ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

一年の計は年末にあり?!

2014-12-26 15:58:58 | 仕事
このところ、ネガティブな記事が続いていたが、
今日は少しでもポジティブな話題が書ければと思う。
年末だし、終わりよければすべてよし、ということで。

夫が『松岡修造の人生を強く生きる83の言葉』という本を買ってきた。
ページを開くと「今日からお前は富士山だ!」などと書いてある。

面白半分で読んでみたら、修造さんのポジティブなパワーが
体中に満ち満ちてきた!!(←影響されやすい)

特にグッときたのは
「あきらめんなよ!どうしてそこでやめんだよ!」
という言葉だった。

このブログには書かなかったけど、私は4月から、
通信制の大学で心理学を細々と学んでいる。
学び始めたときの目標は、大学院に行って、
臨床心理士の資格を取ることだった。

資格をとって、カウンセラーとして、自立しようと思ったのだ。
これが、長い時間をかけて見つけた、私の新しい目標だった。

でも、自分の意志の弱さから、勉強も怠りがちになり、
早くも目標をあきらめかけていた。
目標が達成できない理由について、色々と言い訳をしている自分を
カッコ悪いと思っていた。

そこに、修造さんの言葉が、ガツンと響いた。

あきらめんなよ!
どうしてそこでやめんだよ!



`。*:`( ゜д゜*)ハッ!!!

修造さんの言葉は続く。

ハードルが高ければ高いほど、
達成したときの喜びも大きいんだよ!!



。・゜・(*ノД`*)・゜・。 ウワァァァン!

ありがとう修造さん!!
おかげで目が覚めたよ!!

私、がんばるよ。
歩みは遅いかもしれないけど、目標に向かって進んでいく。
目標が達成できたら、自分にとっての大きな自信になると思うんだ。

毎日、1ミリでもいいから(←ハードルは低めに設定)
前に進もう。

さあ、机に向かおう。


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寒さに耐えるセキセイインコ

2014-12-15 19:10:38 | 仕事
文鳥、ウサギと、寒い飼育小屋から校舎内に避難させてきて、
残るはセキセイインコたちになった。

インコたちは全部で5羽。
残念ながら、どれもあまりなついておらず、手乗りではない。

いつも上の方でギャーギャー言っているだけなので、
子供たちの受けも悪く、名前もつけてもらえないでいる。

ただ、私は今、このインコたちが心配で仕方がない。
果たして、この寒い冬を、飼育小屋の中で生き延びることができるのか。

ちなみに、昨年は、雪の降る日も飼育小屋の中で過ごしていたらしい。
でも、寒くて苦しんだことに、違いはないだろう。

セキセイインコでググると、家の中で温かく幸せに暮らしている
インコたちがブログで紹介されている。
それに比べて、私のインコたちの、なんと哀れなことか。

あまりネット上には載っていないが、
動物園などには、セキセイインコを屋外の小屋で飼っている例があるようだ。

鳥かごも結構高いので、私は、できれば、
インコたちは、飼育小屋で頑張ってもらいたいと思っている。
でも、1月、2月になって、雪が降るほど寒くなったときに、
同じ考えでいられるか、自信がない。

毎朝、飼育小屋に行くときは、心配でドキドキする。
冷たくなって床に落ちていたらどうしようと思う。

飼育小屋にはデジタル温度計をつけ、何度まで下がったか、分かるようにした。
今朝は何と、0度だった。

1羽1羽、確認して、呼びかけたが(ちなみに私は勝手に名前をつけている)、
そのうち1羽の元気がなく、震えているように見えた。

手を伸ばすと、弱っているからか、簡単につかまえることができた。

初めて人の手のうちに収まったインコは、恐怖からか、
私の手を、口ばしでぎゅっと噛んだ。

私はキツネリスに噛まれたナウシカの気持ちになり、
「こわくない、こわくない」と言いながら、校舎内に連れて行き、
余っていた古い鳥かご(最後の1個)の中に入れた。

ヒーターは文鳥に使ってしまって、もうなかったので、
ペットボトルに熱いお湯を入れ、鳥かごの横に置いた。
少しでも暖をとれるようにするためだ。

とりあえず1羽は連れてくることができた。
残りの4羽、どうしよう。
やっぱり鳥かごを買うしかないかな。。。

悩みは当分、続きそうだ。


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愛が止まらない

2014-12-11 19:01:24 | 仕事
最近はウサギのウサ吉にぞっこんの私。

寒風吹きすさぶ飼育小屋から、校舎内に避難させたのだが、
廊下に置いておくと、子供たちがうるさく(←敢えて言おう)、ストレスになってしまうと思い、
人があまり来ない、資料室の片隅にケージを移動させた。

