前、来ていたキジバトは、私が顔を出すと
「餌くれ」と言わんばかりに近付いてきた。
それがまた可愛かったのだが、
今回のキジバトは慣れるのに時間がかかりそうだ。

カーテンの間からこっそり姿を見ていても
視線に気付くや否や、バタバタバタ・・・である。

もしかしたら、このキジバトは、一生、
私が餌を撒いていたことに気が付かないかもしれない。
私がカーテンの間からのぞいていたのは、
キジバトを捕まえて蒸し焼きにするためではなく、
ただその愛らしい姿を見て心を温めたいからだということも・・・。

きっと、短い一生を終え、お空に戻ったときに、
ああ、あの小さい家にいたのは、怖いオバサンではなく、
自分を大切に思っていてくれた優しい女神様だったのだと分かることだろう。

キジバトは小さい頭で生まれたから、
この世にいる間は、それが分からないのだ。

これは、もしかしたら、人間にも当てはまるかもしれない。

辛いことの多い人生。
でも、もしかしたら、自分の感知しえないところで、
優しい神様の手が差し伸べられているのかもしれない。

本当は、何も心配することなんて、ないのかもしれない。

小さい頭で生まれたから、それが分からないのだ。



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