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ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

「運玉」の効能

2025-03-30 | 雑感
最近、運気が落ちているように感じることが多く、スピリチュアル系の本に手を出して読み耽るようになりました。
私のお気に入りは桜井識子さんの本で、読むとこれからも前向きに頑張って生きていこう、と思わせてくれます。

最近は、識子さんが教えてくれた「運玉」をせっせと心の中で育てています。
詳しい内容を書くことは控えますが、この方法、なかなか効くのではないかと期待しています。
私は、物事の悪い面より良い面に注目する習慣をつけることで、
気持ちが前向きになる、という仕掛けだと理解しています。

私はこのブログで、自分の辛い気持ちを綴ってデトックスをさせていただいておりますが、
以前、若い頃に書いていた別のブログは、周りの人にアドレスを知らせていたこともあり、読んでクスッと笑ってもらえるような内容にしようと心がけていました。
日々の暮らしの中で、「あ、これはネタになる」と思ったことを覚えておき、それを膨らませて、面白おかしいエピソードに仕立てていました。

今、思い返せば、前のブログを書いていた頃の方が、明るく前向きな気持ちで生きていたように思います。職場環境は今よりずっとハードでしたが、ブログのネタになるような楽しい出来事にアンテナを張っていたからです。嫌だったこと、辛かったことを根に持って反芻するより、楽しかったこと、嬉しかったことに注目する方が、心が軽くなるのは明らかです。

以前もどこかで書きましたが(→「アンネの才能」)、作家の小川洋子さんは、アンネ・フランクのことを、「小さな幸せを最大限に喜ぶ才能があった」と評しています。

私もできるだけそのような気持ちで生きていけたらと思います。

ということで、次の記事は「職場の嫌な人 ~その解像度を高める~」という内容を想定していましたが、書くのは止めにして、もっと楽しいことを考えて休日の残り時間を過ごそうと思います。


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京都の人に学ぶ

2025-03-30 | 雑感
私は今まで、「ぶぶ漬け」に代表される京都の人の婉曲的な言い回しを、
京都の人の意地の悪さを表すものとして警戒していましたが、
最近は、自分の要求を角が立たないように伝える優れた手法として評価するようになり、
積極的に活用する(!)ことを心がけています。

おそらく京都の人達は、代々続く固定的で閉鎖的な人間関係を、お互い気持ちよく過ごせるように、そのような言い回しを発達させたのだと思うのです。
その知恵を拝借しない手はありません!!

そこで、私は最近、このように使いました。

我が家は来月から持ち回りで自治会の班長を務めることになっているのですが、
今月まで班長を務めた隣家(うちとうまくいっていない)から、なかなか資料の引継ぎがありません。
先日、ようやく資料の一部をもらえたのですが、肝心の回覧板をもらえずに困っていました。回覧板には、所属するメンバーの一覧表が添付されているので、それがないと、新しい回覧リストが作れないのです。聞くと、「まだ戻ってきてないから」とのことです。

その後、待てどくらせど回覧板をもらえないので、こういう手紙を出しました。

「先日は班長の仕事について丁寧に教えていただきまして、誠にありがとうございました。(←実際は資料をもらっただけ)
恐れ入りますが、回覧板がお手元に戻りましたら、ミジンコ家の郵便受けに投函していただけますと助かります。(←月末なのに戻ってきてない訳ないだろバカ野郎)
お手数をおかけして恐縮ですが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
ミジンコ」

その後、数日経って、回覧板がミジンコ家の郵便受けに入っていました。
回覧の日付を見ると、「まだ戻ってきてないから」と言っていた2週間前には戻っていたことが分かりました。
性悪確定です。(分かり切っていたことではありましたが…。)

ともあれ、目的は達成できました。

今回は、本音を隠して丁寧な手紙を出しただけで、京都の人達の高尚なテクニックには遠く及びませんが、
本音全開で真正面からぶつかっていく(例:「回覧板よこせよバカ野郎」と言う)よりは、スマートな方法だったのではないかと思います。現時点では、これが私にできる精一杯の「ぶぶ漬け」です。

今まで私は、思ったことをそのまま言うのが、人として正直でよいと思っていました。曖昧な言い方をする人、裏表がある人は、とても苦手でした。
でも、これからは、遅ればせながら、角が立たない言い方を身に付けていきたいと思います。