出勤して朝一番にやるのが、このケージの掃除。
トイレは丸洗いして、フンを拾って、
柔らかい牧草を敷き、餌をあげる。

ケージが綺麗になって、ウサ吉はとっても嬉しそう。
それを見ている私も幸せに。

時間があれば資料室に足を運び、
ウサ吉をなでなで。
ウサギの毛はとても柔らかく、うっとりするような触り心地だ。

そのとき、新たなフンがあれば、拾って捨てるのだが、
最近はウサ吉への愛が高まりすぎて、
フンを素手で拾うことに抵抗がなくなってしまった。

ウサギのフンはコロコロして乾いていて、
臭いもないし、汚い感じがしない。
草が丸く固まったような感じだ。

「フンがひと~つ、フンがふた~つ・・・」
ケージの前にしゃがみこんでフンを拾っている私は、
我ながらかなり不気味だ。

で、そういうときに限って、資料室に先生が入ってくる。
ギクッとして振り向く私。
手にはこんもりとしたウサ吉のフンが・・・。

また、子供が奇声をあげてそばを走ろうものなら、
「うるさい!」と一喝して、手にためたフンを投げつけたい衝動に駆られる。
これでは、砂かけババアならぬ、フンかけババアだ。
ちなみに、砂かけババアより、フンかけババアの方が、破壊力はありそうだ。

さらに、変と思われるかもしれないが、
ウサ吉と触れ合いながら、ウサ吉のフンを拾うのは、
とても癒される、貴重な時間なのだ。

敷き草の上にコロコロのっているフンは、まるで卵のようにかわいく見える。
それをひとつぶひとつぶ、丁寧に拾う。
草をひっくり返しては、新しいフンを探す。
ウサ吉のお腹の下にもフンが隠れているので、それも拾う。
そのとき、ウサ吉のお腹に触れるのだが、柔らかくて温かくて、本当に癒される。

ウサ吉も嫌がる素振りを見せないし、鼻を鳴らして、くつろいでいる。

(ちなみに、ウサギは嬉しいときは「ぷうぷう」と鳴くそうだが、
ウサ吉は「クフクフ」と鼻を鳴らしているように聞こえる。
これは喜んでいるのだろうか?
それとも、喜ぶときは、やっぱり「ぷうぷう」と言うのだろうか?)

最近は、ウサ吉のフンを拾いに資料室に行くことが、
何よりの楽しみになってしまった。

フンの話ばかりになってしまったが、
ウサ吉をはじめ、動物たちへの愛が止まらない。

動物たちは、本当にかわいい。
私が愛情をかけて大切にしていることを、
きちんと、分かってくれている気がする。

変な人に見えたって構わないや。
私は私の好きなようにやらせてもらいます!!


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席に座る子供

2014-12-04 20:19:59 | 雑感
今日は、電車での親子の行動について書こうと思う。
最初に断わっておくと、電車で騒ぐ子供や
それをたしなめようとしない親を非難する内容ではない。

親子連れが電車に乗ってきて、席が空いていた場合、
親は、必ず自分の子供を座らせて、自分はその前に立つ。

私はいつも思うのだが、なぜ、親が座って、
子供を立たせないのだろう。
よちよち歩きの幼児なら分かるが、
私の観察によれば、ずいぶん大きな子供でも、
親が席を譲ってあげている。

怪我をさせないように、とか、周りの人の迷惑にならないように、とか、
色々と理由はあるんだろう。
でも、一番の理由は、「自分の子供が大切だから」
ということではないかと思う。

