ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

職場の嫌な人 2

2024-06-29 12:34:23 | 仕事
(前の記事はこちら → 職場の嫌な人

今の職場に嫌な人がいて、かなりのストレスになっている。

ただ、こういうことはどこの職場でもあった。
そして、そういう人は、大抵、他の人にも嫌われている。

人と話をすると、よくこういう困った人の話が出てくるから、
どうやら社会には、かなりの高確率で、厄介者が散らばっているようである。

組織や集団には、たいてい、困った人がいるけれど、
その人を排斥することは色々な理由でできないので、
皆、我慢をして、うまくやり過ごしながら、
自分の持ち場を守っているのではないかと思う。

組織や集団は、そういう困った人を内包しながら、
きしみつつも何とか機能していく。
社会とはそういうものだと、諦めるしかなさそうだ。

嫌な人とはなるべく接触を少なくして、
あからさまな衝突を避け、
表向きは穏やかに、やり過ごすしかない。
多くの人は皆、そうしているのだから。

その分、プライベートを充実させて楽しもうと思う。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 二人暮らしへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

視野が狭い?

2024-05-27 08:00:13 | 仕事
私は昨年からカウンセリングの個別指導を受けているのだが
先日、その先生からやんわりと「視野が狭い」とご指摘を受けた。

自分ではあまりその自覚がなかったので
(割と色々なこと考えている方だと思うし…)
どういうことなのか考えてみた。
最近、老眼で近くのものが見えにくくなっているというのはあるが、
そういうことではないのだろう。

夫に「視野が狭いと言われた」と打ち明けたら
「俺も常々そう思ってた!!」と鬼の首を取ったように言われ、極めて不快であった。

結論は出た。私の視野は断じて狭くない!!!

ではなぜそう思われてしまうのか。
(←気にしている)

夫との会話を思い浮かべると、
私は自分の気持ちをどのように言葉に表現できるかに意を砕く。
その時々に生まれた感情を、できるだけ適切な言葉を選んで的確に伝えようとする。

それに対し、夫は、知識で答えようとしてくる。
社会的な動きとか、偉い人がどのように言っていたとか。
私は、(そういうことじゃないんだよ…)と思う。
そんなことこっちだって知っとるわ。
私が伝えたいのは、私の個別的な経験で、私がどう感じたかということ。
私だけの、唯一無二の貴重な体験を伝えたいだけで、
普遍的な理論や知識は(とりあえずは)どうでもいいのだ。

先日、NHKの「100分de名著」のフロイトの回を見ていた際、
患者が夢の途中で目が覚めた理由について、
フロイトとラカンが抽象的な理論を延々と続けている場面があった。
私は、頭の良い二人が議論に熱中すればするほど、
患者が置いてきぼりになっているように感じ、興味が削がれた。

このときの感覚に似ている。

私としては、私の個別的な経験について、
夫自身がどう感じたかの感想を聞きたいのだ。
夫が私の話をどのように受け止め、夫の心にどのようなさざなみを立てたのか、
夫の個別的な体験を返して欲しいのである。

夫や先生にしてみれば、私の個別的な経験には興味がなく、
一般的に通用する知識や理論の方を扱いたいのだろう。

そうだとしたら、今後、私が夫や先生と話をするときは、
私の個別的な思いや考えだけを話すのではなく、
一般的な知識や理論に昇華させて話をすればよいのであろう。
そうすれば、「視野が狭い」という評価を受けることはなくなるのであろう。

私は、人の生きた個別的な経験の中にこそ、
普遍的な真実が潜んでいると考えているので、
(文学が廃れないのはそのせいだ)
自分の気持ちや感情も、できるだけ正直に言葉に乗せて伝えようとしてきたけど、
それがそんなに低い評価を受けてしまうなら、
振る舞い方は再考しないといけないね。

私は、目の前で起きている生きたドラマに興味を持たず、
人工的で乾いた議論を賢しげにしている人達の方が
頓珍漢だと思うけどなあ…

喋る文法や言語の違いみたいなものかな。

私の「視野が狭い」なら、私に言わせれば、
夫や先生のような人達は、
遠くばかりで近くが見えない「老眼」だね。

フッフッフ…
言ってやったぜ!!!
(このくらいにしておこう…)

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 二人暮らしへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミッキーの中の人

2024-04-21 11:50:10 | 仕事
もうずいぶん昔の話になるが、ディズニーランドに行った際、
「ミッキーの家」のようなアトラクションがあった。
小さな部屋で、短い時間、ミッキーと過ごすことができるのだ。

