ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

さようならユニクロ

2014-05-27 18:43:07 | 雑感
蒸し暑くなってきたし、
通勤用に無地のポロシャツを買おうと思って
近くのユニクロに行きました。

色々な色をそろえるぞーと楽しみにしていたのですが
何だか色が皆、くすんでいるような・・・
襟の辺りもヨレっとしていて
何度も洗濯してくたびれた生地みたい。

昔は色ももっときれいだったし
生地もしっかりしていたと思うんだけど
気のせいかな?

いや違うな!
明らかに質が悪くなっている。

この前買った白シャツも、
何だか安っぽい仕上がりでがっかりしたし
無地のTシャツも
家で着るにも買いたくないほど
色がくすんでいて
着たら気分が落ち込んでしまいそう。

昔は綺麗な黄色とかピンクとかブルーとか
商品棚がカラーパレットみたいで
見ているだけでウキウキしたんだけどなあ。
今のは、色が綺麗に出ていないんだよ。

うーん、柳井さんよ。
最高益更新とか、世界進出とか、
野望を抱くのはいいけどさ。

「よいものを作って、
お客さんに喜んでもらう」

この基本をおろそかにしていると、
客は足元から離れていくと思うよ。

私もそろそろユニクロにばかり頼るのは
やめようと思います。
リーズナブルで品質がいいものを
ほかにも探してみよう。


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I'm the catcher in the rye

2014-05-15 19:44:14 | 雑感
私の今の仕事は、小学校での補助事務です。
手が足りない先生のお手伝いをすることもあります。

私は、本当のことをいうと、
子供が少し苦手です。
決して嫌いではないのですが
彼らが剥き出しの、強い感情をぶつけてくると
大人げなくも、たじろいでしまいます。

そんな私が、この仕事を始めるにあたり、
イメージしていたことがあります。

これまでの経験からして、
私が子供の人気者になることはないだろう。
子供の中に混じって遊ぶのもしんどい。
では、どういうスタンスでいけばいいか?

「明日、ママがいない」というドラマがありましたが
そこに「ロッカー」と呼ばれる青年が出てきました。

「ロッカー」は、滅多に口をききません。
暗く、いつも部屋の隅っこにいて、
ちょっと不気味な感じです。
でも、実は、子供達のことを、
黙ってじっと、見守ってくれていて、
いざというときには、力いっぱい、助けてくれます。

私はこの「ロッカー」のような立ち位置で行こうと思いました(笑)。

で、予想通り、子供達と接するのも、
おっかなびっくりな私。
とても子供好きには見えないし、
当然、人気もなく・・・。

今日も、子供たちが嬌声をあげて遊んでいるのを、
遠くからぼんやり眺めていました。

そして、ふと思い出しました。

「ライ麦畑でつかまえて」という小説で、
主人公が、理想の人物像を語るシーンがあります。

その理想の人物像は、たとえ話なのですが、
ライ麦畑にいて、子供たちが無邪気にそこで遊ぶのを、
じっと見ているだけ。
でも、実は、そのライ麦畑は、途中から断崖絶壁になっている。
その人は、崖のふちに立っていて、
子供たちが崖から転落することのないように、
見守っているのだ・・・
という内容だったと思います。

私は、今、ライ麦畑にいて、
子供たちを見守っている。
私は、catcher in the rye なんだ。

そう思ったら、少し、自分を認めることができたのでした。


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あせらない、あせらない

2014-05-15 18:39:22 | 仕事
今は子供に囲まれた環境で仕事をしていますが
(子なしなのにおかしな境遇です)
子供相手の仕事は、
神経質なタチの私には合わないように感じています。

小さなことで、いちいち傷付いてしまうのです。

子供たちに大人気の、K先生という先生がいます。
この先生、私と同じく、4月からの勤務です。
まだ1か月経ったばかりなのに、
既に大人気で、子供たちの間で
ひっぱりだこなのです。

今日はそのK先生と、たまたま登校時刻が重なりました。
K先生のところには、子供がたわわにぶらさがっていたのに、
私は誰にも声をかけられず、一人でスタスタとさみしく登校。
その差は歴然
(きっと誰も気にしていないと思うけど
私は傷付く)。

この登校時刻も曲者で、
子供達の登校時刻と重なっています。
通学路をずらずらと、子供達と一緒に歩くことになるんです。

これがまた面倒くさい。
子供達に、私から挨拶するのが、とても神経を使います。
私の声が小さいのか、挨拶しても、
返事が返ってこないことが多いのです。
このことにいちいち、傷付いてしまいます。

(ただ、このことについては、今日、
自宅近くの横断歩道で、
子供たちを誘導している交通員さんを観察していて
気付きました。
交通員さんは必ず「おはようございます」と子供達に挨拶していますが
子供達はおしゃべりに夢中で、
ほとんどの子が、挨拶を返していないのです。
こういうものなのかなと思いました。)

遠回りになるけれど、
子供達とは違う道で登校しようかなと思い始めています。

ああ、そういえば、高校生のときも、
賑やかな通学路を気を使いながら歩くのが嫌で、
皆とは違う、静かな道を、
一人寂しく歩いていたな。

性格って、本当に変わらない。

学校の先生は、皆、外向的で器が大きく、
進んでリーダーシップをとるのが好きな人が多いように見えます。
人目を避けて通学していた私のような人は、
先生にはならないんです。