でも、これまた私の観察によると、
多くの子供が、席が空いていれば、自分が座るのが当然と思っていて、
親に譲るという考えは思いもよらないように見える。

子育てその他で疲れているのは、親の方だろう。
私は、元気な子供は立たせて、親が座ればいいのにと思う。

自分が座るのが当然と思って育った子供が、
ご老人や気分のすぐれない人に、
席を譲る思いやりを持つようになれるのかも、疑問だ。

もし私に子供がいたら、
子供に立たせるようにしただろうと思う。
子供には、自分のひざに手をおかせて、
しっかり支えてあげる。

長幼の序、といってしまえばそれまでだが、
何でも自分が優先、そんな王様みたいな人間にしたくないという思いがある。

長くなるが、先日、こんなことがあった。

混み合った電車の中、小学校1、2年生くらいの女の子と、
そのお母さんが乗ってきた。
女の子は、席が空いていなかったのが、とても不満なようで、
「いいな~、座っている人たちは。
ずるいな~。」と、何度も、何度も言った。

その女の子は、ちょうど座っている私の目の前に立っていたのだが、
私は寝たふりをしていた。
ご老人や妊婦さんならともかく、元気なガキに席を譲る理由はない。

女の子の愚痴があまりにしつこいので、そっと目を開けてみたら、
女の子はものすごく怖い顔で、私を睨みつけてきた。

私は思わずアッカンベーをしたくなったが
理性でこらえた。

で、母親はと言うと、「もうすぐだから我慢しようね~」
という感じ。
女の子「いやだ!!座りたいのに!!」(で、また私を睨む)

絶対譲るもんかと座り続けていたら(←私もガキ)
しばらくして、向かいの席に空きが出たようだった。

車内はぎゅうぎゅう詰めで、他のお客さんもたくさんいたのに、
その女の子、乱暴に人を押しのけて、
空いた席に座ってしまいましたとさ。

そして一言「やっと座れたー!!!」

こんな子供がいる国、おかしいと思いませんか。
あら、結局、批判になっちゃった。



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内向型人間の私 2

2014-12-01 19:48:58 | 仕事
引き続き内向性の話・・・
(最近、このキーワードが頭を離れない)

世の中には、外向型、内向型、ほぼ同数いるらしい
(はっきり2つに分けられるものではなく、
程度問題らしいが)。

問題なのは、外向型の方が、内向型より優れていると、
一般的に認識されていることだ。
内向的な人間が苦しまなければいけない理由が、ここにある。

「元気で明るい」「活動的」「リーダーシップをとれる」
「スポーツ好き」「社交的」「飲み会好き」
「おおらか」「多趣味」「存在感がある」・・・
これらは皆、外向的な人を形容する言葉だ。

対して内向型は、
「神経質」「消極的」「引っ込み思案」
「ガリ勉」「ネクラ」「影が薄い」
「運動音痴」「趣味がない」「目立たない」
等、形容されがちだ(私だけ?)

また、外向型の人間は、行動的で目立つので、
その言動に光が当たりやすい。
賞賛され、評価されやすい、お得なタイプだと思う。

内向型の人は控えめで目立たないので、
外向型の人に比べ、努力が認められる機会も少ない。

学校の先生は、私の経験上、外向型の人が圧倒的に多い。
人間は、自分と同じタイプの人しか、基本的に理解できないから、
外向型の先生が、内向型の生徒の良さに、気付いてくれることは、
あまりない。

逆に、内向型の生徒を、外向的な性格に矯正しようと、
ハッパをかけてくることすらある。
教室で本を読むのが好きな生徒に、
外で元気よく遊ぶよう促すのは、その一例だ。

かくして外向型の人はますます図に乗り自信をつけ、
内向型の人は、劣等感を強めるという
悪循環が生じる。

『内向型人間の時代』という本によれば、
内向型の人間が、そんな外向型優位の世の中でうまく渡っていくためには、
「外向型の仮面」をかぶる必要があるらしい。
外向型のふりをしろ、ということだ。

これは辛いね。
偽りの自分を演じなければいけないのだから。

もともと内にこもることが好きな人間が、
外に出ていくだけでも大変なのに、
外向的なフリまでしなくちゃいけないなんて。

疲れるはずだわ。


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