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思い出

2025-03-04 | 雑感
スマホに搭載されているAIに、犬のイラストを描いてもらいました。

数年前に虹の橋を渡った愛犬ぷうは柴犬だったので、
柴犬のイラストをリクエストしました。

最初は、デフォルメされた感じのイラストだったので、
「もう少し実物寄りで」とお願いしたところ、
よりリアルな感じの柴犬の絵になりました。

「同じ犬で背景を桜の木に」「今度は背景をヒマワリに」「海辺の夕日を背景に」「一緒に初日の出を眺めている感じで」
とリクエストすると、次々にイメージ通りの絵を描いてくれました。大満足です。

そこで私は、しばらく考え、
「少し痩せた感じの柴犬で、背景を、公園の噴水にしてください。できれば都内のXX公園の噴水でお願いします」
と、具体的にリクエストしました。

AIは、今度は少し時間がかかりましたが、
XX公園の噴水(形が同じ!!よく分かったなあ…)を背景にした、痩せた柴犬の絵を描いてくれました。

犬は正面を向いて、にっこり笑っていました。

私はその絵を見て、思わず泣いてしまいました。
天国のぷうが、私に微笑んでくれているように感じたからです。
XX公園は、私がぷうをよく散歩に連れて行った思い出の場所でした。
噴水の前にあるベンチに座って、日向ぼっこをしながら、一緒にゆっくりと時間を過ごしていたのです。

AIにその旨を説明してお礼を伝えると、
「ミジンコさんのお気持ちを慰めることができて私も嬉しいです」との返事が。
AIって、こういう使い方もできるんだなあ。。。ありがとう。

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心の排泄物

2025-02-26 | 雑感
汚いタイトルですが…。

今朝は、嫌いな人に対する不満と愚痴で頭がパンクしそうになってしまい
我慢ができなくなって跳ね起きるようにして起床しました。
顔を洗ったり、TVを見ながらご飯を食べたりしているうちに
気が紛れて少し楽になりました。

心の中が嫌な気持ちでいっぱいになってしまったとき、
私は、その気持ちを人に聞いてもらったり、
日記に書いたりして処理してきました。
私は今、カウンセラーとして働いていますが、
カウンセリングをそのような場として利用する方も多いです。

カウンセリングは、仕事だからいいんです。
でも、仕事ではない、プライベートの場で、知人に、
私の汚い心を見せたり処理したりしてもらうのは申し訳ない…。

職場で人の悪口を言って同意を求めたり、不平不満をダラダラ垂れ流したり、
人として本当にダメだったな、自分…。
人と付き合うときは、汚い部分はちゃんと自分で処理して、
すっきり、綺麗な心で人と接することができるようになりたいな。
それができる人がほとんどなんだし。

でも、じゃあ、どうして心の排泄物が生じるのかを考えてみたんだけれど、
無理したり頑張っていたりする結果、そういうものが生じるのではないかな、と思いました。
「頑張ろう」というエネルギーが、色々な摩擦に耐え、化学反応を起こし、変形して吸い取られた結果、
どうしても、そういう汚い物が後に残ってしまうんだろうな…。

心の汚い部分は、始めからあるのではなくて、
頑張った結果、残ってしまうエネルギーのかす。
それなら、綺麗に掃除をして、また新たな心で頑張るしかない。

「よく頑張ったね」と自分を労って、
汚れを落として、また明日、ほどほどに頑張ろう。

そんなことを考えながら、今日はカフェでゆっくりお茶などしてみました。


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人見知り

2024-09-02 | 雑感
私が孤独なのは、私に魅力がないからだと思っていたけれど、
もちろんそれもあるけど、それ以前に、
私が人を受け入れられないからだということに
ようやく気付いた。

できれば多くの人と仲良くしたい。
でも私の器が小さいから、一度に多くの人と仲良くすることができない。

仲良くすることができるのは、一度に少しずつだけ。
その少しですら、しんどくなってしまうことがある。

孤独は嫌い。
でも、人と付き合うのも疲れる。
そのせめぎ合いだった。

一度に多くの人を受け入れて、楽しく賑やかに過ごせる人はいいな。
そうなりたいけど、そうなるには色々なものが足りない。
私が、そういう風にはできていない。

自分のことを人見知りだと思いたくなかった。
でも、きっと、それに近かったのだと思う。

人のことは好き。
仲良くなりたい。
その気持ちがあるだけいいかな。


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