私は教員を目指している訳ではありませんが、
向いていない職場かもしれません。

先生方は、皆、親切ですが
友達のように親しくできる人は、
まだ、いません。

でも、私は、この事態は、時間をかけて、
少しずつ変わっていく可能性があると思っています。

なぜそういえるかというと、
過去2年間の塾勤めで、それが分かったからです。

最初の年は、親しい人もできず、
子供達も全くなつきませんでした。

でも、2年も経つと、自然に親しい人もでき、
子供達も、心を開いて話しかけてくるようになりました。

状況がゆっくり、変わっていったんです。
果実が熟すように、ゆっくりと。

特に私は、環境に適応するのに、
人より時間がかかるタイプなのかもしれません。
「合わない」という結論を出すのは、
きっとまだ早いのです。

何年勤められるか分かりませんが、
この仕事が私にとっての実を結ぶまで、
ゆっくり、あせらず、楽しみに待っていようと思います。


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心を整える

2014-05-15 18:16:39 | 雑感
「心を整える」という題名の長谷部選手の本、
ありましたね。
でも、今日はその話ではなく
私自身の話です・・・。

私は今、通信制の大学で細々と教育の勉強をしていて、
教育学の古典と呼ばれるルソーの「エミール」という本を
少しずつ読んでいます。

古い本なので、大半は眠いのですが
たまに面白いことが書いてあります。

人間の苦しみの大半は想像から生まれる、という一節がありました。

ある男の人がいて、心身ともに健康であり、
機嫌よく過ごしている。
ところが、ある日、一通の手紙が彼に届く。
彼がそれを読むと、たちまち彼は苦しみにとらわれ、
のたうちまわり、最後には気を失って倒れる。

紙切れ一枚が、一体、彼になにをしたというのだ?
手足をもぎとったというのか?
愚かな人よ。

・・・というような内容だったと思います。

物理的な苦しみではなく、
頭の中の想像を膨らませて苦しんでいる、という趣旨だと思います。

私も、ともすると、嫌なことを頭の中で膨らませて、
その考えにとりつかれたようになり、
自分で自分を苦しめてしまうことが多いです。

幸い、体は健康なのに、
想像で苦しんで不幸せな時間を過ごすなんて、
愚かなことです。

考えたところで事態は好転しないのだから、
なるべく、嫌なことは考えないようにしました。
嫌なことで心が支配されそうになると、
「心を整える、整える」と唱えて、
悪い考えを撃退するように努力しています。

同じような記事は、以前にも書いたような気がしますが
最近、心がけていることなので
また書いてしまいました。


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お洒落がしたくなった・・・

2014-05-11 14:50:18 | 雑感
今日は知人が開いた作品展に行ってきました。

美大関係者が多いせいか、
皆、着こなしがお洒落でした。
やっぱり、美意識が高いんですね。

私は普段着の延長のような服
(ベースはユニクロ・・・)で行ったのですが
やはり、見劣りするように感じました。

美意識の不足を晒してしまったようで
恥ずかしかったです。
また、いい歳をして貧相な格好をしている自分が
かわいそうになりました。

私はこの歳まで、お洒落に興味を持ったことがありませんでした。
持たないというより、持てなかったのです。

人のせいにするのは卑怯かもしれませんが
私は母親の影響が大きいと思っています。

私は小さいころからずっと、
母親に「ブス」と言われて育ちました。

母親は美人で、
自分の存在価値の重点を
その美貌においている人でした。
また、人を美醜で判断していました。

「あなたの友達、ひっどいブスね!!」
「あなたの先生、あまりにブスで笑いそうになっちゃった!!」

私はこれらの言葉を聞くたびに
心が氷の刃で突き刺されるように感じました。
友達も先生も、私にとって大切な人だったから。

また、私が鏡の前で髪をとかしていると、
必ず母が横にやってきて、一緒に鏡に映って、
自信たっぷりに「私の方が綺麗」
と言いました。

初デートの日に精一杯のお洒落をしていたら
「ブスのくせに!」と
吐き捨てるように言われました。
(これはほんと、今でも許せない

私は、お洒落ができる人は
多かれ少なかれ、自分に自信があるのだと思います。
自分に自信がないと、
お洒落って、できないんですよ。
しても無駄って、思ってしまうんで。

母親の悪口はこのくらいにして。
(今日は母の日だった・・・)
いつまでも母親の呪縛に
囚われているわけにもいきません。

そんな私も、自分の力でささやかな幸せをつかみ、
少しずつ、自分に自信が持てるようになってきました。

自分を大切にするために、
自分の心が楽しくなるような
お洒落をしてみようかな。

そう思って、久しぶりに
女性誌を買ってきました。

これまでお洒落を怠ってきたツケは大きいかもしれないけど
逆に考えれば、
綺麗になれる伸びしろは大きいってことだよね。

お洒落したいな・・・
綺麗になりたいな・・・

この気持ちを大切にしたい。


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