行列に並んで待っていると、私の番がやってきた。
ミッキーは手を振って私を部屋に迎え入れてくれて、
腕を組んで私と一緒に写真を撮ってくれた。

そのとき、私はミッキーの腕がとても細いことに気付き、
ミッキーの中の人が、女性であることが分かった。

数分経つと、係の人が「時間です」のようなことを言い、
私は、部屋の外に出るように誘導された。
私はミッキーに背を向けて、部屋の隅の出口の扉のところまで歩いて行った。
そのまま扉の外に出ればよかったのだが、名残惜しかった私は、
ミッキーをもう一度見たくて、扉の前で振り返った。
私は、きっとミッキーは、次に入ってきた人をもてなしているのだろうと思った。

すると、驚いたことに、ミッキーも私の方をじっと見ていて、
私に向かって、笑顔で(被り物だけど…)一生懸命、手を振ってくれた。
私は胸が熱くなった。
私も笑顔でミッキーに手を振りながら、外に出て、そっと扉を閉めた。

私は、ミッキーの、正確に言えばミッキーの中の女性が示してくれた優しさが、
とても嬉しかった。

私は、ミッキーの中の女性が、優しいミッキーを演じてくれたことに、
今でもとても感謝している。
私はその女性の顔も名前も知らないけれど、
その人が示してくれた優しさは、今でも私の記憶に残り続けている。

******
蛇足になるが、私はカウンセリングが終わった後、
学生さんが相談室を出るまで、扉の前に立って見送ることにしている。

学生さんが振り返ったときに、笑顔でそこにいたいからである。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 二人暮らしへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感謝の気持ちを伝えること

2024-04-14 12:34:12 | 仕事
学生さんたちのほとんどが、悩みをひとしきり話すと
それからぷっつりと相談室には来なくなるのですが
夏頃に少し話をしていた学生さんが、春になって、
お菓子を持って相談室にやってきたことがありました。

辛いときに話を聞いてくれたことが嬉しくて、
無事に卒業できたことを報告したいと思ったそうです。

その学生さんの気持ちに、私はとても感動しました。
今でもその学生さんの笑顔を思い浮かべると、とても幸せな気持ちになります。

この話を喜んで夫に報告したところ、こう言われました。
「その学生さんもきっと、感謝の気持ちを、
そういう形で伝えられたことがあったんだろうね。
それが嬉しかったから、自分も感謝の気持ちを、
同じ形でミジンコに伝えようと思ったんだね。」

私は、必ずしも感謝の言葉が欲しくて仕事をしている訳ではありませんが
(その人が幸せになればいいと思って仕事をしているつもりではある)、
「ありがとう」と言われると、とても嬉しいし、報われた気持ちになります。

そして、きっと、「ありがとう」を伝えてこない学生さんの中にも、
感謝をしてくれている学生さんはいるのではないかと思っています。

でも、私は、感謝の気持ちを形にして伝えられてとても嬉しかったから、
私も人に感謝したときは、できるだけ形にして伝えていこうと思いました。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 二人暮らしへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友達ではなかった

2024-04-14 11:28:31 | 雑感
桜が咲いたということで、半年ぶりに高校時代の友達3人で会った。
ずいぶん長く付き合っている友達ではあるが、そのうち1人と、もうそろそろ会わなくてもいいかなと感じた。

言うことにいちいち、棘があるのだ。
3人の中で子供がいないのは私だけなのだが、そのことについて「社会に貢献していない」と言われたり、
ダンスの授業が今は必修になっているという話題になったとき
「ミジンコが踊ってたら笑いものになるよね~」なんて失礼なことを言われたりした。
ほかにもいろいろ。

胸にチクチク刺さるものを感じながら受け流していたら、
「ミジンコが踊っていたら~」を繰り返し言ってきたので
「あなたが踊っていた方が笑われると思うよ」と言い返してやった。

私はずっとこの嫉妬心とマウント意識が高い友達と我慢して付き合ってきた。
その頃は他に友達がいなかったからだが、今は優しい夫もいるし、
他にも付き合ってくれる人はいる。

彼女の嫉妬心を刺激しないように、いつも私は自分を低く見せていたし、
自分の不幸話を餌のように提供していた。
そして彼女はそれを面白がって聞き、私が幸せなときも、過去の不幸話を無遠慮に持ち出してきたりした。
私が心の痛みを感じているのを、楽しんでいるように見えた。

私は彼女のことを友達だと思ってきた。
でも、今回、よくよく考えたら、
私の不幸を面白がっていた点で、もう既に友達ではなかったのだ。

ただ、私も分かっていることがあって、彼女は今、幸せではないのである。
そしてきっと、幸せに見える私が悔しいんだと思う。

それならそれで、「ミジンコ、助けて」とかわいく言えばいいのに、
私に泥を投げつけてきて暴れている。
そういうネガティブな絡み方が嫌だ。
仕事で十分、味わっているので…。

プライベートな時間は、純粋に楽しみたい。

という訳で、冷たいかもしれないけど、
私はこの面倒な友達(?)と距離を置こうと思った。
友達が苦しんでいるときに去る冷たい私。
でも、私だって、自分で自分を守る必要があるのだ。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 二人暮らしへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする