最近、ぼんやり考えていることだけれど
歳をとるにつれて、心が固くなる人が多い気がする。
自分のやり方を確立して、人の見方も固まってしまって、
その枠組みにこだわり、枠外の事柄を受け付けなくなる。
世界に自分の枠組みをはめてしまって、
枠組みの外を見ようとしない。
私も、このブログで、
「こういう人には要注意」等々、
自分なりの法則を打ち立てようとしている。
法則を持っていた方が、予想外の出来事に振り回されなくて済む。
傷付かなくて済むし、無駄なエネルギーを消費しなくて済む。
でも、そうやって、自分の流儀が固まってしまうと、
(知らないうちに)視野も狭くなって、
新しい価値との出会いを、自ら削ぎ落としているかもしれない。
そこで、柔らかい心とはどういうものか、考えてみた。
私は、一つは、他者の視点に立てることだと思う。
自分の視点から少し離れてみて、
自分とは違う、他者の気持ちになって物を見ようとする力だと思う。
この力を失ってしまうと、心がしなやかさを失い、固化してくるのだと思う。
歳をとっても、柔らかい心のままでいるのは、難しいことだ。
他者の視点を受け入れると、自分が信じているものが、曖昧になるように感じる。
自分を確立しながら、他者の視点にも開かれた態度をとるのは、
矛盾することのようにも思える。
でも、私は、固い心より、
柔らかい心でいたい。
迷いの多い人生になるかもしれないけれど、
新しいものを受け止められる心でいよう。
歳をとるにつれて、心が固くなる人が多い気がする。
自分のやり方を確立して、人の見方も固まってしまって、
その枠組みにこだわり、枠外の事柄を受け付けなくなる。
世界に自分の枠組みをはめてしまって、
枠組みの外を見ようとしない。
私も、このブログで、
「こういう人には要注意」等々、
自分なりの法則を打ち立てようとしている。
法則を持っていた方が、予想外の出来事に振り回されなくて済む。
傷付かなくて済むし、無駄なエネルギーを消費しなくて済む。
でも、そうやって、自分の流儀が固まってしまうと、
(知らないうちに)視野も狭くなって、
新しい価値との出会いを、自ら削ぎ落としているかもしれない。
そこで、柔らかい心とはどういうものか、考えてみた。
私は、一つは、他者の視点に立てることだと思う。
自分の視点から少し離れてみて、
自分とは違う、他者の気持ちになって物を見ようとする力だと思う。
この力を失ってしまうと、心がしなやかさを失い、固化してくるのだと思う。
歳をとっても、柔らかい心のままでいるのは、難しいことだ。
他者の視点を受け入れると、自分が信じているものが、曖昧になるように感じる。
自分を確立しながら、他者の視点にも開かれた態度をとるのは、
矛盾することのようにも思える。
でも、私は、固い心より、
柔らかい心でいたい。
迷いの多い人生になるかもしれないけれど、
新しいものを受け止められる心でいよう。