ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

飲み会が苦手な理由

2018-03-19 13:31:00 | 雑感
先日の記事で、Facebookのいいね!が少なくて凹んでいるエピソードを書いたが、
何も手を打っていない訳ではない。
友達の数が少ないのは、社交的な活動が少ないことの表れでもあると思い
今まで出ていなかった飲み会にも、できるだけ参加することにした。

で、昨日、久し振りに飲み会に出席したのだが、
冒頭から、私は馴染みのある、居心地の悪さに包まれた。
そして私は思い出した。
この居心地の悪さが嫌で、私は飲み会を避けてきたのだった。

その居心地の悪さを説明してみよう。

人によって、飲み会が苦手な理由は様々にあるだろうが、
私の場合、それは、自分の存在をしっかりと感じられない、
危うさ、心細さ、寂しさが嫌いなのだ。

飲み会は大抵、賑やかな場所で行われるから、
一人の発言に十分な注意が払われることは少ない。
皆、色々な刺激にさらされているから、
集中力が散漫になりがちだ。

静かな場所で、一対一で話していれば、
しっかり聞いてもらえることでも、
飲み会の席だと、聞いてもらえないことが多い。
声が小さくて届かなかったり、別の会話に気を取られてしまったり、
他の人が会話に割り込んで来たり。

そうして、自分の発言が宙に浮いてしまう。

また、仮に聞いてもらえたとしても、
相手がその話にあまり関心がないと、
内容を覚えてもらえないし、話題が変えられてしまう。

そういう、雑なコミュニケーションが少しずつ積み重なって、
弱い私は傷付き、疲れてしまう。
人が大勢いるはずなのに、
孤独を感じてしまう。

私はもっと、自分が大切に扱われる場で、
自分の気持ちを真剣に聞いてもらいたいんだと思う。

大切にされたい。
個人として、尊重されたい。
十分な注意を払って欲しい。

これに尽きる。

飲み会が好きな人は、あのエネルギー溢れる、賑やかな雰囲気が好きなんだろうか。
私は少数で静かに語り合う方が好きだ。

でも、その「少数で静かに語り合う」相手を見つけるために、
飲み会は、いい出会いの場であるかもしれないとも思う。

細かいことに、いちいち傷付かずに、
飲み会が楽しめるようになるといいのだが。



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あなたの特別な人

2018-03-15 11:05:21 | 雑感
しばらくこのブログをご無沙汰してしまった理由の一つに、
Facebookを始め、その利用に捕われてしまったことがある。

今まで手を出さなかったFacebookを始めた理由は、
(→「私がFacebookをやらない理由」)
カウンセラーとして開業したときの広告手段になると思ったから。
要は、下心があって始めた訳だ。

案の定、Facebookは私の心を大いにかき乱してくれた。
一言で言うと、その人の対人魅力が露骨に晒されてしまう点だ。
友達の数に始まり、いいねの数や、コメントの数。
人気者とそうでない者の差は歴然としている。

人気者には、やっぱり多くの友達がいて、タイムラインも賑やかだ。
その逆もしかり。

Facebookでの友達の数やいいねの数は、
その人が、これまでの人生で、どのような人間関係を築いてきたかを表している。
私の友達やいいねの数が少ないのは、
私が長いこと、内にこもる生活を続けてきたからだ。
Facebookは正直だ。

でも、友達の多い交友関係が理想的で、皆が皆、そのスタイルを目指すべきかというと、
そうとは言い切れないと思う。

私には、中学生のころ、お互いの家に泊まりあうほど、親密に付き合っていた友達がいた。
でも、成長するにつれ、彼女が私への関心を失い、離れていってしまった人がいる。
彼女に対して感じる劣等感は、これまでも何度か記事にしてきた。
(→「誰とでも仲良くなれる人」「ひだまり」)

そして、その彼女に友達申請をしたところ、何度か申請した後にようやく気付いて承認してもらえたのだが、
(ここのところで既に傷付く…昔は仲が良かったのに)
彼女には大勢の友達がいて、どうということのない日常的な投稿に、
100も200も「いいね!」がついていた。
コメント欄も賑わっていて、彼女がどれだけ多くの人に愛されているかがよく分かった。

私も始めは彼女の投稿に頑張って「いいね!」をつけていたのだが、
100も200もいる、彼女の友達の渦に自分が埋もれている気がして、
彼女の投稿を見るのが辛くなり、彼女をこっそりフォローから外した。

そして、私は気付いた。

私は、彼女の大勢いる友達の一人ではなくて、
彼女の特別な人になりたかったのだ。

私にとって、自分の友達が人気者かどうかは全く関係がなくて、
私にとっても、その友達にとっても、
お互いが特別な存在でいられる、
そんな関係が欲しかったのだ。

私が本当に欲しいのは、お互いがお互いを特別な存在として認め合える、
親密な関係だということに気付いた。
広く浅い交友関係ではなく、
狭くても、深い絆が欲しかったのだ。

そういう自分のあり方を、自分でもっと認められるようになりたいと思う。





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